FC2ブログ

Entries

伝えたい言葉、伝えられない言葉

 
 
伝えたい「言葉」があった。しかし、それは伝えられない「言葉」だった。

電話口で泣きじゃくるメリケン帰りのバカ娘。数日前、私はわが要塞を訪ねてきたバカ娘とバカ娘の人生の同行者となるであろう若者、つまりは小娘と小僧っこを怒鳴り飛ばし、取りつく島もあたえず、追いかえした。

なにが「結婚」だ。なにが「愛している」だ。なにが「だいじなひと」だ。なにが「価値観がおなじ」だ。なにが「おたがいの一生を見届けたい」だ。なにが「お嬢さんを幸せにします」だ。幸せはするものでもなるものでもない。感じるものだ。寝言は寝て言え! 小僧! おまえたちにはおたがいが他人ではないことを生涯をかけて確認しつづける覚悟があるのか! バカ娘と小僧はほうほうのていで逃げ帰っていった。

メリケン帰りのバカ娘は電話の向こう側で泣きじゃくり、懇願し、理解を求めた。「死にたい」という言葉がバカ娘の口から出たときには胸がつぶれるかと思われた。胸郭の中心を針で軽くつつけば、一瞬にして私の胸は張り裂けていたにちがいない。私は万感の思いをこめて沈黙した。「語りつくせぬことについては沈黙せよ」というヴィトゲンシュタイン先生の言いつけを守ったのだ。後悔などしない。

私の選択と決断は正しい。そして、例によって私はきょうも、ただひとり荒野をめざす。瀟々と風の吹きすさぶ荒野の果てには天上の音楽が鳴り響く断崖があるはずだ。17歳の魚屋(ねりもの担当)には荒野と断崖がいちばん似合う。

ならず者たちが跋扈する荒野を横断し、断崖のかたわらにある気高い松の樹の根方で大いびきをかいて昼寝をする私はライオンの夢を見ているにちがいない。そのような私は、千尋の谷より何倍も深く険しい谷底から自力で這い上がってきた者でもあるのだ。であるがゆえに、であるからこそ、私は何者とも、何事とも妥協しない。いままでも、いまも、これからもかわらぬ。

私の心のかたちはスペードでもクラブでもダイヤでもない。ましてやハートなどではもちろんない。私の心のかたちはライオンだ。ライオンそのものだ。

そのバカ娘からメールが届いた。現在の心情が切々とつづられていた。近ごろは他者の文章(のみならず表現全般)に心を動かされることなど皆無に等しいが、バカ娘の文面からは揺らぐことのない意思の力が感じられ、しかも、私がもっとも重きを置く論理と叙情と情念とがほぼ完成されたかたちで表現されていた。そこにはいささかも「嘘」や「ごまかし」や「躊躇」がないように思われた。私はバカ娘のメールを読み、「ああ、これはもう手放す時期がきたのだな。もはやおれが教えてやれることなどなにひとつない」と思った。

バカ娘からのメールには『星に会う日』と題された一片の掌編小説のごときものが付されていた。私とバカ娘との数少ない、しかし彼女にとっては宝石のような「思い出」を題材とした随想風の文章だった。

わがバカ娘ながらよく書けていた。ある部分では不覚にも落涙を禁じえなかった。自らの名誉のために言うが、これは赤の他人が書いたものだとしても、私は同様な事態に立ち至ったろう。センティメンタリズムに流されているきらいがなくもないが、「センティメンタルでなにがわるい」と私自身がかねがね思ってきたことでもあるし、なにごとかからの「卒業制作」としてはじゅうぶんに及第点を与えられるだろうと思う。以下に紹介する。バカ娘の承諾は得ていないが、当然のごとくバカ娘は承知してくれるだろう。ここに公にすることが私から彼女への卒業証書である。

私の知りうるかぎりにおいて世界でもっとも心さびしい誕生日とクリスマスをいくたびもすごし、口さがない世間の下衆外道どもに「妾の子」と陰口をたたかれ、世界でもっともくやしい思いに歯ぎしりをし、世界でもっとも手ごわい父親を持ったわが愛しきメリケン帰りのバカ娘よ。それでもなお、世界は素晴らしく、人生はバラ色だ。健闘を祈る。

注記1:メールの最後には「リンダ・ロンシュタットさんが歌う『When You Wish Upon a Star』を聴きながら以下の文章を読んでね。すごくこわいけど、大好きなパパへ❤」という追伸があった。「大好きなパパへ」も「❤」も蛇足である。「秘すれば花」という極意を理解していない野暮天、うつけ者、大バカ者がしばしば踏む轍である。





星に会う日

20年前のある冬の夜、私は父と二人で星に会いにいった。部屋の明かりを落とし、窓越しに夜空を見上げると、星が私と父の上に音もなく降りそそいだ夜があざやかによみがえってくる。

「星に会いにいこう」

背中で父の声がした。振り返ると天体望遠鏡を抱えた父が立っている。父の顔を見るのは夏の初め以来だった。

「今から?」
「うん」
「外はすごく寒いよ」
「星に会いたくはないのかい?」
「会いたい」
「じゃ、おいで。あたたかくするんだよ」

父は私を自転車の荷台に乗せ、ひと気の失せた商店街を猛スピードで駆け抜けた。頬をかすめる風が痛い。私は振り落とされまいと必死で父の背中にしがみついた。ポマードと煙草の入り混じった父の匂い。父の体温や心臓の鼓動までが伝わってきた。それほど間近に父を感じるのは何年もなかったことだ。私はしがみつく腕にいっそう力を込めた。

30分ほど自転車を走らせて着いたのは団地の造成現場である。夏、かぶと虫やくわがたを捕まえた山の半分近くが切り崩されていた。私と父はフェンスの破れ目から中に忍び込んだ。

「てっぺんまで競争だ」
「あ、ずるいー」

父は言うが早いか走り出した。私も懸命に父のあとを追った。山の頂上からは夜の静寂の中に揺れる街を見渡すことができた。頂上は街中よりもさらに寒く、吐く息が綿のように白い。父は天体望遠鏡の三脚を立て、北の空に向けた。それから手際よくつまみやレバーを操作し、焦点を合わせた。

「のぞいてごらん」

真ん中にぼーっとした輝きを放つ雲のような星のかたまりが見えた。翼を広げた鳥のようにも見える。私は思わず驚きの声をあげた。

「オリオン大星雲だよ」

私がスバルを見たいというと父は望遠鏡の向きを変えた。

「なんですぐにわかるの?」
「ここに、」と言って、父は自分の胸に手を当てた。「ここに星が宿っているからさ」

父の顔にはにかんだような笑いが浮かんだ。何年ぶりかで見る父の笑顔だった。私と父は地面に寝ころび、星々のさんざめく夜空を見上げた。

「あれがオリオン座。その向こうが冬の大三角形」

父は星空を指差し、ひとつひとつ星座の名前とその由来を私に解説し、星のことや宇宙のことについて身ぶりを交えて話してくれた。

「この望遠鏡じゃ見えないけど、今も、宇宙のどこかで星が生まれてるんだ」

そう言ってから、父は囁くように歌を口ずさんだ。それは心の奥深くに染み込んでくるメロディーだった。

「なんの歌?」
「星に願いごとをすれば、いつかきっと夢はかなうって歌だよ」
「本当に願いごとはかなうのかな?」
「かなうさ」

父の口ずさむ歌のメロディーを口笛で真似ながら心の中でそっと願いごとをつぶやくと、急に涙があふれてきた。涙はあとからあとから、いくらでもあふれてきた。涙で星がにじんで、揺れた。

「泣いてるのかい?」
「うん」
「そうか」

私と父の間に深い沈黙がおちた。

「ごめんよ」
「え?」
「一緒にいてあげられなくて」
「いいよ。だいじょうぶ。お星さまにお願いしたから」

夜空の星はきらめき揺れつつ、私と父の上に音もなく降りそそいだ。


When You Wish Upon a Star/星に願いを

ブログランキング・にほんブログ村へ




     

    『レジメンタル・タイの思い出』と『レジメンタル・タイの思い出』の思い出


    regimental00.jpg

     初めてレジメンタル・タイを買ったのは18歳、高校の卒業式の前日だった。元町のPOPPYまで出かけていき、ショウ・ケースにずらりとならんだタイの中から僕が選んだのはシャンペン・ゴールドの地にグリーンの細いストライプが入ったやつだ。よく糊のきいた白いBDシャツにそのレジメンタル・タイを締め、兄貴からのお下がりのブルックス・ブラザースのかなりくたびれたブレザー・コートを着てフェアウェル・パーティーに出かけた。アスファルトを踏みしめるたび、磨き上げたローファーが小気味いい音を立てた。

    poppy01.jpg

     その日、僕はある決意を胸に秘めていた。高校一年の夏からずっと思いを寄せていた同級生の女の子になんとしても胸の内を伝えるのだと。そうすることが自分の高校生活に対するひとつの決着のように思えたからだ。
     思えば誇りうるものとてない3年間であった。僕がフィリップ・マーロウなみのタフガイかジーン・ケリーばりのタップの名手だったならば僕の高校生活も少しは気の利いたものになっていたかもしれない。彼女のやわらかな唇に触れることだってできたはずだ。だが、僕は相手の鼻っ柱を一発でへし折るほどのストレート・パンチを持ち合わせていなかったし、女の子をうっとりさせるだけのタップを踏むセンスにもめぐまれていなかった。遠くから彼女を見つめつづけることしかできないまま凡庸きわまりない3年間が過ぎていった。自分の不甲斐なさにひどく腹を立てながら。

    stardust00.jpg

     パーティーは港のすぐ近くにある「STAR DUST」というバーを借り切って行なわれた。店の中はこれから始まる新しい生活への期待や不安に胸をふくらませる18歳の若者たちで華やかに賑わっていた。進学する者、もう一年受験勉強に取り組む者、就職が決まった者。どの顔にも何事かを成し遂げた者のみが持ちうる充足感のようなものが漂っていた。自分だけが場ちがいな所へきてしまったような気がした。女の子たちはみちがえるほどきれいだった。とりわけ輝いていたのは僕が思いを寄せていた女の子だ。彼女の長い髪が揺れるたび、僕の胸は甘く痛んだ。彼女に近づくことすらできないまま時間だけが刻々と過ぎていった。
     8時55分。タイムアップまで残り5分になったときだ。誰かが僕の背中を押した。誰が僕の背中を押したのか、それはいまだにわからない。友だちのひとりがうわの空の僕に気合いを入れたのかも知れないし、ただぶつかっただけかもしれない。いずれにしても、そのひと押しがきっかけだった。僕は強引に女の子の腕をとり、ついに店の外へ連れ出したのだ。僕たちは黙ったまま港の明かりを反射して生き物のように光る夜の海をしばらく眺めた。

    northpier01.jpg

    「ずっと好きだったんだ……」
     僕はしぼり出すように言った。
    「わかってる」
     それだけ言うと彼女は僕の手をそっと握った。耳の裏側が熱く火照り、胸が高鳴った。彼女の手はあたたかく、小さく、やわらかだった。僕はいつまでも彼女の手を握っていたかった。このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思った。僕が再び口を開きかけると彼女は僕の唇を右の人差し指で押さえ、精いっぱい背伸びしてからマシュマロみたいにやわらかい唇を押しあてた。彼女の髪の甘い匂いに僕は危うく気を失いかけた。遠くで波の音が小さく聴こえた。
    「素敵よ、とっても」と彼女は僕の耳元で囁き、タイの結び目を直してくれた。そして震える声で言った。劇の幕でも降ろすように。

    buttondown01.jpg

    「ごめんね。わたし、秋に結婚するの」
     言い終えると彼女は春の初めのやわらかな闇の中へゆっくりと消えていった。岸壁に打ち寄せる波の音がいつまでも耳の奥に残った。このようにして、僕の初恋は静かに終わりを告げた。そして、歳月の流れ  。 
     いくつかの恋があり、いくつかの別れを経験した。たくさんの友だちと出会い、すこしの友だちが残った。酒の味を覚え、酒の飲み方を学んだ。僕は街を遠く離れ、彼女と会うことももはやない。季節の移ろいとともに多くのものごとがかわり、失われてしまったが、あの日のレジメンタル・タイは今もワードローブの片隅でひっそりと息づいている。





    hardrain01.jpg

     運転中、猛烈な夕立にあった。ワイパーはまったく用をなさなかった。帰宅後、高橋竹山のCDを聴いたり、サムルノリの太鼓にあわせて踊ったり、ギターを弾いたり、出すほうのメールを書いたり、出さないほうのメールを書いたり、村上春樹の『ノルウェイの森』をベランダから杉木立の中へぶん投げたり、スパゲティを茹でたり、米を研いだり、アルバート・アイラーとジョン・コルトレーンはどっちがスカかの原稿を書いたり、エリック・ドルフィーの『Out to Lunch』のジャケットを眺めたり、ソニー・クラークの『Cool Struttin'』のジャケットを真似てハイヒールを履いたり(うそ)、ダッコちゃんに抱きついたり(これも、うそ)、小唄のおさらいをしたり、パイナップル・ミントを生で食べたり、因数分解の問題を解いたり、「宇宙」について考えをめぐらしたり、別のほうの「宇宙」について腹を立てたり、ディラックの海の家でアルバイトをした夏のことを思い返したり、「團藤重光先生の死に水はだれがとったんだ?」と思いをめぐらしたり、我妻榮先生が相続法の講義の最中に財産分与に関わるちょっとした計算で15分も立ち往生してしまったことはだれが語りつぐのだろうと心配したり、「近代日本におけるダットサンの優越的地位」のコピーをとったり、『草枕』を暗誦したり、溜息をついたり、サキソフォンを吹いたり、ラッピングしたり、HDの断片化を修復したり、『エゼキエル書』を読んだり、『臨済録』を読んだり、『方丈記』を読んだり、『奥の細道』を読んだり、『汚れっちまった悲しみに』を声に出して読んだり、『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を読みなおしたり、『共同幻想論』の昔の書き込みを読んで笑ったり、WOWOWったり、J-WAVEったり、iPodを同期させたり、AK-69の『One Way, One Mic, One Life』の般若のパートを真似したり、『死霊』を枕にうたた寝したり、「大化の改新、虫5匹」とかつぶやいたり、古いパテック・フィリップのゼンマイを巻いたり、ロード・レーサーのメンテナンスをしたり、缶ピースを吸ってみたり(ゲホッ)、マイルス・デイヴィスのことを考えて泣いたり、いたずら電話をかけたりした。つまりはヒマをもてあましていたということだ。
     そうこうしているうちに雨はどんどん強くなり、雨音は大きくなり、夜はふけていった。悪くない夜だった。そういえば、『レジメンタル・タイの思い出』の「僕」と出会った夜も、強い雨が降っていた。あれは私が大学をエクソダスしようかどうか迷っていた頃だ。神宮の森周辺をうろついているうちに雨になり、ある住宅街に迷い込んだ。そして、「ALONE AGAIN」というバーに入った。「ALONE AGAIN」は住宅街の真ん中にあった。まるで誰かに見つかるのを怖れてでもいるみたいにひっそりと。
     私がそのバーに入ったとき客は誰もいなかった。雨に濡れてからだがとても冷えていたのでサントリー・ホワイトでホット・ウィスキーを作ってもらった。コクのある笑顔のバーテンダーはホット・ウィスキーといっしょに真新しいバス・タオルを私の前に置いた。1時間ほどして会社員風の二人連れがやってきた。二人ともとてもファッション・センスがよかった。トラッド・テイストを残しつつ、仕立てのよいシックなスーツを着ていた。ネイビー・ブルーのペンシル・ストライプとグレイ・フランネル。二人のうち、グレイ・フランネルのスーツを着ているほうが『レジメンタル・タイの思い出』の「僕」だった。二人とも店の馴染みらしく、バーテンダーと二言三言冗談を言い合い、それから「僕」はバレンタインの12年をダブルのロックで、「僕」の相棒くんはグレンリベットをダブルのストレートでそれぞれ注文した。
     私はホット・ウィスキーを舐めるように飲みながら二人が身につけているものの品定めをしたり、ピスタチオの殻を剥いたり、カウンターの痕の数を数えたりしていた。私は知らん顔しつつも「僕」と「僕」の相棒くんの話に耳を傾けた。二人は会社での出来事や給料のことやクルマのことや音楽のことや女の子のことなどどこにでもあるごく普通の話をしていた。そのうち、話がファッションのことになり、話題がトラッド系におよんでからのことだ。
    「初めてレジメンタル・タイを買ったのはいつ頃?」
    「僕」の相棒くんが尋ねた。
    「昔々の大昔、高校の卒業式の前の日だよ」
    「僕」は相棒くんのほうを見ずに、うつむき加減で答えた。
    「いまでも胸が疼く」
    「僕」はぼつりとつぶやき、メイカーズ・マークをダブルのストレートで注文した。
    「疼く?」
    「うん」
    「フラれたんだね」
    「そのとおり。察しがいいな」
    「それだけが取り柄だったりして」
    「ふん」
    「やめようか? この話題」
    「いいよ。おまえには話してもいいような気がする」
    「光栄ですな」
    「高校一年の夏、おれは同級生の女の子に恋をしたんだ」
    「僕」はグラスのメイカーズ・マークをひと息で飲み干してから言った。相棒くんは黙ってうなずいた。そして、「僕」のせつない恋の物語が始まった。

    aloneagain01.jpg

    「いまでもそのレジメンタル・タイはあの夜のままとってある。一度も使わないままね」
    「僕」は話し終えると遠くを見るような目をしてため息をひとつついた。バーテンダーは「僕」の話が終わるのとほぼ同時にLPレコードに針を落とした。ギルバート・オサリバンの歌う『アローン・アゲイン』が小さな音で店の中に流れた。いいシーンだった。その後、「ALONE AGAIN」へは疲れたときなどひとりで行った。「ALONE AGAIN」では「僕」ともたまに会った。お互いに会釈を交わすだけだったがなんとなくいい感じだった。
     いつからか、「僕」はひとりで来ることが多くなった。身なりにはさらに磨きがかかっていた。一度だけ、とても可愛らしい女の子と一緒だった。そのとき、「僕」は私と目が合い、少しだけ顔を赤らめた。「僕」の相棒くんは一度見かけただけだ。「僕」にも「僕」の相棒くんにもきっといろいろなことがあったんだろう。いいこともわるいことも含めて。もちろん、この私自身にも。だが、それはとても素敵なことだ。そうやって、みんな成熟してゆくのだから。さて、来週あたり、「ALONE AGAIN」に行くことにしよう。また別の「僕」の話を盗み聞きしに。

    ブログランキング・にほんブログ村へ



      Eagle 810/鷲は米軍横田基地を飛び立ち、17歳の若者に舞い降りた。


      radio01.gif

      「フレデリック・ニコラス・ラボンディが死んだ。16号線でトレーラーと正面衝突だ」
       横浜時代の古い友人は電話口で声を震わせた。1975年から1977年までの2年間、フレデリック・ニコラス・ラボンディはFENのDJをやっていて、私は彼の熱烈なファンだった。ファン・レターを書いたことすらある。フレデリック・ニコラス・ラボンディの名前を聞くと1975年の夏を思いだす。そして、彼の声がよみがえってくる。
       1975年に横浜とその周辺に暮らす17歳の若者がラジオを聴くとしたら、それはまちがいなくFEN、極東放送だった。少なくとも私の場合はそうだ。ニッポン放送でも文化放送でもラジオ関東でもFM東京でもなく、FENを聴くのはとてもクールなことのように思えた。「This is the Far East Network, an affiliate of the Armed Forces Radio Service.」のアナウンスを耳にすると胸が高鳴った。鷲は米軍横田基地を飛び立ち、17歳の若者に舞い降りた。周波数AM 810kHz。 出力50kW。 "Eagle 810"。

      americanfense00.jpg

       当時、FENから聴こえてきたDJの声はすべておぼえている。声の主がだれなのか正確に名前をあげることだってできる。夜明け頃はモリアーティとパラダイスを名乗る二人組、朝食の頃にはショーティー・ウィリアムス、昼近くになるとブルース・オサリバンに交代して午後の半ばまで。そのあとはジミー・オブライエンが夕食の頃までで、ハワード・Jが夜の11時ころまで。ニュースやら天気予報やらのあと、明け方近くまでがフレデリック・ニコラス・ラボンディだった。彼らの仕事は重要なものではなかった。名誉ある仕事でも歴史に名を残す仕事でもなかった。しかし、彼らの「声」は17歳の若者の人生を代弁していた。彼らは17歳の若者にとってかけがえのない存在だった。馬鹿な冗談を言い、意味もないおしゃべりをしてはジグソーやKC&サンシャイン・バンドやイーグルスやドゥービー・ブラザースの曲をかけた。あの夏に17歳の少年たちはたくさんの人々に出会い、いろいろな場所に行ったけれども、それらに負けず劣らずFEN局のDJたちのおしゃべりや冗談や彼らが聴かせてくれた音楽はたいせつな思い出となった。FEN局のDJたちにしてみれば狭くて息苦しいスタジオでもうもうとしたタバコの煙にまみれながら何時間もすごすのはけっしていい気分のものではなかったろう。しかし、そんなことは考えてもみなかった。「17歳の夏」という特別なときを勝手気ままにすごしていただけだ。彼らの声は当時の横浜の若者たちが抱える「気分」の一端を代弁していた。本牧や根岸台の「フェンスの向こう側のアメリカ」と同様、世界へと連なる明るいリアリティを持っていた。
       フレデリック・ニコラス・ラボンディは死んだ。17歳の少年もみんな年を取った。時代はもはや1975年ではない。20世紀ですらなくなってしまった。21世紀は12年も過ぎた。1975年から2012年のあいだに高度資本主義の網は世界中をがんじがらめにした。言葉と声と音楽は失われ、いまや虫の息だ。いつ果てるとも知れぬ0と1の空虚なダンスが世界中でステップを踏んでいる。それでも、17歳の夏にFENから聴こえてきた『スカイ・ハイ』や『ラヴィング・ユー』や『ザッツ・ザ・ウェイ』や『呪われた夜』はいまでもいくぶんか私を勇気づけないこともない。

       Stay Tune! This is Eagle 810. This is the Far East Network, an affiliate of the Armed Forces Radio Service.

      ブログランキング・にほんブログ村へ



        「食に関する質問状」への不誠実きわまりない回答(そんなことより、なんか喰わせろ!)

        Q1 次のメニューにどんな調味料をかけますか?

        ・目玉焼き・・・モンゴル産岩塩 『蒼き狼』

        ・納豆・・・調味せず。納豆は完全食である。「なにも足さない。なにも引かない。」が正しい。(粂納豆を常食している)

        ・冷奴・・・調味せず。豆腐は完全食である。「なにも足さない。なにも引かない。」が正しい。せいぜいが山葵のおろしたて添付。(『風に吹かれて豆腐屋ジョニー』いいよ、『風に吹かれて豆腐屋ジョニー』)

        ・餃子・・・喰わない。だから、わたくしはニオワナイ。

        ・カレーライス・・・ワダカンの醤油をひと垂らし。 (普段はスパイスを碾き、小麦粉を炒り、自家製ペーストを作るが、その気力がないときは市販品のカレー・ルーを用いる。いいものがずいぶんと出回っている。好み・嗜好に応じて、異なるブランドのものを混合使用することをお勧めする。ちなみにわが家ではS&Bのディナー・カレー中辛、こくまろ甘口、ZEPPIN辛口をブレンドしている。たいへんに満足のいくものができあがる)

        ・ナポリタン・・・喰わない。わたくしは「まがいもの」を口にしない。「ナポリタン」はパスタでもなければイタリアンでもない。ただの「茶店飯」にすぎない。タバスコと粉チーズ(断じて、「パルミジャーノ」とは呼ばせない!)をふりかけまくってかき込むがお似合いの食料である。食の対象とはならぬシロモノだ。

        ・ピザ・・・喰わない。わたくしは「ピザ10回」の例のアレには騙されない。

        ・生キャベツ・・・なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。

        ・トマト・・・ なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。(愛弟子のポルコロッソの大好物でもある)

        ・サラダ・・・なし。自然物に手を加えるのは神への冒涜である。 あえて調味するならバルサミコをひとふり。

        ・カキフライ・・・虹子特製のウスター・ソース(いずれ商品化する)

        ・メンチカツ・・・御殿場・山崎屋のメンチカツならエリー特製のとんかつソース(いずれ商品化する)

        ・コロッケ・・・モノマネはきらいだ。

        ・天ぷら・・・モンゴル産岩塩『蒼き狼』(ときとして玉露抹茶と混合)

        ・とんかつ・・・虹子特製のとんかつソース(いずれ商品化する)にワダカンの醤油をひと垂らし。

        ・ご飯(米)・・・モンゴル産岩塩『蒼き狼』

        ・パン・・・パン・ド・ミーならグリエし、パン・トラディスィヨネルならそのままで、オリオ・ディ・オリーヴァにモンゴル産岩塩『蒼き狼』を少々混合させ、前記パンをつけて喰らう。

        ・ひらめの刺身・・・栄醤油の「甘露醤油」にひらめの肝をといて。

        ・牛丼・・・喰わない。満腹感製造工場の「食わせ物」を喰わねばならぬ理由など微塵もない。

        ・烏賊そうめん・・・栄醤油の「甘露醤油」に当該烏賊のワタをといて。またはモンゴル産岩塩『蒼き狼』


        Q2 周囲に意外だと驚かれる「好きな組み合わせ」はありますか?

        胡瓜をごく薄く輪切りにしたものと鯵のタタキと九鬼の太白純正胡麻油と信州一味噌(白)を混合させ、富士の地下で磨きに磨かれた天然水の冷水で稀釈撹拌し、かち割り氷をぶち込む。これをごくごくがぶがぶと喉を鳴らし、一心不乱に飲む。漁師と百姓と木樵とマタギと仙人と氷の微笑のそれぞれの気分が味わえる。


        Q3 それが一般的だとは知っていて苦手な組み合わせはありますか?

        ない。万物は歓喜とともに食するに値する。


        Q4 レパートリーの数は?

        数えきれない。わたくしは万物、森羅万象を調理し、調整し、調味する者である。


        Q5 最後に作った料理は?

        赤ピーマンのムース(サイス・マサオ直伝)、エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソース(サイス・マサオ直伝)、クー・ド・ブフ・プレゼ(牛のしっぽの赤ワイン煮込み/ベルナール・パコー直伝)、焼飯(ハルキンボ・ムラカーミが腰を抜かし、羊男を縛り上げたうえに丸刈りにして丸焼きにし、クレタとマルタのエーゲ姉妹からクレハとサランのラッパー姉妹に鞍替えするほどの傑作であった)。


        Q6 最後に買った食材は?

        豊後牛のしっぽ、金華豚のチャーシュー、伊達の玉子、相模湾産桜えびの干したもの、長ネギ


        Q7 思い出に残る自作料理は? 三つ挙げてください。

        母親の死の直前、彼女の所望によるにぎりめし(塩化ナトリウム以外の「しょっぱいもの」が畢生のにぎりめしを生んだ)、おなじく、オムレツ(塩化ナトリウムはもはや必要なかった)、おなじく、大根の味噌汁をじゅうぶんに冷やしたもの(味噌以外の「しょっぱいもの」の「偶然の降臨」が最高にして最後の仕上げとなった)


        Q8 好きなお店は?

        六本木/海南鶏飯食堂(インドネシア料理(マンダリン料理)/六本木高校の壁面がモダン・アートのような借景となっている/オーナーの小西氏はマッキャン&エリクソン博報堂のNO1営業マンだった。そばにいるだけで元気になるスコブル付きの好人物。チーフ・ウェイトレスのガチャピンは才色兼備にして気立てよし。一度、本気で口説き、あと一歩のところまでこぎつけたが小西氏に懇願され撤退。人生、なかなか思うようにはいかないものである)、いまや消滅したが、(「バブル期から90年代半ばまで」という限定付きで)南青山/AOYAMA KIHACHI(「無国籍料理」という名のトーキョー・キュイジーヌ。根津美術館の目と鼻の先にあった。現在のKIHACHI系列店は足を運ぶに値する料理もサーヴィングもないと断言しておく。アニエス・ベーだのAfternoon TeaだのTO THE HARBSだのサザビーズだのスタバだのの舶来かぶれ商売に余念のない双子の片割れのスズキ・リクゾーの「悪しき商魂」にクマガイ・キハチが影響されたのだと推測される。余命は短かかろう)、箱根/オーベルジュ・オー・ミラドー(宿泊施設付きフレンチ・レストラン。オーナー・シェフのムッシュ・カツマタの実兄は六本木プリンスのメイン・レストラン「トリアノン」で長くシェフ・ソムリエをつとめた人物にしてソムリエ世界一である。タサキ・シンヤなどという小僧っ子とは品格・品性・見識のレベルがちがう)、浅草・鮨一心(寿司)、雷門・柿汁(和食)、目黒/勝丸(支那そば屋/「昔の東京ラーメン」古川橋のたもとの掘建て小屋に毛の生えたような店でやっていた頃からのファンである) 、東駒形/もつ焼きとん平(もつ焼き屋)、浅草/天健 (てんたけ/かき揚げ丼)、鎌倉・七里ケ浜/珊瑚礁(ビーフ・サラダと海老みそカレー。創業者のアロハ髭おやじには20代の頃からずいぶんと世話になった。日本に最初にサーフボードを持ち込んだ人物にしてガラッパチ。心臓発作で「うーっ」と唸ったきりアディオース。早すぎる死だった。この国は惜しい人物を失った。)

         かくして、本日も東京は美味礼讃に余念のない天使の厨房のごとくに天下太平楽である。

        ブログランキング・にほんブログ村へ



          忘れえぬ喰いもの#1 隠し味は一粒のダイヤモンド

           
          nigirimeshi02.jpg


           中学2年の秋。
          「塩の、お、むす、び、と、プ、レー、ン、オ、ムレ、ツ、と、冷た、い、だ、い、こ、ん、の、お、み、お、つけ、が、食べ、た、い」
           死の床で母親は息も絶え絶えに言った。片手で持てるくらいに小さくなった母親の小さな言葉は秋の初めの薄闇の中にゆっくりと消えていった。

          tamagoyaki00.jpg

           私は仲たがいしている隣家に出向き、事情を話し、下げたくもない頭をなんべんも下げ、米と味噌と玉子と煮干しと大根を借りた。そして、めしを炊き、大根を刻み、煮干しで出汁を取り、玉子を割り、味噌を裏漉しし、にぎりめしを握った。溢れ出そうになる涙をこらえながらの作業は困難を極めた。口を満足に開けぬほど衰えた母親が食べられる大きさのにぎりめしを握るには私の手は大きすぎた。私は寿司を握る要領で俵型のにぎりめしをひとつだけ握った。炊きたてのめしはひどく熱かったが、その熱さは母親の温もりとも思えた。思いたかった。
           すっかり支度ができあがり、寿命寸前、最後の唸り声をあげる日立の旧式ポンコツ冷蔵庫から大根の味噌汁を取り出した。そして、にぎりめしと玉子1個で焼いたオモチャみたいに小さなオムレツと冷やした大根の味噌汁をひびの入った鎌倉彫りの盆にならべ、母親を抱き起こし、少しずつ少しずつ食べさせた。母親が食べることのできた総量は私の掌の一握りにも満たないわずかなものであったが彼女は満足げだった。

          daikonmisoshiru00.jpg

          「おいしい。すごくおいしい。ありがとう。ありがとう。ありがとう  
           母親は言い、久しくみせることのなかった輝くような笑顔をみせた。その笑顔は薄闇に浮かぶ椿の花のようだった。翌日、母親は春の陽炎のようにひっそりと息を引き取った。その生は波乱と忍従と孤独と困難と困憊に彩られていたが、安らかな死であることを願った。いまも願う。以来、にぎりめしを握ることも、オムレツを焼くことも、冷たい大根の味噌汁を作ることもない。もちろん、寸分たがわずに再現することはできる。再現することはできるが、あのときの「最後のひと塩」に値する一滴、一粒は再現できない。「最後の晩餐」「ダイヤモンド」はたった一度、たった一粒だからこそ価値がある。
           人は生まれ、生き、喰い、死ぬ。単純きわまりないが、そこには深淵、困難、そして慈味、慈愛がいくつも潜んでいる。つまり、どのような人生であれ、相応の「味わい」が用意されているということだ。一生のあいだに食卓に向かう回数は8万回にも及ばぬ。私に残されたのは2万回足らずの食卓だ。残ったすべての食を「一期一会」「最後の晩餐」と覚悟を決めて喰らおうと思う。もちろん、最高の隠し味は空腹、そして、予告なくこぼれ落ちる一粒のダイヤモンドである。

          ブログランキング・にほんブログ村へ



            牌の痕 ── そして、銀座2丁目の路地裏に朝がきて、男たちはそれぞれの戦場へと帰還した。

             
             
            9Ren.jpg
             
             
            泡の時代のまっただ中、1988年の冬。クリスマス・ソングが街のあちこちから聴こえていた。私は血煙を上げながら仕事をしていた。カネはうなるほどあった。いずれ、世界一の大金持ちになってやると思っていた。愚かだった。舞い上がっていた。奢りたかぶっていた。生涯最高最悪にして忘れえぬ麻雀の対戦が迫っていた。

            その頃、私は30歳になったばかりの若造だった。怖いもの知らずの小僧っこだった。心をゆるしたごく少数の年上の理解者をのぞけば、だれにも頭を下げなかった。傲岸不遜を絵に描いたような輩だった。周囲はそれをゆるし、私はそれを当然のことと受け取った。嫌なやつも甚だしいといまにして思うが、当時は露ほどの反省もない日々を生き、浮かれ騒いでいた。

            麻雀牌に初めて触れたのは7歳の秋。おとなたちのやっている麻雀をひたすら観察し、麻雀のルール、約束事、掟をおぼえた。すぐに麻雀に取り憑かれた。

            麻雀卓を囲んだのは麻雀牌に触れてから2ヶ月後の正月である。勝った。勝ちつづけた。最初は笑っていたおとなたちの顔色が少しずつ変わっていき、遂には真顔になった。怒ってわけのわからぬ奇声を発する者まで現れた。

            結局、私の圧倒的な一人勝ち。ほかの3人は箱テンだった。ただ勝ったことが嬉しかったのではない。対戦者を完膚なきまでに叩きのめしたことが嬉しかった。私のそのメンタリティは生来のものである。手加減なし。容赦なし。いまもそれは変わっていない。

            麻雀は運と記憶力と構成力と観察力のゲームである。麻雀の上手下手を技術力の高低のように言う者が時折いるが、私はその考えを取らない。運が7割。あとの3割は記憶力と配牌から和了までをいかに組み立てていくかという構成力と対戦者の心の動きを見抜く観察力である。運、ツキのないときはいくらやっても勝てない。

            私は運気を読むことに長けていた。これも生来のものだ。運、ツキがないと思ったら、どんなに誘われても断る。これは麻雀に限ったことではない。もちろん、運気、潮目を見誤るときはある。最大の誤謬はバブルの時代の引際を見誤ったことである。そして、すべてを失った。

            その泡の時代の全盛期。ある画商から麻雀の代打ちを依頼された。私が麻雀が強いことは関係者の間ではつとに知れ渡っていたのだ。儲けは折半。つまり、山分けである。負けた場合も同様である。レートは1000点棒1本が100万円。箱テンを喰らえば3000万円が消えてなくなるというとんでもない麻雀である。だが、強い運気を感じた。私は二つ返事で代打ちを引き受けた。必ず勝てるという確信に近いものがあった。

            ゲームは12月23日の昼から始まった。場所は銀座2丁目の裏通り、とある雑居ビルの一室。秘密クラブだった。扉は分厚い鋼鉄製で、何重にもセキュリティが施されていた。豪奢な調度類と快適な空調、そして至れり尽くせりの響応。ソファにはマッサージ機能までが備わっていた。およそ麻雀をやるうえで考えうる最上の設備と環境だった。ここでいままでにいったい何百億のカネが動いたのかと考えると自然に武者震いが起った。

            対戦者はいずれも初対面だった。どいつもこいつも顔をてらてらてかてかさせ、ダブル・ブレステッドのスーツを着込み、ヴェルサーチのド派手なネクタイを締め、カルティエやらデュポンやらダンヒルのライターをかちゃかちゃ鳴らしていた。「こんなやつらなら、ひとひねりだ」と私は思った。だが、それは大きなまちがいであったと気づくのに時間はかからなかった。

            麻雀は短編小説を紡ぐのに似ている。配牌は書き出し。但し、これには自分の経験、知識、考え、配慮、好き嫌いは及ばない。ただ厳密には、自分の持っている運気、ツキが目の前の14牌乃至は13牌を配すると言えなくもない。幸運か天運か強運か、はたまた悪運か悲運か。それはこの際、問題ではない。この段階の最高の運は和了していること。すなわち、天和である。天和を和了すると命運が尽きて命を失うなどというのは妄言である。麻雀ごときで命を失うような命運なら尽きてしまったほうがよっぽどいい。

            次は第1ツモもしくは対戦者の捨て牌による和了である。ツモって和了すれば地和。対戦者の捨て牌で和了すれば人和。ルールにもよるが、いずれも役満貫である。

            そして、いよいよ次のフェーズからが麻雀本来の醍醐味である。牌をツモる。手牌の組合せは98,521,596,000通りある。役の高低の別はともかく、98,521,596,000通りの中に和了は存する。すでに手の内にある牌の順列組み合わせ、確率、場に捨てられたそれぞれの牌種、ゲーム全体の流れ、対戦者の顔色、表情、仕草、発言、そして自分の勘の冴え、閃きの確度等々について勘案する。それも短時間のうちに。ここでモタつくとゲーム全体の流れを乱し、自分の運気にも影響を及ぼしかねない。

            私は確率論的にもっともツモる確率の高い牌種から順番にプライオリティをつけ、どの牌をツモったらどの牌を捨てるかツモる前に決めておくからツモと同時に打牌を行う。対戦者へのプレッシャーの意味合いもある。もっとも、対戦者のポン、チーによってそれが乱されることもある。これはいたしかたない。なにごとも思うようにはいかないというのは麻雀においても言えることなのだ。そして、和了へ向けて物語はつづく。

            臨機応変、変幻自在にストーリーを変えながら和了することができればそれは物語のひとつのオチである。当初に想定したとおりの役で和了できたときの快感はたいへんなものだ。和了がれなければオチなし。どんなに手役がよくても、たとえ、九蓮宝燈を聴牌していても和了できなければオチのない役立たず、駄作以下ということになる。

            さて、箱テン3000万円麻雀は静かに幕を開けた。ゲームは対戦者全員気負いもなく、スムーズに進む。つまらぬ鳴きがないのはいい傾向だった。「喰いタンヤオなし。役の完全先付け」ルールが功を奏した格好だ。

            私の下家がいきなり清一色をツモ上がり。レイトン・ハウスの専務だった。名うての地上げ屋。顔に覚えはある。1200万円を手にしても眉ひとつ動かさず、涼しい顔をしている。クールだった。

            1荘。2荘。3荘。4荘。5荘。6荘。7荘。8荘 ── 。一進一退の攻防がつづいたが、私はジリ貧だった。終局し、集計のたびに数百万円の札束がボストンバッグから消えていく。焦りがなかったといえば嘘になる。だが、必ず勝利できるという確信に微塵も揺らぎはなかった。

            「最近の地上げはどうですか?」と株式投資コンサルタント会社の社長が言った。
            「ほんなもん、ぼちぼちですわ」と第一不動産の常務が答えた。締まりのない関西弁に虫酸が走る。私がもっとも忌み嫌うタイプの男だった。
            「赤坂9丁目の物件、どないしましょ?」
            関西弁男がレイトン・ハウス専務に言った。レイトン・ハウス専務はカプリを1本抜き出して火をつけ、深々と吸い込んだ。そして、答えた。
            「仕事の話はやめましょう。きょうは遊びにきたのでね」

            箱テン3000万の麻雀が遊びか。やはり、クールなやつだ。この男とはいい付き合いができると思った。暗黙のうちに、私とレイトン・ハウス専務VS関西弁男と株屋という対立図式が出来上がった。負けは数千万にのぼっていたが、不思議な闘志が湧いた。どのような戦いにも戦友は必要である。

            そして、ついに最終荘。南場最終局、起家。配牌はマンズ気配濃厚。ドラの五萬と南はトイツだ。アンコにすれば、それだけで四翻。ソーズとピンズの端牌が混ざっている。清一を狙うか。ドラをアンコにして南一翻を加えたうま味を活かすか。迷った。大いに迷った。そして、決めた。

            打牌、五萬。誰ともなく、「えっ」という嗚咽が洩れる。流局はすでに8度。親である私の卓の右隅には8本の100点棒と12本のリーチ棒。1280万円が無造作に並んでいる。リャン翻縛り。これで、安い手役で上がる道は閉ざされた。

            最終章は静かに進んだ。緊張が徐々に高まる。中盤すぎ、それまでの5巡、ツモった牌をすべて牌中に収めていた関西弁男がドラ切り。表情と顔色と仕草から見て、かなりの好手であることがわかる。レイトン・ハウス専務がすかさずチー。これで流れが変わった。

            私は勝負に出た。意識は冴え冴えと澄みわたり、すべての流れが見通せた。勝てると思った。勝ったと思った。

            待ちに待ったカンドラの九萬が入る。六萬九萬の聴牌。次巡、六萬をツモり、和了。ツモピンフサンショクドラ1。親マン。凡庸きわまりない。和了役と点数と負けている分を差し引きする。負け越し。場を見る。私が喉から手が出るほど欲しいのは九萬だ。

            四枚のうち、私の手牌の中に1枚。そして、場に2枚。残るは1枚。どうしても欲しい最後の1枚。牌の山に眼を凝らす。次のツモは海底牌だ。

            考える。再度、海底牌に眼を凝らす。考えをめぐらす。だめだ。こんなつまらぬ手役できょうの物語を終わらせるわけにはいかない。こんなことのために困難な戦いをつづけてきたのではない。これは誇りに関わる問題である。

            さらに、海底牌を見る。じっと視る。凝視する。見えている部分をすべて視る。そして、私はこの和了を捨てることに決めた。

            ゆっくりと和了牌の六萬に指を伸ばし、掴み、打牌した。天の意思も大地の歌も人間の息づかいも河の流れも海のうねりもすべて視えた。心は穏やかで晴れ晴れとしていた。


            9Man.jpg


            「男前リーチ!」

            私は打牌と同時に宣言した。対戦者の驚く表情が愉快でならなかった。最後のツモ、最後の九萬にすべてを託す。

            場が一気に緊張する。下家のレイトン・ハウス専務は淡々とした表情でツモり、迷うことなく現物牌を捨てる。同じく、株屋も現物打牌。さんざん迷ったあげく、関西弁男は六萬を打牌した。「ドラ4やったのになあ」の女々しく醜い言葉とともに。

            そして、そのときはきた。私は海底牌から一刹那さえ眼をそらさず、手を伸ばし、やさしく指先で牌にふれ、その感触を味わった。指先から温かく深く確実なものが流れ込んでくる。眼を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出した。牌を持つ腕をゆっくりと振り上げ、振り下ろす。私は牌面を確かめることもなく、人差し指と中指と親指でつまんだ牌を卓上に叩きつけた。

            「ツモッ!」

            リーチ一発ハイテイツモピンフジュンチャンサンショクイーペーコードラ5。

            門前清自摸和海底摸月平和三色一盃口同順純全帯ヤオ九ドラ5(興味のある方はこの和了を計算していただきたい)。さらに、オーラスの変則青天井&倍々ルール。

            勝った。対戦者の感嘆の声と深い溜息。逆転勝利。しかも大逆転勝利。結局、私の懐には2億円近いカネが転がり込んだ。もちろん、そのカネも数ヶ月後には泡と消える運命ではあったが。しかし、反省も後悔も一切していない。反省やら後悔は頭のよろしい方々にすべてお任せしてある。私の係ではない。

            さて、なぜ私は最後の九萬に賭けて、あえて和了牌である六萬を捨てたのか?

            牌の痕である。九萬牌の右上隅についていた微小微細な痕によって、私は私がツモる海底牌が九萬の最後の一枚であることをわかっていたからである。

            長く険しい戦いを終え、我々は明け方の銀座に出た。4人とも実に晴れ晴れとした顔をしていた。銀座4丁目の交差点まで歩き、握手を交わし、いつかの再会と再戦を約束した。そして、それぞれの戦場へと帰還した。

            再会も再戦も果たされぬまま四半世紀の歳月が過ぎた。そのあいだに泡は弾け、一人は自死、一人は自己破産、レイトン・ハウス専務は国外逃亡中である。私が麻雀卓を囲むことはもはやない。私の傷は癒えた。牌の痕もいつか消える。奇跡は二度あるものではない。

            1988年冬、泡の時代のクリスマス・イヴ。和光前で聴きたかったのはナット・キング・コールの『メリー・クリスマス・トゥー・ユー』だったが、聴こえてきたのはビング・クロスビーの歌う『ホワイト・クリスマス』である。ツモったのは白ではないし、雪も積もらなかった。この人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。



               

              東京美味礼讃#1 神楽坂・伊勢藤のこと

               
               
              kagurazaka01.jpg

               序の口/縄暖簾に腕押し
               神楽坂にいい飲み屋がある。店の名を「伊勢藤」という。本物の江戸前言葉とうまい酒に小粋な肴、ゆったりとした時間を楽しみたかったら伊勢藤へ行くがいい。そこは都会の喧噪ともうわっ面の華やかさとも無縁である。
               飯田橋の駅で降り、外堀を越えて神楽坂を登る。登りきる少し手前の細い石畳の路地を入ったところに伊勢藤はある。二階建て木造。古い仕舞屋風のたたずまい。注意しないとそのまま通りすぎてしまいそうな質素な店構えである。建築探偵の藤森照信や赤瀬川トマソン原平も一度は偵察に来ているはずだ。看板らしいものといえば、「伊勢藤」と筆書きされた小さな雪洞ひとつきりである。それさえ、ずいぶんと控えめである。障子窓をとおして、やわらかな光が店の外にこぼれている。格子戸をくぐる。引き戸を抜ける。気持ちがほぐれていく。
               薄暗い店の中にはひそやかな話し声と酒を注ぐかすかな音とがある。五、六人も座ればいっぱいになってしまうような突き板の台に囲まれた囲炉裏の前に店主が座っている。見れば超一流の酒飲みの顔である。座敷も小上がりもあるが、店主の顔の見えるこの席がいい。

              isetounoren01.jpg

               十両/縄暖簾をくぐる
               もうとっくの昔に死んでしまったが、好きな噺家で金原亭馬生という酒飲みの達人がいた。五代目古今亭志ん生の長男である。古今亭志ん朝の長兄でもある。馬生は高座に上がるとき、出囃子の『鞍馬』に合わせて踊るように出てくるのだが、足元はいつもふらついていた。楽屋で酒を飲んでいるのである。顔はすでに赤く、目尻は緩んで垂れ下がっている。父親の志ん生は高座で眠りこけたが、息子は高座で酔っ払うのだ。もちろん呂律はまわらないが、それでも噺に味があった。伊勢藤の店主は顔の艶とか雰囲気とか物腰がこの馬生に似ているのである。よほどの酒飲みでなければ、こうはなるまい。そんなことを考えながら、店主の顔をみ、酒を飲んでいるとますます似てくるから不思議である。

              bashou01.jpg

               店主は藍染の前掛けをきりりと締め、客の注文に手際よく応対する。身のこなしのひとつひとつに年期が滲んでいる。ときどき、店主は思いついたように独り言をつぶやく。わたしはその独り言が始まるのがいつも待ち遠しい。このごろは滅多に耳にすることのない粋な言葉である。歯切れがいい。正真正銘の江戸弁である。噺家の口調にも似ている。名人の一席を聴いているような気になる。気分が良くなる。もちろん、酒もうまくなる。

              sakana03.jpg

               前頭筆頭/酒と肴と器と店と
               座るとすぐに突き出しが出てくる。蕗を炊いたのだの切り干し大根だのきんぴら牛蒡だの塩辛だのの手料理が小鉢に少量だけ出されるのである。一見するとどうということのないものだが、どれも手抜きや妥協のいっさいない立派な料理である。つつきながら酒を飲む。酒を飲みながら、またつつく。酒は灘の辛口『白鷹』である。店主の長年の酒遍歴の末にたどりついた銘柄だという。一本、ぴんと筋の通った酒である。爽やかである。凛としている。
               店主が薦樽から徳利に注ぎ、囲炉裏の火で燗をつける。きりりとした喉越しが心地よい。いくらでも飲めるような気がする。いくらでも飲みたくなる。肴に幾品か注文する。経木に手書きされたお品書きをながめ、どれにしようかと迷いながら酒を飲むのがまたたのしい。たたみいわしやえいひれや烏賊の黒造りなど、酒飲みにはたまらないものばかりだ。喉が鳴る。酒がすすむ。酔う。
               注文した肴が出てくる。いい器にほどよく盛りつけられている。お猪口から皿、小鉢にいたるまで、どれも趣味のいいものばかりである。よく使い込まれていて、実に味わい深い。店で使う食器のすべては店主が折にふれてひとつひとつ集めたものであるという。店主の趣味の良さが知れようというものだ。
               酒も食い物もうまいが店の者がいただけないということがよくあるが、伊勢藤についてならそんな心配はこれっぽっちもいらない。心配どころか大満足だ。それでもまだ不足なら、河岸をかえるしか手はないとも思える。それほどの店だ。

              hakutaka01.jpg

               酒は白鷹だが、大関/酒は静かに飲むべかりけり
               酒は文句なしにうまい。食い物だって本物だ。店主にいたっては名人、達人の風格を漂わせている。客に媚びを売るというようなことは毛頭ないが、かといって、お高くとまっているのでもない。うまい酒をうまく、うまい食い物をうまく楽しませるための基本がきちんと行なわれているだけの話だ。
               伊勢藤ではおちゃらけや馬鹿騒ぎはいっさい御法度である。無駄口も無用である。ただ酒を飲めばよい。ゆっくりと静かに酒を飲み、ただ酔うだけでいい。「酒は静かに飲むべかりけり」である。小粋でうまい料理を食い、ただ酒を飲むためだけに足を運べばよいのである。ほかには何もいらぬ。それができそうにないなら、伊勢藤には金輪際近づかぬがよかろう。飲み屋はほかにいくらでもある。
               店が一流なら客も一流にならなくてはいけない。店が一流でも客が二流なら、その店はやがて二流になる。店が二流でも客が一流なら、その店はいつか一流になる。そういうものだ。

              thewrongcase01.jpg

               天下無双の雷電為エ衛門ここにあり。酔いどれのほっこり、千秋楽/「酒飲みの本懐である」
               さて、こちらの酔いも頃合になってくると、それを見てとった店主のひと声で、まずそら豆の煎ったのが一合桝に入って出てくる。そら豆をふたつみっつつまんで口に放り込む。香ばしい。口の中がさっぱりする。次に自家製の梅干しが出る。時間と手間を惜しまずに漬け込まれた逸品である。そら豆も梅干しも、「きょうはこのあたりでおやめなさい」という店主の無言の忠告である。この忠告は素直に聞いておいたほうが身のためというものだ。
               梅干しをしゃぶり、濃いめのほうじ茶などを啜っていると、充実した酔いは悦びにさえ変わってくる。この悦びこそ酒飲みの本懐だろう。「酒飲みの本懐」とは御大層な話だが、それくらいの気分になる。一流の酒飲みが伊勢藤から何人も育っていったにちがいないとさえ思えてくる。酒の飲み方を知らぬ者はここでそれを学び、本物の酒飲みはさらに磨きをかける。伊勢藤とはそういう店だ。伊勢藤で飲んでいると、自分などはまだまだ酒飲みのとば口に立ちはじめたにすぎないことを思い知らされる。

              bishamonten01.jpg

               充実した酔いが悦びに変わり、店主の顔がいっそう赤らんでくる頃、店を出る。このとき、「お愛想」のひと声とともに、店主に気の利いたせりふのひとつも言えれば、もうれっきとした伊勢藤の馴染みである。
               伊勢藤を出て、毘沙門さまにお参りしてから近くの「五十番」で名物の中華饅頭など土産に買って帰れば家内は安泰である。あつあつの中華饅頭を掌に感じながら神楽坂をくだり、飯田橋の駅に向かう。外堀を渡ってくる風に身を任せながら、また一歩本物の酒飲みに近づいた自分に気づくのは悪くない。かくして、本日も東京は「酔いどれの誇り」のごとくに天下太平楽である。

              50bannikuman01.jpg

              ブログランキング・にほんブログ村へ



                「アフリカへの憧れの旅」から帰ってきた永遠のギター・モボ

                 
                 
                MOBO00.png

                 トーチカの深い穴ぐらからワタナベカヅミは出てきた。ブルー&レッドのキリンにまたがっていた。体型はあいかわらず小型冷蔵庫だったが颯爽としていた。ブルー&レッドのキリン上のワタナベカヅミはストラップを前に持ってきて、よく使いこまれたオベーションの12弦ギターを佐々木小次郎のようにかついでいた。その姿はさながら百戦錬磨の剣豪を思わせた。チュニジアの夜の闇の光がワタナベカヅミの顔を照らすと、ワタナベカヅミは少し目を細めた。

                kylyn01.jpg

                 最後にワタナベカヅミに会ったのは19年前、「ナカムレサダノリ先生の還暦をお祝いする会」のパーティー会場だった。パーティーは渋谷の桜丘町にあるヤマハ音楽教室本館・大会議室で行われた。パーティーが終わるころ、ワタナベカヅミはオベーションの12弦ギターを持ち、ナカムレ先生のそばに近づいた。
                「『マイ・ミスター・ギターマン』という曲です。ついさっきできあがりました。ナカムレ先生に捧げます。先生、聴いてください」

                DOGATANA01.jpg

                 ワタナベカヅミはぼそぼそとひとり言のようにつぶやいた。そして、用意された椅子に座ると目を閉じ、しばし考えこみ、ギターを弾きはじめた。幾千億の鈴がいっせいに鳴りわたった。そのように聴こえた。グルーヴィー&クール&ハートウォームこのうえもない、心のこもったすばらしい演奏だった。参加者の中には肩をふるわせてすすり泣く者までいた。私だ。ナカムレサダノリ先生は奥様から渡されたターコイズ・ブルーのハンカチで何度も目頭を押さえた。それくらいいい演奏だった。もしかしたら、『DOGATANA』とともにワタナベカヅミの数ある名演の中でもトップ3に入るかもしれないとそのときの私は思ったものだ。残念ながら、このときの『マイ・ミスター・ギターマン』はいまにいたるもレコーディングされていない。おそらく、そのあたりがワタナベカヅミの心意気、仁義、心映えなのだろうと思う。「キリン・サーカス団の名において、ナカムレサダノリ先生にだけ聴いてもらいたい」と。

                tochika00.png

                「おい、ワタナベカヅミ!」
                 私が声をかけるとワタナベカヅミは冷蔵庫みたいに頑丈そうなからだに気を漲らせ、一瞬だけ身がまえ、すぐに顔中をしわくちゃにして笑った。なつかしいモジャモジャつるつるした笑顔だった。「おまえ、太ったな」と私が言うと、ワタナベカヅミは答えるかわりに『Over the Rainbow』を弾いた。
                 私とワタナベカヅミはJ.S. バッハの身長のことや、天国につづく階段の段数のことや、天国の住宅事情のことや、お互いの翼がめっきり年老いたことや、ワタナベカヅミの大好物の桃のことや、星影で歌うステラちゃんの髪の色のことや、シェルブールでなくした雨傘をカトリーヌ・ドヌーブがホテルまで届けてくれたことや、クレオパトラが毒蛇に噛まれる直前に見ていた夢のことや、宇宙へ向かって思いきりジャンプするコツや、二人で夜通し語り合い、酒を酌みかわしたチュニジアの『されど、われらが日々』のことや、月の砂漠を二人ならんでラクダに揺られながら「渋谷の新華楼のシュウマイを何個たべられるか?」について議論したことをなつかしく、そしてとても気持ちよく話し合った。時間はまたたく間にすぎ、ワタナベカヅミは旅の仕度をはじめた。

                KAZUMIWATANABE03.jpg


                「”いい日計画”は毎日でも立てようぜ」とワタナベカヅミは言った。
                「もちろんだ」と私は答えた。
                 ワタナベカヅミは私が言い終えるやいなや、ブルー&レッドのキリンに飛び乗り、ものすごいスピードで砂漠にかかった虹の彼方へと消え去った。まったく! あいかわらずすばしこいやつである。

                ブログランキング・にほんブログ村へ



                  「フランツ株価有料化」の衝撃、宇宙に走る!

                  kafka02.jpg

                   グレゴール・ザムザ氏がカブト町2丁目1番地先、カブカの海辺の蕪の家の株価下から追証惨殺体で見つかった事件を受け、フジョーリ政府はけさ、フランツ株価の全面有料化に踏み切る方針を示した。なお「グレゴール・ザムザ殺人事件特別捜査本部」はグレゴール・ザムザ氏殺害の重要参考人として、株の先物取引をめぐるトラブルからグレゴール・ザムザ氏にがぶり寄りをくらわせ、もってこれまた同氏に全治2週間のけがを負わせたうえ、同氏経営の株式会社ブンダンから多額の資金を持ち逃げした元サッカー選手、ハルキンボ・ムラカーミ(昨年、授業中にスパゲティ・バジリコを盗み食いした不祥事で渡瀬恒彦早稲田圃大学付属ノーベル小学校を除籍処分)について強盗、傷害、横領、詐欺、羊男の脳味噌をちゅるちゅるしたあげくに全身の皮膚を剝いでジンギスカンした蒙古罪、加納クレタと加納マルタ及び208と209の両姉妹との双生児姦通罪、不全感、ナイーヴなロースハム、中国行きの貨物船、街とその不確かな壁、午後の最後の芝生、蛍、その他の短編、納屋を焼いた連続放火の容疑で逮捕状をとるとともに、グレゴール・ザムザ氏殺害に関してもなんらかの事情を知っているものとみて、その行方を追っている。

                  kafka01400400B.jpeg

                  「フランツ株価有料化」の衝撃、M16星雲にも飛び火。ウルトラマンタローも実体解明に乗り出す。
                   M16星雲の最大の仕手集団、NGO法人超人一家を率いるウルトラマンタロー氏は「フランツ株価有料化」の推移を見守り、時期をみて「3分間ルール」を遵守したうえで本格的な仕手戦に打って出る模様。この際、ABCマート安売下足予想の証明で名を馳せた兄弟船大学哲学の小径査読要員の望月新一氏を特別顧問としてサイエンティフィック・ネイチャリング・チャネリングし、「宇宙際タイヒミュラー理論(Inter-universal Teichmuller Theory)」を駆使した最新のデリバティブ、リスクヘッジ手法を投入するという。フジョーリ政府も超人一家の動きを注視し、警戒を強めている。

                  ULTRAMANFAMILY400400A.jpg

                   フランツ株価の全面有料化決定を受け、経済界に戸惑いの声。
                   フジョーリ政府が11月16日午後、「フランツ株価の全面有料化」を閣議決定した旨発表したことを受け、経済談合連合屋(経談屋)は次のような談話を発表した。
                  「まことに強い驚きをもって受けとめている。経済の軸足が安定化の兆しをみせつつあるなか、政府がこのような措置をとるにいたった背景と経緯について可及的速やかに情報収集につとめ、慎重に分析のうえで経談屋としても今後の対応を決めたい」
                   経談屋の米倉(最近、息の臭さが一段と増した上に息づかいも荒くなってきて老い先も長くなさそうでよかったよかった)弘昌居座り会長はこの事態を受け、さらに品性が劣化方向に下方修正されることを余儀なくされた。米倉会長の周辺では「枯れ葉剤被害者の怨念の影響が出始めているのでは」との声が強い。また、「ゴム屋の倅ごときが経談屋の会長とはおこがましい。とっとと長田に帰るべきだ」との声も聴かれる。

                  ogurazura06400400A.jpg

                  ogurazura07.jpg

                  ogurazura00.jpg

                   フランツ株価有料化の衝撃で、オヅラのヅラも吹っ飛ぶ!
                   ドイツ・ドルトムントからの情報によれば、ブリトニー・インベスターズ(愛称ブリブリッちゃん)と浮き名を流したことで世間をあっと驚かせたオヅラトモアキさん(タレント? 万物評論家?)もフランツ株価有料化問題で損失をこうむったうちの一人だという。
                   オヅラさんはウジテレビの会見室でブリブリッちゃんとの交際を認めたうえで次のように語った。
                  「あざーす! ブリブリッちゃんの件はプライヴェートな問題ですのでカンベンしてください。あー、それと今回のフランツ株価有料化で相場は大暴落。ボクも大損害ですよお。実家の食堂を処分して追証の資金を手当しなきゃなりまっせん! え? 特ダネですか? もちろんつづけますよ! 生命線ですから! では、これでしつれしゃーすっ!」
                   そして、ものすごい勢いで一礼をしたときに「事件」は起こった。例のヅラがぶら下がりのマスコミ関係者のほうへ吹っ飛んでしまったのだ。オヅラさんの消息とともにヅラの消息もいまだ不明である。

                  suzuki01400400.jpg

                  kanda01.jpg

                  NISIYAMA00.jpg

                   続報! オヅラトモアキ氏失踪の裏で謎のズラ師軍団が暗躍!
                   LFBS(LIE-FIELDS-BROADCASTING-SYSTEM)はヅラ問題に詳しい関係者から独占情報を入手した。関係者によるとオヅラ氏のヅラ吹っ飛び事件とその後の失踪はズラ師軍団なる不良外国人集団により巧妙に仕組まれた罠であるというのだ。ズラ師軍団の活動が活発化したのはミナミへの対抗意識をむき出しにするキタ新地のチャン・グンサマが敵対的大量株保有を宣言して以来といい、さらには、国際社会の非難を無視して戦略的株実験を強行したことをきっかけに、一部の株部強硬派がチャン・グンサマの指導力強化を狙ったものという。
                  「ズラ師はなんでもかんでもずらします。だれにも気づかれないうちにテレビの位置もずらします。国境線もずらしてしまうんです。ですから、ヅラをずらすくらいお茶の子さいさいなんです。オヅラさんが毎朝、”あざーす!”と叫んでいたのがチャン・グンサマの逆鱗に触れたのだというのがキタの政府高官からえた情報です。ほかにも何人か、ズラ師軍団の標的になっているかたがいます。日本音響研究所の鈴木松美所長、神田神保町正輝、加山(言っちゃうよ言っちゃうよ)雄三、田原俊彦、職場ファックでフグスマに飛ばされた経産省官僚の西山(環太平洋村)英彦、軍事評論家の江畑憔悴の各氏です。この方々は今後じゅうぶんな注意と警戒が必要です。え? 江畑さんはとっくに亡くなってる? ズラ師軍団の仕業です。まちがいありません」
                   このように語った関係者の額には汗がにじみ、生え際からリーブ21のタグがはみ出していた。

                  NISIYAMA01.jpg

                   フランツ株価有料化問題急展開! 現職総理のインサイダー取引き疑惑発覚
                   フランツ株価有料化問題で大揺れに揺れたナガタ町に衝撃が走った。なんと、フランツ株価の有料化は木偶野田土左衛門首相が市場の株を安値で買い占めるための「手段」だったというのだ。官邸サイドはこれを真っ向から否定。しかし、与党幹部の中には木偶野田首相の進退も含め、党としての態度を早急に決めなければ難局を乗り切れないと指摘する声が多数上がったという。木偶野田内閣の今後の政権運営が注目される。

                   フランツ株価有料化問題に関する機密文書流出。木偶野田土左衛門首相辞意も。
                   フランツ株価有料化をめぐる問題で現職総理のインサイダー取引き疑惑につづいて、あらたな火種が飛びだした。「フランツ株価の当面の推移と予想される市場の反応」と題された文書の存在があきらかとなったのだ。この文書の詳細については不明だが、おおよその内容はフランツ株価が有料化された場合に市場がどのように反応するかが述べられており、さらに、株価の下落にともない、どれくらいの資金を調達すれば株式市場を独占できるかについてタイムテーブル付きで分析しているという。実際、株価についてはほぼ全面安の展開をみせており、ある証券市場関係者によれば、フランツ株価有料化によっていったいどこまで株価が下落するのか予想もつかないと落胆の色をかくせない。同関係者は「まるで中世暗黒時代に逆戻りしたような気分だ」とつけくわえた。いっぽう、フランツ株価有料化問題でインサイダー取引きが取りざたされた木偶野田土左衛門首相は11月20日未明、周囲に辞意を漏らした模様だ。事態はますます混迷の色を濃くしている。

                  lindaron01400400.jpg

                  lindayama01.jpg

                   山本リソダ、リソダ・ロソシュタットと「フランツ株価有料化問題」をめぐり乱闘!
                   歌手で美容整形評論家の山本リソダさんが11月19日、ロサンゼルス空港の出発ロビーで歌手で失恋問題研究家のリソダ・ロソシュタットさんとつかみ合いの乱闘をしていたことが、現地在住の裏ねとらじDJウォッチャーからのチクリでわかった。二人はSGI(創造学会インターナショナル)ロサンゼルス支部婦人部長の座をめぐって以前からことあるごとに対立しており、それに加えて今回の「フランツ株価有料化問題」によって資金源を失ったかたちの二人が年甲斐もなく暴れはっちゃくしたものとロサンゼルス在住の裏ねとらじDJウォッチャー、チンコロヌス西村氏は語った。[ロイシャイダー電]

                  注:写真と本文は大いに関係があります。

                  ソス・ド・ヴィは
                  オー・ド・ヴィへ

                  ブログランキング・にほんブログ村へ



                    移動祝祭日通信#1 [ヘミングウェイ・ゲーム]のための準備運動

                     
                     
                    hemingway01.jpg

                    [ヘミングウェイ・ゲーム]は選ばれし者たちのためのゲームである。[ヘミングウェイ・ゲーム]は「失われし誇り」を取りもどすためのゲームでもある。ゆえに、いくぶんかの「痛み」をともなう。[ヘミングウェイ・ゲーム]に参加するためには、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイの密やかな愉しみについて熟知していなければならない。これが第1番目のハードルだ。ただし、ヘミングウェイの密やかな愉しみを知ろうとし、かつその痛みをわがものとする覚悟のある者、痛みを新たに作り上げてしまおうとする者には当然に参加資格が与えられる。
                    [ヘミングウェイ・ゲーム]に参加するための鍵、ヒントはいたるところに巧妙に隠されている。思いもよらぬ場所、時間、状況にそれらは突拍子もなく出現し、突如として消滅する。運と忍耐と、そしてこれが重要な点だが、「発想・思考のジャンプ」が効果を発揮する。時代遅れもはなはだしい秤の類いを生業の糧としていた赤井計器商会が、一夜にして Negozio di Torta Rosso なるスウィーツ・ブティークに衣替えしたとしても、このていどではジャンプとはいえない。毎分15回の反復横跳びのレベルにすぎない。これらのことは、本番の[ヘミングウェイ・ゲーム]でも通用するはずである。通用するようにゲームは構築されている。
                    [ヘミングウェイ・ゲーム]は年に1度、復活祭の当日、日付のかわる午前零時ちょうどにはじまる。[ヘミングウェイ・ゲーム]に「ゲーム・セット!」のコールはかからない。なぜなら、[ヘミングウェイ・ゲーム]は終わりなきゲームだからだ。ゲーム・セットのコールはないが、勝者はいる。いてほしいものだ。
                    現在、68173名の「勇者」が日々、世界中で[ヘミングウェイ・ゲーム]に興じている。[ヘミングウェイ・ゲーム]に「時間的優位」はない。そもそもありもしない「時間」をゲーム進行上の条件に組込むような愚は犯さない。いつゲームをはじめても、参加者はおなじ条件下にある。いまだかつて「公平」は世界に存在した試しはなく、[ヘミングウェイ・ゲーム]も「公平」については保証できないが、厳正究極の「公正」は保たれている。[ヘミングウェイ・ゲーム]の公正さは後世に語りつがれるべきでさえある。

                    跳べ! 愉しめ! そして、勝て!

                    (参考)
                    ゲームの途中で脱落した者1879名。家庭崩壊の憂き目にあった者3257名。行方不明者232名。被逮捕者並びに被拘禁者738名。医療施設収容者7258名。死者17名。現在までの[ヘミングウェイ・ゲーム]の勝者:0名

                    ●参加費その他の金銭的経済的負担:なし
                    ●個人情報の提示:不要かつ無用
                    ●必要なモノあるいはコト1:ネットワークに接続するための機材ならびに通信回線
                    ●必要なモノあるいはコト2:前記1を使いこなすスキル。
                    ●必要なモノあるいはコト3:固有時との対話によって研磨された固有のID(HN)。
                    ●必要なモノあるいはコト4:スプーン1杯分の知恵、知識、教養、頓知の類い。
                    ●必要なモノあるいはコト5:勇気。

                    [ヘミングウェイ・ゲーム]の勝者と認定されるための条件】
                    世界のいずこかにある[真実の勝利の門]の扉を探しあて、押し開くこと。[真実の勝利の門]が隣人のドア、水道の蛇口、東京電力の請求書である可能性を捨ててかかってはいけない。[真実の勝利の門]には次の言葉が刻まれている。

                    Juste ce qui commenceront a savoir si la lumiere de journee ne comprend pas la profondeur de l'obscurite de nuit devrait traverser cette porte.
                    (昼の光に夜の闇の深さはわからぬと知る者こそこの門をくぐるべし。)


                    victorygate01.jpg

                    (注:[世界]はリアルだけとはかぎらない。いまや、リアルは[世界]性を失いつつあり、いっぽうのヴァーチャルはじゅうぶんに[世界]の要件をみたしているばかりか、[世界]性においてはリアルをしのいでいるという指摘さえある。)

                    主催:ヘミングウェイ・ゲーム実行委員会(HGEC)
                    協賛:アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ・ファウンデーション(EMHF)
                    後援:フリーメーソン&サンズ・カンパニー・リミテッド/グレート・パンアメリカン・エア・ライン・コーポレーション(greatpanam-airline.com)


                    さて、[ヘミングウェイ・ゲーム]に参加する勇者はいるか?

                    ブログランキング・にほんブログ村へ




                       

                      黒髪に恨みは深く

                       
                      zinphoto01.jpg
                                                        Photo by ZIN

                       遠い春の夜、稲村ケ崎の断崖から海中に身を投げようとしたとき、うしろからきれいな声が聴こえた。 
                      「ごいっしょしましょうか?」  
                       ふりかえると長い黒髪の美しい女が立っていた。恐ろしい体験だった。以来、春の海には近づかない。

                      「ごいっしょにいかがですか?」
                       うしろから声がした。妻がコーヒーカップをふたつ持って立っている。ひと晩で腰のあたりまで伸びた艶やかな黒髪が春の生あたたかい風を受けて揺れている。どこにも逃げ場はない。


                      ブログランキング・にほんブログ村へ



                        東京美味礼讃#2 居酒屋・丸十(港区麻布十番2丁目)

                         
                        BrillatSavarin01.jpg

                         六本木ヒルズを目指す人々で色めきたつ麻布十番商店街の一本裏手の地味な通りに「居酒屋・丸十」はある。創業は1980年代半ば。老舗というには及ばないが、すでにして麻布十番の地にどっしりと根を張っている。地元の長老が定刻どおりやってきては「いつもの席」で盃を傾ける姿を目撃できる店だ。流行や向こう受けを狙うような軽佻浮薄さとは無縁である。
                         夕暮れ前、麻布十番温泉がまだ存在していた頃は湯につかり、じゅうぶんに英気を養ったところで向かうのは「居酒屋・丸十」か、もつ焼きの「あべちゃん」と決めていた。向かう際、たとえ遠回りになることがわかっていても、裏通りを歩く。さすれば、「あなたも大事なものを失う。」なる花泥棒への警告文やら犬糞始末のお願い文やら「オトコ、浴衣あります。」という謎の宣伝告知文やらといった「稀少物件」を目撃できるからだ。(存外、知られていないが、麻布界隈は「稀少物件」の宝庫である。)
                         わが五臓六腑は一刻もはやい般若湯の摂取を要求するが、五臓六腑どもの要求をおいそれと受けつけるわけにはいかないし、お愉しみは後回しにしたほうがよほどありがたいというものだ。「武士は喰わねど高楊枝」たる態度は品格品性を涵養するための必要欠くべからざる要件でもある。
                         さて、本邦において店で酒を飲む愉しみがいつ始まったのかついては詳らかではないが、江戸初期にすでにあった「煮売り屋」を居酒屋の嚆矢とする向きもある。「煮売り屋」は野菜や魚介の煮つけたものを行商や屋台で商う商売で、現在なら、さしずめ惣菜屋か仕出し屋にあたろう。「煮売り屋」のほとんどは立ち食いであった。最初の飲食店を蕎麦屋とする説があり、また、浅草・金龍山浅草寺の門前にできた「奈良茶」が飲食店の元祖であるともいわれる。明暦三年の大火頃、俗にいう「振袖火事」のあとだ。客に出すのは茶飯(豆の類いを混ぜた茶飯を茶漬けにしたもの)、煮しめ、煮豆、豆腐汁。このような茶漬飯屋は現代のファースト・フード店といった印象をぬぐえず、「飲み屋」の雰囲気とはほど遠いものであったろう。
                        「居酒屋」なる呼称は十返舎一九『東海道中膝栗毛』中に散見される。作品中にみえるのは「居酒屋」と「居飯屋」である。十返舎一九の時代は酒を飲む店と飯を食う店が分けられていたようだ。
                         さてさて、「居酒屋・丸十」である。店主はこれまで銀座を皮切りに東京の中心部で数々の飲食店を手広く手堅く営んできた「飲食のプロ」だ。その店主がみずからの「美食人生」の経験をもとに独学で身につけた数々の料理、酒の肴が饗される。事実と経験の集積による本物の、そしてまちがいのない酒肴の数々が「居酒屋・丸十」にはある。十返舎一九も曲亭馬琴も鶴屋南北も山東京伝も、そして、かの朴念仁、本居宣長でさえ「居酒屋・丸十」に足繁く通ったにちがいあるまいと思える。洗練や洒脱や軽妙はないが、いずれの料理もしっかりどっしりうまい。おふくろの味もあればおやじどもが思わず舌なめずりしそうな肴もある。
                         煮物、和え物、焼き物、炒め物、もつ焼き、そして、魚の干物、焼き魚。これらの味は一流店に引けを取らない。しかも、お代はその半額以下と思えばよろしい。おまけに、「これこれ、こういうものが喰いたい。」と店主に所望すれば(もちろん、見目麗しく、にこやか鄭重に)、即時とまでは言わないが、早ければ翌日には食せる。これは有り難いことだ。
                         若者が「おとなの味、酒の飲み方」を身につけるための修練の場として通うのもたいへんにけっこうなことである。おすすめしたい。やれフレンチだ、やれイタリアンだ、やれエスニックだのと浮かれ騒いでいる場合ではないことにそろそろ気づかなければならない。
                         店主の饗応の態度は、そこはそれ、プロ中のプロである。心配暗鬼はいっさい無用である。大安心大満足できる。テンポよく歯切れよくセンスのいい店主の話芸もまた格別の酒の肴となろう。何度か、食と接客態度にうるさい知人友人を案内したが、いずれも大満足大感激、いつのまにか勝手に常連になっていた。オリジナル(わたくしである。)を大事にしないという性向を彼らは恥じ、改めなければならない。仁義に悖ることだ。
                         火灯し頃、いまや幻となった麻布十番温泉で浮き世の垢を流し、日々のしがらみを忘れ去って、そののち、夢見心地のうちに、事実と経験に裏打ちされ、心のこもった、しっかりどっしりとうまい肴で酒を飲む。水鳥(*)の気分だ。これ以上の贅沢にはここのところお目にかかっていない。案内料がわりに奢ってやろうという剛の水鳥者の現れるのを麻布十番温泉跡地で豆源の塩豆などつまみながら待つ。損はさせない。ほろ酔い気分の値が高くついてはならない。事実と経験は小説よりも美味で水鳥の羽根よりも軽やかなりである。
                         
                        *酒は「シ」と「酉」でできている。すなわち、水鳥。

                        ブログランキング・にほんブログ村へ



                          されど、われらが幻のラ・ツール・エッフェル

                           
                          LatourEiffel01.jpg

                           1987年秋。リラの花影揺れる凱旋門の近くの小さな食堂で我々はカルバドスが満たされた杯をあげ、最後の乾杯をした。そして、固く再会を誓い、それぞれの戦場へと帰還した。ある者は中東へ。ある者はアフリカへ。またある者は西アジアへ。あれから四半世紀が経つ。そのあいだに数えきれぬほどの秋やら冬やら春やら夏やらが音も立てずに過ぎていった。再会も果たされぬまま多くの友が逝き、斃れ、少しの友が残った。幻のエッフェル塔はいまもかわらず、我々の前に墓標のように屹立する。友よ   

                          ブログランキング・にほんブログ村へ



                            究極のマティーニと古い友情の終わらせ方

                             

                            bar01.jpg


                             古い戦友の命日。戦友との思い出がぎっしり詰まった酒場に足を運んだ。20年ぶりだ。戦友は探偵で、腕っぷしはめっぽう強いが泣き虫で、酔いどれの誇り高き男で、運に見放されていて、美人に目がないくせに女にはからきし弱く、「いつかゴビ砂漠のど真ん中で究極のマティーニを飲む。そして、死ぬ」が口ぐせで、ネイビーの、ペンシル・ストライプのダブル・ブレステッドのスーツしか着ない男だった。救いは彼が律儀で不器用で無愛想なうえに、うそがへたくそなことだった。
                            「究極のマティーニを。古い友情を終わらせたいんだ」
                            「タンカレーでおつくりいたしますか? プードルスもございますが」
                            「いや。牛喰いで」
                             ニッカーボッカー・ホテルの名物バーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニはとても礼儀正しくうなずいた。きれいに霜のついたバカラのカクテル・グラスの名品、「ロング・グッバイ」が目の前に置かれた。ホンジュラス・マホガニーの一枚板のカウンターの上でロング・グッバイが静かに息づいている。彼女が私に別れを告げるころには、私は彼女を何度も何度も抱きしめ、唇を寄せ、5粒ばかりの涙を彼女の中に落としているにちがいない。そして、したたかに酔いどれるのだ。今夜はそんな気分だ。誇りのたぐいはとっくの昔に行方不明なのだし、いまさら酔いどれたところで胸を痛めてくれる愛しい女もいない。かつての愛しい女は「さよなら」のひと言さえ残さずに金持ちの年寄りの愛人になった。それでいい。すこぶるつきのクールさだ。こちらはクールなタフ・ガイなんだ。勝負は互角という寸法である。
                             それにしても、よりにもよって、「長いさよなら」とはな。「さよならは短い死だ」と言いつづけた探偵は強くもなれず、生きていくための資格を手に入れることさえできないまま本牧の路地裏で冷たい肉の塊になって死んだ。もう20年になる。探偵のことはときどき思いだすが、いつもというわけではない。
                             友よ、マイ・プライベート・アイズよ。あんたは死に、おれは生きながらえ、偉大な眠りにはとんと御無沙汰だ。不眠はもう10年もつづいている。あんた同様、おれはいまだに強くもなれず、やさしさの意味すらわからないでいる。なんてマイ・フーリッシュ・ハートな人生なんだろうな。笑ってくれ。


                            martini01.jpg


                             私が遠い日の友との思い出に耽っているさなかに馬鹿笑いしながら若いカップルがやってきた。男はコークハイを注文し(コークハイだって!?)、女はテキーラ・サンライズを注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニは眉を一瞬しかめ、ため息をひとつ、小さくついた。
                             女の顔を見ると虫酸が走った。他人の手帳を盗み見ることにひとかけらの呵責も感じない魂のいやしさのたぐいが顔にあらわれていた。おまけに、使っている香水は濃厚なうえに動物的なにおいで甘ったるかった。第一、明らかに分量が多すぎる。香水のシャワーでも浴びてきたのかとたずねたくなるほどだ。ここは場末の安キャバレーではない。ここは何人もの本物の酒飲み、一流の酔いどれが巣立っていった酒場なんだ。ある種の人々にとっては聖地でさえある。香水女は臆面もなくそれらを蹂躙しようとしている。抑えようのない激しく強い怒りがこみあげてきた。
                             おまえは店のすべての酒の香りを台無しにする気か? この店にある酒は蒸留という名の試練をくぐり抜け、いくつもの季節を樽の中でやりすごし、ときに天使に分け前を分捕られ、磨きに磨かれてやっと陽の目を見たんだぞ! 女の首根っこをつかまえてそう叱り飛ばしたかったが我慢した。香水女の指は太く短く、金輪際ナイフとフォークを使った食事をともにしたくないタイプの人物だった。いや、ナイフとフォークを使った食事だけではない。女が私の半径50メートル以内にいるだけで私は確実に食欲を失う。この広い宇宙にはテーブル・マナー以前の輩が確かに存在することを私はこのとき初めて知った。
                             私の知る世界、生きてきた日々、失った時間や友情や愛をことごとく踏みにじり台無しにするおぞましい力をその若い女は持っていた。めまいさえ感じたとき、マルティーニ・エ・ロッシーニが毅然とした態度で言い放った。
                            「申し訳ございません。現在、当店はエクストラ・ドライ・タイムでございます。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニか、少々お時間が早すぎますが、ギムレットなら御用意できます。コークハイは元町の信濃屋さんの真裏に当店よりずっといい、お若い方向けの店がありますから、そちらへどうぞ」
                            「お若い方向けの店」とマルティーニ・エ・ロッシーニが言ったところで私はあやうく吹き出しそうになった。「お若い方」を「愚か者」と言い換えればジグソー・パズルの完成である。シュレディンガー・キャットを見つけだすよりむずかしそうなジグソー・パズルの本当の完成はもうすぐだった。マルティーニ・エ・ロッシーニは言葉をいったん引き取った。香水女はショッキング・ピンクのハイヒールの踵を床にせわしなく打ちつけた。苛立っている。ざまあない。ここはおまえたちのような無作法者が来るところではない。マルティーニ・エ・ロッシーニは仕上げにかかった。
                            「テキーラ・サンライズはカリブ海のニュー・プロビデンス島経由でアカプルコ・ゴールド・コーストに出張中です。滞在先は年端もいかない少年少女をかどわかすことで悪名高いホテル・ザ・ローリング・ストーンズと聞きおよんでおります。したがいましてどうぞお引き取りください。次にお越しの際はフレグランスは控え目に。清楚で上品な香りのもの、たとえばジャン・パトゥの JOY かオー・デ・ジバンシー、ミス・ディオール、ザ・リリー・オブ・ザ・バレーあたりをお勧めいたします。それとこれは秘密情報ですが、今夜あたりから大声でしゃべったり馬鹿笑いすると島流しになるそうですよ。お気をつけください」
                             マルティーニ・エ・ロッシーニが言うと、若い男は未練たらしく女々しい舌打ちをし、香水女は手持ちのうちでもっとも悪意と憎悪と愚劣が盛り込まれた笑顔を見せ、さっさとマルティーニ・エ・ロッシーニにさよならを告げた。そう、マルティーニ・エ・ロッシーニが言うとおり、いまこの時間、黄昏と闇の狭間の時刻、世界中のすべての酒場は一日のうちのもっとも聖なる時間、エクストラ・ドライ・タイムを迎えているのだ。聖なる時間を迎えている酒場は無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける者の相手などできない。無礼無作法なうえに甘ったれた恋愛ごっこにかまける愚か者どもに供するグラスはひとつもないし、注ぐ酒は1滴たりともない。世界はそんなふうにできあがっているのである。


                            casablanca01.jpg


                            「お待たせいたしました。当店自慢のウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニでございます」
                             マルティーニ・エ・ロッシーニは言って、ロング・グッバイの横に屈強な牛喰いどもが好む酒、ビーフィーター・ロンドン・ジン47度の扁平な瓶を置いた。鮮紅色の衣装をまとった牛喰いがこちらを睨みつける。
                            「ありがとう。ある探偵と飲み明かした夜以来だよ。ウルトラ・スーパー・エクストラ・ドライ・マティーニは」
                            「承知しております。この街は惜しい人を失いました。もう20年になりますね」
                            「おぼえていてくれたんだね」
                            「ほかのことは全部忘れてしまいましたがね」
                            「いい奴は死んだ奴だというのはいまも変わらない」
                            「まったくそのとおりです。ところで、お客様。警官にさよならをする手段は掃いて捨てるほどもありますが、友情を終わらせる方法はこの世界にはございませんよ」
                            「わかってるさ」


                            EllaFitzgerald01.jpg


                             マルティーニ・エ・ロッシーニは私の胸のうちを見透かすようにマッキントッシュの古い真空管アンプリファイアーMC275のヴォリュームを少しだけ上げた。1949年10月14日、N.Y.C.ダウンビートのエラ・フィッツジェラルドが『As Time Goes By』を囁くように歌いはじめた。
                             霧は深く、時はいくらでも好きなだけ過ぎていくが、夜はまだ始まったばかりだ。もちろん、ギムレットにも早くはない。やがて、古い友との友情の日々を思う長い夜がやってくる。急ぐ理由はなにひとつない。時は過ぎゆくままにさせておけばいいし、霧は深いままでいい。酒も傾ける盃もたんまりある。おまけに「究極のマティーニ」を知る伝説のバーテンダーは目の前でグラスを磨いている。これ以上の贅沢は世界への宣戦布告も同然である。50歳。もう敵は作らなくていい年齢だ。
                             私は2杯目の「究極のマティーニ」を注文した。マルティーニ・エ・ロッシーニはきれいに霜のついたロング・グッバイに静かにビーフィーター・ロンドン・ジンを注ぎながら、「これはわたくしから天国のご友人に」と言ってグラスを私のほうへ滑らせた。マルティーニ・エ・ロッシーニの目からグラスに小さなダイヤモンドがひと粒こぼれ落ちたような気がしたが、それはたぶん、気のせいだ。本物のプロフェッショナルはそんなヘマを犯したりしない。究極のマティーニがかすかにしょっぱかったのも、やはり気のせいにちがいない。長い夜にはいろいろなことがあるものと相場は決まっている。

                             友よ。マイ・プライベート・アイズよ。今宵、酔いどれの月はグレープフルーツのように丸く、遠い。再会までにいったい何杯の「究極のマティーニ」を飲み干し、いったい何回、酔いどれの月を見上げればいいんだ? 友よ   
                            ブログランキング・にほんブログ村へ




                               

                              演劇部の美人部長M子とすごした1975年10月14日(火曜日)の放課後の音楽室【第1楽章】

                               
                              ohgakushitu01.jpg

                              「料理はセックスである」と大江健三郎に言ったのは17歳のわたくしであるが、その考えはいまも変わらない。変わらないどころか、より強固に頑迷になっている。わたくしが「料理はセックスである」と考えるに至った出来事について記す。臆病者と偽善者と卑怯者とユビキタスを信じない者はここから先を読んではいけない。

                              「大江健三郎の『敬老週間』を文化祭の出し物として演じたいので脚本と演出を頼みたい」と演劇部の美人部長M子がわたくしを訪ねてきたのは1975年10月14日、火曜日の放課後の音楽室だった。わたくしはカラヤン指揮ベルリン・フィルでグスタフ・マーラの『交響曲第五番第四楽章 アダージェット』に聴き惚れていたところだったので、いくぶんか眉をしかめて演劇部部長のM子を見た。M子はかなり怯えていた。わたくしは学校内では知らぬ者のない札付きのワルで、凶悪なうえに突拍子もない言動をする人物として生徒はおろか教師どもにまで恐れられていた。それゆえに、まさか学校でも才色兼備の誉れ高い演劇部部長のM子が単独で訪ねてくるなどまったく予想外の出来事であった。わたくしは言った。
                              「おれがここにいるって誰に聞いたんだ? あーん?」
                              「は、はい。担任の小松原先生に」
                              「小松原め。まったく余計なことを」
                              「怒ってらっしゃるんですか?」
                              「そりゃね。でも、あんたは美しいうえにいい声だからゆるす」
                              「あ、ありがとうございます!」
                              「で、用件は?」
                              「は、は、はひぃ。じ、実は脚本と演出をお願いしようと思いまして   
                               眉がぴくりとした。
                              「まったくなにかと思えばそんなことか。答えは決ってる。お断りだ」
                              「やっぱりダメですか   
                               深々とした溜息とともに、M子の大きな瞳から大きな涙がひと粒こぼれ落ちるのをわたくしは見逃さなかった。
                              「異化済みのリゾート・マンションがニョッキのゴルゴンゾーラ・ソースのパスタひと皿と等価な世界が見つからないからと言って希望を失っちゃいけない。なぜなら、そもそもわれわれの旅には目的地などないからだ。いつか、黙っていても急ぎ足になるような、そのような健やかでちょっと哀しい旅。そんな旅をおれとしたいとは思わないのか?」
                               わたくしがそう言うとM子は大きな瞳をさらに大きく見開き、大粒の涙をぬぐい、そして、大きくうなずいた。大きくうなずいたが彼女がわたくしの言ったことを本当に理解できたとは思えなかった。わたくし自身がわからなかったのだから当然である。わたくしはつづけた。
                              「少なくとも僕らはゆっくりと歩みを進めよう。急ぐ旅でもあるまい」
                              「わかりました。そうします」
                               M子の顔が輝きを取り戻した。そして、彼女は深々と一礼し、帰りかけた。
                              「待てよ。話はまだ終わっちゃいない」
                               M子はびくりとして振り向いた。
                              「話を聞こう」
                              「よろしいんですか?」
                              「うん。ところで、あんた、3年だろう? 年下のおれになんで敬語を使うんだ?」
                              「こわいから」
                              「なにがこわい?」
                              「みんながそう言ってます」
                              「あんたはおれから直接こわい目にあわされたことがあるのか?」
                              「ありません」
                              「それなら、なぜ?」
                              「Sさんが好きだからかもしれません」
                              「なんだそりゃ?」
                              「わたしにもよくわかりません」
                              「あんたがわからないならおれはもっとわからない。だけど、なんだかちょっとうれしいな」
                               M子が初めて笑った。胸の奥が疼くような奇妙な気分だった。
                              「ピアノは弾ける?」
                              「はい」
                              「グリークのピアノ協奏曲をキース・ジャレット風に弾くことは?」
                              「弾けると思います」
                               M子は南の島の通過儀礼のような手つきで卒業生からの寄贈品であるベーゼンドルファー・インペリアルの鍵盤蓋を開けた。眼を閉じ、両肩をまわし、一度だけ深く息を吸い込んでからまっすぐな眼で鍵盤を見た。鍵盤に両手を置き、覆い被さるように頭を垂れるM子。M子は微動だにしない。息すらしていない。長い髪が白鍵と黒鍵の狭間で揺れている。あまねき存在からの啓示を待っているようにもみえる。口元が微かに動いている。呪文? 聴きとることはできない。そして、生涯にわたって忘れえぬ異界の刻が始まった。
                               第一音からキース・ジャレットだった。わたくしは息をのみ、居ずまいをただした。M子の口から呪文のような言葉の連なりが途切れることなく吐き出された。第1楽章が終わり、第2楽章が終わってもM子の演奏の冴え、緊張感はかわらなかった。そこには確かにキース・ジャレットがいて呪文のような呟きが聴こえた。鳥肌が立った。
                              「すごいな」
                               わたくしは思わず口にした。そのとき、M子が怒鳴った。雷鳴のような声だった。
                              「うるさい!」
                               M子は髪をふり乱し、鍵盤にありったけの怒りをぶつけているように思われた。第3楽章はとうに終わり、M子が弾いているのは、その年の初めにキース・ジャレットが行った奇跡のパフォーマンス、『ケルン・コンサート』だった。しかも、寸分たがわぬ演奏。
                              「どうして   
                              「黙りなさい!」
                              「でも、どうして?」
                              「降りてきてるのよ」
                               わたくしは唾を飲みこみ、M子の顔を覗きこんだ。M子の顔は会ったこともなければ見たこともない別人の顔にかわっていた。その顔は美しかったが凄絶で禍々しかった。そして、1975年10月14日の放課後の音楽室に魔物がやってきた。

                              ブログランキング・にほんブログ村へ



                                屋根裏部屋の王が創造した「掌の中の宇宙」

                                Breguet01.jpg

                                 目の前の机の片隅で月明かりを浴び、一個の懐中時計が光っている。眼を凝らすと水晶でできた文字盤に月が映りこんでいる。
                                 掌の中の宇宙に浮かぶ月。
                                 その懐中時計の名は [Marie Antoinette/BREGUET NO.160]。数奇な運命をたどった伝説の時計である。1783年、ルイ16世の妃、マリー・アントワネットは当代最高のキャビノチェ(時計職人)であるアブラアン・ルイ・ブレゲを直接呼びつけ、護衛官を通じて「すべての機構、装飾を盛り込んだ史上最高の時計」を作るよう命じた。あらゆる複雑機能と最新の装飾を要求し、費用無制限、納期無期限という破格の注文だった。
                                [Marie Antoinette/BREGUET NO.160]は完成した時点で時計技術の最先端そのものであることを運命づけられていた。アブラアン・ルイ・ブレゲ本人が時計技術を次々に革新していくのであるから、新しい技術、機構を発明するたびに、それらは[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]に投入されなければならなかった。「技術革新」はブレゲにとっては自らを縛る頸であった。「永遠に完結しない完全性」を追い求めてブレゲは何度も設計をやり直し、落胆し、シシューポスの嘆きを味わったにちがいないことは容易に想像がつく。
                                 発注から6年後の1789年に勃発したフランス革命によってマリー・アントワネットは処刑されるが、何度かの中断を挟みながら、[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]の開発は密かに続けられた。さらに、ブレゲの死後も[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]の製作は続き、1827年、ブレゲの息子の代でついに完成した。マリー・アントワネットの「希代の注文」から実に44年の歳月が流れていた。
                                 パーフェクト・パーペチュアル・カレンダー(永久暦)、暗闇でも打鐘音で時を知らせるミニッツ・リピーター、重力の影響による誤差を修正するトゥールビヨン機構、二重の耐衝撃機構、均時差表示、金属温度計、パワーリザーブ表示、インディヴィジュアル・バトンとスモール・セコンドなど、ブレゲ開発による最新の技術が盛り込まれた時計史上に燦然と輝く最高傑作の誕生であった。

                                antoinette01.jpg

                                 私が[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]を手に入れたのは1983年の春のことである。エルサレムのL.A.メイヤー記念美術館に忍びこみ、厳重なセキュリティを破って盗み出したのだ。私の掌の中で妖しく輝く[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]。時を知らせる道具の範疇を遥かに超えて、それはまぎれもなく「小さな宇宙」である。
                                 時計は見えない「時間」、存在しない「時間」を小さな歯車と螺子の集積によって視覚化する「時の芸術品」である。「時の芸術品」を生みだすキャビノチェは科学全般、哲学思想に秀でた大知識人でもある。彼らの社会的地位はたいへんに高く、人々の尊敬と羨望の眼差しを受ける存在だった。キャビノチェの語源は「屋根裏部屋(キャビネット)」。薄暗い屋根裏部屋で哲学の深淵と科学の粋を小さな機械に注ぎこむ時計職人を当時の人々は敬意を込めて「屋根裏部屋の住人(キャビノチェ)」と呼んだ。キャビノチェの哲学、思想、天文学、冶金学、金属学、物理学、音響学等に関する知識と技術の結晶が時計なのだ。そのキャビノチェの王として君臨しつづけたのがアブラアン・ルイ・ブレゲである。時計の歴史を200年早めたと言われる、古今東西に比類なき孤高の天才だ。ブレゲの顧客には王侯貴族、最高権力者、文学者、音楽家などが名を連ねる。かのナポレオン・ボナパルトやヴィクトール・ユゴー、バルザック、アレクサンドル・デュマもブレゲの時計を愛用した。フランク・ミューラー? ブレゲの前では赤児も同然である。
                                 
                                BREGUETNO16002.jpg

                                 [Marie Antoinette/BREGUET NO.160]を見ていると、ブレゲが「宇宙の運行」をそこに込めたのではないかとさえ思える瞬間がある。
                                「時間を、宇宙をみつめなさい」
                                 ブレゲのそんな声が聴こえるようだ。29年のあいだ、私は常に[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]、ひいてはアブラアン・ルイ・ブレゲ本人に問われつづけてきた。「時間とはなにか? 宇宙とはなにか?」と。私が機械式時計に魅入られ、ついにはその究極のかたち、最終解答である[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]を我がものにしようと考えたのは、「時間とはなにか? 宇宙とはなにか?」という問いへの解答を見つけたかったからにほかならない。答えはみつかった。もはや、[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]が私の手元にある必要も理由もない。そろそろ、マリー・アントワネットの元に[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]を届けよう。彼女の墓に供え、両者を対面させるのだ。マリー・アントワネットは今度は時間を浪費することもなく、無意味な豪奢に囚われることもなく、ただ静かに時間を、宇宙をみつめることだろう。時の流れは死者の魂のありようさえ変貌させるのだ。

                                ブログランキング・にほんブログ村へ



                                  夢二女とヴァン・ドンゲン・ウーマン

                                   
                                  yumejionna00.jpg

                                   先々週の金曜日の夕方に和光の前で拾った宝くじが二等に当たって棚から牡丹餅で1000万円のお宝がふところに入ったので、自分になにか御褒美をあげようと思って伊東屋でファーバー・カステルのディレクターズ・ペン140番を100本と木箱入りのアルブレヒト・デューラー水彩鉛筆120色セットを買った。眼の下にうっすらと隈をこしらえたすごいような美人の店員を口説こうかどうか思案しているうちに腹の虫がぐうと鳴ったので口説くのはやめにした。腹がへっていれば口だって臭かろう。口が臭いと思われたのでは口説くどころではない。昼めしに煉瓦亭でポーク・カツレツを喰おうと決めて中央通りの日陰側を歩いていると、向こうから夢二式美人とヴァン・ドンゲン・ウーマンが連れだって歩いてくる。夢二式美人はお初だがヴァン・ドンゲン・ウーマンは馴染みというより腐れ縁だ。すれちがいざま、ヴァン・ドンゲン・ウーマンが私の右袖を引張って「黒船屋で一杯おごってよ」と言うので、「黒船屋はもう厭き厭きだ。煉瓦亭で昼めしを喰おうと思っていたところなんだが一緒に来るかい?」
                                  「煉瓦亭ならいま行ってきたところよ。小娘と小僧とババアばかりでうるさいったらありゃしない。あんまりにもうるさいので我慢できなくなって、さっさと店を出ちまったわ。おかげでオムレツをひと口残しちまったわよ。口惜しいったらありゃしない。お代はおまえさまにつけておいたからお願いね」
                                  「ありゃしないありゃしないって、おまえねえ、いっつも言ってきかせているだろう? この世界はありえないことでできあがっているんだって」
                                   私が言うとヴァン・ドンゲン・ウーマンは白い喉元をみせてからからと笑った。「そいじゃあ、こうしようじゃあねえかよ。交詢社通りの一本裏手に『檻』って店ができたんで、そこへ行こうじゃねえか。開店以来、世界をひっくり返そうって了簡の野獣のようなやつらがうじゃうじゃ来てるそうだぜ」
                                  「あら、たのしそうじゃないのさ。みんなで野獣になってやろうじゃないの。ウワオ。ワオワオ」とヴァン・ドンゲン・ウーマン。
                                  「おまえ、それじゃあ笠置シヅ子じゃないかよ。それよりか、おまえさんがよくたって、そちらの夢二の絵から抜け出てきたようなお嬢さんはどうだろうね」
                                  「あたくしならどんなような地獄でもごいっしょいたしますわよ」と夢二女。

                                  vandongenwoman03.jpg

                                  「こりゃ、たまげたね」
                                   夢二式美人はなにを思ったのか、抱いていた黒猫を地べたに思いきり叩きつける。
                                  「ちょいとちょいと。あんた、動物虐待で取っ捕まるぜ」
                                  「いいえいいえ。これは猫みたようにみえますが、ほんとのところは虎屋の羊羹ですのよ。お気になさらずに。猫可愛がりしすぎたら虎が猫になってしまってつまらない思いをしていましたし、先だって虎屋から東京羊羹に鞍替えしましたもので、もう未練はございません」
                                   まったく世の中には不思議不可解な女がいたものだ。女も不思議不可解なら地べたに叩きつけられた黒猫とみえた虎屋の羊羹もたいしたもので、苦しいようすもみせずに通りかかったクロネコヤマトのトラックにさっさと乗ってしまった。
                                  「トキオの兄さん、はやくに行こうよう。『檻』へさあ。はやくしないと夢がさめちまうよう」とヴァン・ドンゲン・ウーマンがちぎれるのではないかというくらいに強い力で袖を引っ張る。『檻』へ向かう道すがら、夢二女は「ファム・ファタール。ファム・ファタール。ファム・ファタール」と地獄の底から聞こえてくるような声で呟きつづけた。そのときの私は、まさか夢二女が自分の「運命の女」になろうとは思いもしなかった。(つづける。)

                                  vandongenwoman00.jpg

                                  ブログランキング・にほんブログ村へ



                                    ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ#1 『ぴあ シネマクラブ 洋画編』1987年版

                                     
                                     
                                    cinemapia01LAG.jpg

                                    遠い昔にみた映画は楽園の記憶をよみがえらせる。(F. フェリーニ)

                                    すべての書物/テクストの類いを処分しようと思いたった。いままで陰に陽に私を支え、励まし、叱咤し、導いてきた彼らに別れを告げるのだ。今後、私の手元を離れた書物/テクストがいったいどのような運命をたどるのか。それを夢想することで残された日々をやりすごせると思うと、いまから胸がときめく。

                                    まだ青二才の洟たれ小僧だった私の、「通説、有力説、糞くらえ!」といったやみくもさによる生意気ざかりの書き込みが随所になされた團藤重光先生の御著作と本郷のなじみの古書店で再会を果たすというような劇的な展開があるかもしれない。

                                    また、著者署名入りの『豊饒の海』初版本全四巻が神田駿河台にある古本屋の名物偏屈おやじに毎朝毎晩、無造作にハタキをかけられる可能性もなくはない。

                                    さらに、開高健先生の『世界はグラスの淵をまわる』がパリ・バスチーユ地区の安食堂で鍋敷きにかわり果てるならば開高大人もさぞや本望であろうとにんまりし、武蔵野の面影をわずかに残す井の頭公園のベンチの下でさびしげにうずくまっている『堕落論』を想像すると熱いものが込みあげてもきた。だが、すべての物事には出会いと別離が等しく用意されている。その条理に逆らうことはできない。逆らえば手痛いしっぺ返しを食うことにもなりかねないのだ。

                                    cinemapia02LAG.jpg

                                    分類作業をしていると、『ぴあ シネマクラブ 洋画編』が目に飛込んできた。私に見つけられるのを待ち焦がれていたように感じられた。裏表紙をめくると、奥付には「1987年7月10日第1刷」とある。25年前だ。ぴあがいまの三番町ではなく、麹町2丁目の雑居ビルに本拠地をかまえ、株式上場を目指して元気一杯、急成長ただ中の時期である。「はみだしぴあ」の常連であったことがなつかしく思いだされる。

                                    いかにシャープに簡潔に表現するかに腐心し、採用不採用に一喜一憂したこともいい思い出である。ある意味では「はみだしぴあ」で言語表現の基礎の一部分を学んだと言えなくもない。

                                    ネタさがしのためにいまでは見向きもしない「サブカルチャー系」を意識して取り込もうとしていた。ネタの宝庫ではあったが、結局はそれだけのことであった。そして、その頃、私はよんどころない事情としがらみを山のようにかかえこんでおり、漂泊と暗鬱と困憊と野心の日々が無秩序混沌として入れ替わりながら、いつ終わるともしれずつづいていた。

                                    「ぴあシネ」を読んであたりをつけ、二番館三番館で3本立て4本立てのとっくに旬のすぎた映画を来る日も来る日も見つづけた。そうとでもしなければいられない、実にいやな風向きの日々だった。映画は石ころになりかけていた私の心にいく筋かの光とかすかな潤いを与えてくれた。そしてもちろん、「ひまつぶし」「退屈しのぎ」という宝石のごとき時間も。

                                    1980年代末当時の私にとって、「ぴあシネ 1987年版」はまぎれもなく懐刀だった。あとにも先にも「ぴあシネ」は1987年版しか入手していない。ミシュランよろしく、星の数で映画を評価しているのが簡潔明瞭、潔かった。

                                    「ぴあシネ」はPIA MOOKSシリーズのひとつで、出せばベストセラーになっていた。980円。菊版400ページ余りの「ぴあシネ」は映画に関する情報で埋めつくされていた。クールでいさぎよい編集だった。スープに毛が入ってどうの、庭の木瓜の木がどうの、スパゲティ・バジリコがどうのといった些末、ちまちました記述がないので不安になることはいささかもなかった。それどころか、膨大な映像作品を前に圧倒されながらも、「ぴあシネに載っている映画をぜんぶみてやる!」という闘争心が沸いた。

                                    cinemapia03LAG.jpg

                                    情報の豊富さと使いまわしのよさからいって980円というのは破格だった。文庫や新書の5冊分以上の情報量でありながら、価格は2冊分ていどであった。しかも、実際に役立つ書物である。公園のロハ台(ベンチ)で午睡をとるときには枕がわりにもなった。暇つぶしの読み物ともなったし、みる映画を決めるために事前情報をチェックするアイテムとしても大いに重宝した。そのような次第で、当時の私は片時も「ぴあシネ」を手放すことがなかった。つねに「ぴあシネ」が視界に入っていないと不安になるほどの入れこみようであった。ガールフレンドとのメイクラヴの最中でもそれはかわらなかった。コトの真っ最中にあまりに私が「ちがう方向」に視線をやるので、ガールフレンドは激こうし、しかし、コトはやめず、結局、それが原因でその恋は終わりを告げた。いろいろな恋の終わり方があることを知ったのも「ぴあシネ」のおかげである。
                                    街中をほっつき歩いていて、二番館三番館の映画館があればすばやく「ぴあシネ」をバッグからひっぱりだした。そして、映画の内容を調べ、気にいれば迷うことなくチケットを買い、映画館に突撃した。そうだ。まさに突撃というにふさわしい。当時の私にとって映画は戦場だった。戦うことで崩壊寸前の自我がなんとか持ちこたえたのだと思える。そして、「ぴあシネ」は映画という名の戦場で闘うための戦闘服であり、マシンガンであり、ナイフであり、高射砲であり、防空網であった。

                                    ブログランキング・にほんブログ村へ



                                       

                                      ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ#2 ウィリアム・モリスの森/書物の終焉

                                       

                                      williammorris01.jpg


                                      iPadのiBooksで『草枕』を読んだ。これまで暗誦できるくらいに何百回となく読み親しんだテクストがまったくの別物という印象を受けた。枕が羽毛から河原の石くれにかわったほどのちがいである。

                                      読みすすみながら、なんとは言えない「異和」を感じている自分がいることに気づき、不思議な動揺に見舞われる。書かれている内容は「テクスト」「文字情報」という点から見ればどちらも同じであるのに感じるものの質がまったくちがう。初めは「横書き」「縦書き」のちがいかと考えて、組みや書体やフォント・サイズも極力実物に近づけた。背景色も実物とディスプレイを並べてほぼ同じ状態にした。しかし、やはり私が感じた「異和」は消えることがなかった。

                                      私が感じた「異和」の正体はいったいなんなのだろうと考えているうちにひとつのことに思い当たった。それは「手触り」である。ディスプレイ上には「手触り」がないのだ。

                                      本を読むという行為に当然のように付随していた手触り、指先に触れる紙の質感。これらがないことによる宙ぶらりんのような状態。私が感じた「異和」はこれが原因なのではないかと思った。この「手触り」を拡張してゆくと、やがて職人技の組版に出合い、文選に行き会い、木版に辿り着いて、ついには人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間にまで遡れるような気がしてきた。そのことに気づいて、あらためてディスプレイと実物とを見比べてみると、ちがいが次から次へと目についてくる。

                                      表紙、天、平、束、見返し、花ぎれ、栞、小口のかすかな凸凹 ── 。すると急にそれらの「書物」を構成する部品のひとつひとつがひっそりと息づいているように感じられてきたのだ。

                                      「書物の身体性」などということを言うつもりはいささかもない。もちろん、書物至上主義者でもない。それどころか、早晩、書物が表舞台から退場してゆくであろうことはひしひしと感じている。

                                      紙からディスプレイへ。ディスプレイさえ消えて、ただの「信号」へ。

                                      このシフトが着実に進行していることも充分わかっているつもりである。冷徹な経済原理の下では「文化」など木っ端微塵に打ち砕かれてしまうことさえ受け入れなければならないのだということも。しかし、たとえそうであったとしても、私が感じた「異和」の根っこにあるものの正体にはナイーブであるべきなのではないかと思う。

                                      文字や言葉が「言霊」の宿る神秘神聖不可思議なるものとして崇められ、書物自体に鍵までかけて厳重に保管されていた時代。書物はパピルスの成れの果て、薄っぺらな紙でできあがっているとは言いながら、まさに「神の賜物」「神の啓示」「神の言葉の化身」でもあって、いまのように「高見の見物」を決め込めるお気軽/お手軽な対象ではなかった。 その文字を使って「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!」などとかました日には、即、火炙り、磔という orz な結末が大口をあけてそこらじゅうで待ちかまえていたということだ。

                                      現代は文字、言葉、書物が神性、神聖を失って、つまりは堕天使となって地上に降臨し、いまや、地上だけでは飽き足らず、ディジタルの海をただの一瞬すらもとどまることなく、ものすごい勢いで東奔西走、南北縦断し、高見も望洋も茫洋も自由自在な、天下太平楽もいいところな、極楽とんぼな時代になったということだ。


                                      williammorris02.jpg


                                      いずれ、情報技術の進化の過程で、書物のみならず、あらゆる「かたちのあるメディア」はディジタルの海に溶け入ってしまうだろう。しかし、それでもなお、私はウィリアム・モリスが書物のマスプロダクツ化に対するアンチテーゼとしてグーテンベルクへと回帰し、ケルムスコット・プレスを手がけたのと同じ強度でディスプレイに浮かぶテクストに向かい合いたいと思う。それが時に私を打ちのめし、時に勇気づけてくれた「書物たち」への私なりの仁義の切り方であるような気がする。


                                      kelmscott06.jpg


                                      ウィリアム・モリスが森の小さな印刷所でケルムスコット版の装幀にいそしみながら過ごした贅沢な時間。宝石のごとくに輝くテクスト。私が夢想するのはディジタルの海を漂ううちに幸運にも出会えるかもしれないそんな風景である。


                                      一冊の書物の誕生までに関わるすべての人がいつもウィリアム・モリスの森とともにありますように。森がなければ人間も書物も誕生しない。


                                      rose01.jpg

                                      ブログランキング・にほんブログ村へ



                                         

                                        ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ#3 有栖川の森でアレキサンドリアの幻影をみる。


                                        bibliotequedays03.jpg

                                         わがアザブ・デイズの拠点から歩いて5分足らずのところに有栖川宮記念公園はある。公園内、東側高台の一角を占めるのが東京都立中央図書館だ。目黒区立目黒区民センター図書館とともにわたくしのお気に入りの図書館である。ビートニク・ガールと同道することもあれば、わたくし単独で調べ物、書き物、居眠り、油打ち、沈思、黙考することもある。シークレット・ガールとの逢引きの場所としても重宝している。また、ビートニク・ガールと仲たがいしたときに逃げ込むのはもっぱら中央図書館である。敵もさるもので、ビートニク・ガールがわたくしを探索するとき、まず足を運ぶのも中央図書館だ。その際には丁々発止の隠れんぼ、追いかけっこ、逃走劇、追跡劇が行われる。はた迷惑もいいところではある。

                                        chuotoshokan02.jpg

                                         5階建て。蔵書152万冊。開架式。清潔で、しかも明るい。階ごとに「社会科学」「人文科学」「自然科学」の各分野が分類されており、目当ての資料が見つけやすくなっている。1階中央にはコンピュータ・スペースがある。持ち込んだノートブック・パソコンを無線LANを使ってインターネット接続することも可能だ。「グループ閲覧室」では図書館の資料を使ったグループでの学習・調査研究活動ができる。コンピュータを使った資料の検索システムもある。また、複写サービスの充実ぶりは都内の図書館随一である。5階の「東京室」と名づけられた部屋には行政資料のほか、東京に関する図書、新聞雑誌が網羅されていて、ここは「東京学」の格好の修練場となる。おなじフロアに食堂と喫煙ルームがある。食堂は安価でそこそこうまい。おすすめは日替わり定食である。600円で腹いっぱいになる。おなじく5階の「特別文庫室」には江戸時代から明治にかけての和書、漢籍が網羅されている。ほかに、諸橋文庫、井上文庫、河田文庫、加賀文庫など、個人文庫の充実は特筆に価する。また、4階にある「闘病記文庫」は見ものだ。さまざまな病いと闘った市井の人々の命の記録にふれることができる。たいへんにいい企画である。視聴覚資料も充実している。ただし、利用時間は13時から17時と短いのが難点である。なお、中央図書館は個人への館外貸出しを行っていない。
                                         不満がないわけではない。文学作品(小説・詩集)、児童資料の所蔵が少ないことである。「図書館案内」にはこれらを蔵書していない旨が明示してあるが、どこのぼんくら木っ端役人が決めたことなのか理解に苦しむこと甚だしい。

                                        arisugawanomiyapark02.jpg

                                         言葉の森の渉猟に飽きたら、いったん館外に出て公園内を散歩するもよし、木陰でくつろぐもよし、南部坂を下って広尾の街散策とシャレこむもよし、リニューアル・オープンしたナショナル麻布スーパーマーケットをひやかすもよしである。少し足を伸ばして仙台坂側に下ってゆけば麻布十番があるし、隣接する東京ローン・テニス・クラブの脇を抜けてあえて路地に迷い込み、元麻布界隈の時間の止まった町並みをたのしむという手もある。西町インターナショナル・スクール周辺の異国風味もなかなかのものだし、暗闇坂を下ればそこはもう麻布十番だ。
                                         中央図書館と有栖川宮記念公園。アレキサンドリアにあったといわれる世界最大の図書館の幻影を帝国の名残りうちにみるという風狂も悪くははない。

                                        ブログランキング・にほんブログ村へ



                                          Anonymous Revolution#1

                                           
                                           
                                          AnonymousRevolutions00.jpg


                                          Boot up ──

                                          Click,
                                          Enter,

                                          記憶の岸辺/ミュトス・シティ東部沿岸 UTC17時42分

                                          ミュトス・シティ唯一の砂浜に打ち寄せる波を数え終えたとき、呪われたアルマジロと虹のコヨーテと黄金のカエルがやってきた。
                                          「冬眠を忘れた熊よ、いよいよその時が来たのだ。グレート・マザーに戦いを挑む時が」

                                          呪われたアルマジロの言葉は簡潔で自信に満ちているうえに神々しかった。言葉のひとつひとつに神が宿っているのではないかと思えるほどだ。

                                          呪われたアルマジロは母親の遺伝情報しか持たない固有半数体種だ。聖なるものの顕現者であり、宇宙を支配する巨大な意志の力から「言葉」を預かる者である。呪われたアルマジロは宇宙を支配する巨大な意志の力から「言葉」を預かり、世界に向けて解き放つ。

                                          解き放たれた「言葉」たちは軽やかに翼をはためかせ、世界を自在に飛翔する。解き放たれた「言葉」はヨハネスブルグ・キッズの凍りついた心にさえ届く。北の国のコッチェビ・チルドレンにも。ロンゲラップ・ピープルとチェルノブイリ・ボーイズ&ガールズとフクシマ・ベイビーにも。世界中の、虐げられ、忘れ去られ、なきものにされ、再び十字架にかけられし者たちにも。彼らに届けられた「言葉」が彼ら自身の力で輝きを増して飛び立つまで、呪われたアルマジロは「言葉」を預かり、世界に向けて解き放ちつづける。

                                          虹のコヨーテは孤高の戦士だ。世界を蝕み、貪り喰うすべての邪悪なるものと戦う。怒れるアメリカン・バッファローの一群を狡猾冷酷なスコティッシュ・ブラックフェイスから解放したのは虹のコヨーテである。誇り高きカリブーの群れのただ中から石をみつめる少女をたった一人で救い出したのも虹のコヨーテだ。悪意と憎悪に満ちた巨大な砂嵐の中で迷うアボリジニ戦士の12人のパックを導いたのも虹のコヨーテだ。3度の救出劇で虹のコヨーテは無惨きわまりない深手を負い、肋骨を7本骨折し、右目を失ったが、3度とも宇宙を支配する巨大な意志の力と妖精たちによって癒された。宇宙を支配する巨大な意志の力はまだ虹のコヨーテに戦うことを命じている。

                                          黄金のカエルは宇宙を旅する者である。目的地も同行者もない旅は黄金のカエルを不安と孤独で四六時中苛むが、それもまた宇宙を支配する巨大な意志の力によって決められたことである。何者もその意志に逆らうことはできない。ミュトス・シティの西の果てにある嘆きの沼で日がな一日泳ぎまわっていた頃、黄金のカエルは目映いばかりに輝いていたが、旅のあいだにどこにでもいる緑色のアマガエルに変わってしまった。しかし、黄金のカエルがほかのカエルたちと決定的にちがうのは、いついかなるときにも緑色に輝いていることだ。太陽が水平線の彼方に消え、世界が漆黒の闇に沈んでも黄金のカエルは緑色に輝く。何者にもなりかわりようのない彼自身として。何者にもなりかわりえない緑色をした黄金のカエルとして。

                                          それにしても、名前というのはしんどいものだ。名前のおかげでずいぶんといやな思いをしてきたことだ。そのことを思うと重く湿った疲労感が容赦なく襲いかかってくる。一時間ほど前ににわか雨に遭い、たっぷりと雨を吸い込んだドイターのポリッシュ・ブラックのメッセンジャー・バッグが肩に食い込む。名前さえなければ何者にでもなれたはずなのに。名前さえなければ樵の王として世界中の森に君臨することだってできたはずだし、世界中のありとあらゆる砂漠を旅する商人として、ゴビ砂漠に詩の王宮を建設することも可能だったろう。あるいは、一瞬のうちに巨大なブルーマリン・セイルフィッシュを手なづけてしまう漁師にも。名前さえなければ本当の自由をこの手につかみ取ることができたのに。

                                          眼を上げる。沈黙の岬灯台がセイレーンに弱々しいシグナルを送っている。セイレーンは沈黙の歌で応える。ミュトス・シティはいまにも消え入りそうな瞬きを繰り返している。ゆうべ、ミュトス・シティの住人たちが「北の尾根」と呼ぶ細く険しい峠道を歩きながら、私は旅の間に起こった出来事のひとつひとつに腹を立てていた。すべてに腹を立て終わったとき、夕焼けを背に浮かびあがっていた私の影は深い闇に飲み込まれた。

                                          ミュトス・シティの中心、アノニマス・ガーデンにたどり着いたとき、アノニマス・ガーデンの初代園長、呪われたアルマジロは死の床にあった。呪われたアルマジロが横たわるベッドのまわりには、市長、助役、財政局長、建設局長、保健衛生局長、環境局長、農政部長をはじめとする街の行政担当者、さらには警察署長、消防署長などの治安防災関係者、商工会議所の面々、市議会議長以下の政治家たちが神妙な顔つきで立ちつくしていた。

                                          アルマジロの顔を覗き込む。眼窩は深くくぼんで影の中に埋もれ、頬はこけ、血の気のない唇は潤いを失ってひび割れている。「骸骨だ」と思う。そして、ロゴス・シティで最後に呪われたアルマジロと会ったときのことを思い浮かべた。呪われたアルマジロは静かに息を引き取った。部屋のあちこちからすすり泣きが聴こえる。だが、これは偽りの死だ。呪われたアルマジロは死んでいない。そのことを知る者は限られている。真実を知るのは私と虹のコヨーテと黄金のカエルだけである。市長も助役も警察署長も欺かれているのだ。

                                          「冬眠を忘れた熊よ、ダイブの時間だ。用意はいいかね?」と呪われたアルマジロが言った。数え終えたはずの波の音がかすかに聴こえる。記憶海岸の入江を見渡す。マーカスの鏡のように静かだ。14番目のグレープフルーツ・ムーンが映っている。呪われたアルマジロに向かってうなずく。呪われたアルマジロは私の額に右の手のひらをそっと置く。呪われたアルマジロの手からイグドラシル・ストリームがゆっくりと流れ込んでくる。あたたかい。母親の胎内にいるようだ。流れ込む速度がいっきに上がる。意識がうすれ、世界が遠ざかる。記憶が音もなく消えはじめる。波の…音……が…………聴こ ──

                                          Shut down.


                                          Boot up ──

                                          Click,
                                          Enter,

                                          ヴァーチャル・リアリティ・タワー東棟42階/イデア・シティ北部 UTC18時42分

                                          私はリコレクター、記憶士だ。記述士、分析士、修正士、計数士、管理士、消去士、統合士を加えた8人でチームを組んでいる。完全なSOHO。形式的な健康診断と思想調査を除けば、出社に類するものはいっさいない。すべてはネットワークを通じて行う。記憶士は宇宙のすべてを記憶する。それが仕事である。

                                          ひたすら記憶すること。考えなくてもよい。答えは求めない。答えを求めようとするとデータに誤差がでるからだ。記憶は無数の忘却の集積である。記憶したデータは記憶の宮殿の最深部に鎮座するアレクサンドリア・ストレージ・サーバ(ASS)に送る。記憶をASSに送信するのは祈りにも似た行為だ。ASSはいずれ「神」と呼ばれて崇められるようになるのだから、私の考えもあながちまちがいではない。記憶士として仕事をしているときは常に頭部搭載型ディスプレイ(HMD)を装着する。3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素がともなってはじめて正確な記憶が可能だからだ。

                                          メタバースの住人たちによって結成されたメモリー・ウォーリアーズから攻撃を受けることもあるが、そのときはアカシック・レコード・プログラムを起動してフラッシュ・クラッシュし、撃退する。メモリー・ウォーリアーズの攻撃を受けたときは3週間の休暇を取ることが認められている。大脳辺縁系を休めて冷却するためである。息が詰まるようなHMDから解放されるのは去年のクリスマス以来だ。ヴァーチャル・リアリティ・シート(VRS)に体を沈める。これで思う存分、自由放埒に「世界」を駆けまわることができる。

                                          Scroll ──
                                          Drag,
                                          Command+Copy,
                                          Command+Paste,
                                          Scroll ──
                                          Drag & Drop
                                          Scroll ──
                                          Click,
                                          Enter,

                                          モーツァルトのピアノ協奏曲42番を弾くローベル・カサドシュは、『野生の思考』の上で午睡を貪るソバージュ・ネコメガエルの処刑方法について宇宙を支配する巨大な意志の力と議論しつつも、最終兵器にして最終解答である「ダンテ・ブルーノ・ヴィーコ・ジョイス」というなりふりかまわぬ変則4拍子を繰り出しながらマジック・リアリズムな午後を待っている。

                                          いっぽう、ロベール・カサドシュトとは縁もゆかりもない倍音世界に比類なきピアノ教師であるスーパー・カコは、ベーゼンドルファー・インペリアルの鍵盤蓋を担いで演奏会場から遁走中である。スーパー・カコは、ニーチェ爆弾によって破壊され、燃えあがるパリを夢想しながら乱暴者のリスト先生の長い指と田舎者のラフマニノフ先生の大きな手がいつか自分をポイント・ゼロに埋め込んでしまうのではないかと気が気でならかった。そんなスーパー・カコを『流出映像のフローズン・ナノ・プラネット世紀末なの? そうなの? 有働由美子はいつまた「セックス!」の連呼をやってくれるの?』の撮影スタッフが追う。スーパー・カコはつぶやく。

                                          「パリは燃えているか? グラン・パレは燃えているのか? 市庁舎の正面玄関にかかる Fluctuat nec mergitur のプレートは破壊されたか? 木偶の坊土左衛門の野田佳彦と勘違い木っ端役人の勝栄二郎とゴム屋の小倅じじい米倉弘昌は死ねばいいのに。断固として不退転の決意で死ねばいいのに」

                                          『流出映像のフローズン・ナノ・プラネット世紀末なの? そうなの? 有働由美子はいつまた「セックス!」の連呼をやってくれるの?』の音声担当アルバイトはスーパー・カコのつぶやきがちゃんと拾えたか心配でしかたがないようだ。そんな様子をグーグル・アースで見てにやにやしているのは、なにを隠そう、この私だ。

                                          自殺した大金持ちのねずみが沈黙ノートに『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』をルーン文字で書き写していたことを知るのは、『断層図鑑殺人事件』の捜査指揮官である松岡正剛警視に完璧な文章と完璧な絶望と完璧な自己療養が存在しないことを教わって42年も経ってからだったが、私はねずみの墓参りに行かないばかりか、いまだにボスフォラス以東にただひとつしかないと言われるハーモニクス・オーヴァートーン館の門外不出のクワルテット、「生命、宇宙、そして万物についての答え衒学四重奏団」を聴けずにいる。

                                          いまも当時と変わることなく地軸の傾きと格闘する松岡正剛警視の千夜千冊400万字の健啖家ぶりに恐れ入っている私の元へ、ポトラッチ・トーテムポールを振りまわす石頭の彫刻家、カメンナヤ・モグリャ・ペトログリフがやってきたのは昼飯時である。

                                          部屋に入ってくるや否や、細胞の魚こと幻の利己的虚数魚i = Cellfish にポトラッチ・トーテムポールの削りかすを与えるカメンナヤ・モグリャ・ペトログリフをいっさい無視して、私はテレビ受像機のスウィッチを入れた。森田一義アワー。まだやっているのかね、リータモくん。で、パス。ホンジャマカ恵、「ひるおび!」。恵のしゃべくりに虫酸が走り、一瞬でパス。ナンチャソ、「ヒルナンデス!」。浮気の虫湧いちゃって湧いちゃって家庭&人格崩壊南原はとっくのとうに終わってるだろうがよ、昼の日中にメンヘラおやじはごめんだぜ! で、当然、パス。奇跡の50歳までいくばくもない大下アナ。うーん、あいもかわらぬシャッター通りの午後3時的ファッション・センスにパス。テレ東。ナッシング。

                                          仕方なくNHK。ん?報道特別番組?地デジカ音頭の民放はなにをやっているんだ?テレ東にいたってはテレビ・ショッピングだったぞ。ナショナル・ダイエット・ビルヂング(NDB)前から中継が始まる。魔法陣とファイストス円盤を組み合わせた不思議なピーチパイ型飛翔体が北の将軍様の空中分解ミサイル花火によって半壊したNDB上空に静止している。

                                          あれは! あの空中分解寸前の飛翔体を操縦できるのはロックゴングの名手、オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールじゃないか! インカ・マンコ・カパカパック国際空港で整備士をやっているんじゃなかったのか? 鷲の頭と獅子の体と鋭い爪を持つ者がとうとう動きだしたというのか? インディオとメスチソの怨念と怨嗟と恨みを一身に引き受けたアルゲンタビス・マグニフィセンスの追い込みがそんなに厳しかったか。それとも6泊7日女ったらしのエノキドに一杯食わされたのか? 非業の死を遂げたフンババの奴が復活したことだって考えられなくはないが。

                                          オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールよ、レバノン杉の仲買人として濡れ手に粟で儲けていた頃とは時代がちがうんだぞ。そして、ついに魔法陣とファイストス円盤を組み合わせた不思議なピーチパイ型飛翔体から浮動小数点式水槽脳爆弾がNDBに投下された。その直後、魔法陣とファイストス円盤を組み合わせた不思議なピーチパイ型飛翔体は空中分解した。

                                          オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールはロケット・マンさながらに脱出。生き延びてくれ。狂気を抱えながらでもいいから、生き延びてくれ。洪水がおまえの魂に及ぼうとも生き延びて、ピンチランナー調書を完成させてくれ。もちろん、私の願いはオーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールに届かない。

                                          私はNDB前で中継するNHK記者の緩慢で跳躍力のない実況に舌打ちした。オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールはいったん赤坂に進路を取ったが、すぐにシロアリ・ネスト・マウンド(旧霞ヶ関)方向へと滑空していった。イデア・シティの防災放送が日没後の灯火管制を告げると同時に、不吉な夢から誕生した運命のタブレットが『北欧神話』と『ギルガメシュ叙事詩』と『オデュッセイア』と『ぼのぼの』が無秩序に並ぶ書棚の一角でにぶく輝きはじめた。イデア・シティという閉ざされた世界で描かれた地獄絵図が現実になるのはもうすぐだ。

                                          Reload.


                                          Enter,
                                          Click,

                                          アノニマス・ガーデン最深部/ミュトス・シティ中央 時刻不明

                                          ミュトス・シティは隔絶孤立した街である。クリーン・ルームがそのままコミュニティになったと言っていい。隣町との境界にはΨとΦとΘとΩが不規則に刻まれた巨石が置かれ、外部からの侵入を拒んでいる。実際、外部の人間がミュトス・シティに立ち入ることは厳重に規制されている。

                                          自然は徹底的に改造され、すべてのエネルギーの源であるアノニマス・ガーデンを中心にして個性のない街並が放射状に整然と広がっている。原子時計のように正確無比で、蜜蜂の巣のように規則的で統制された社会。よそ者はミュトス・シティを理想郷と呼ぶが、それは大きなまちがいだ。隣りの芝生が幸福と笑いと歓喜に彩られた緑にみえるのと同じである。彼らは庭の芝生の緑を見るのみで、凡庸と裏切りに満ちた閨室の寝物語の地獄を知らない。

                                          ミュトス・シティはグレート・マザーによって設計された。グレート・マザーは量子型DNAコンピュータだ。演算処理速度は毎秒42ヨタ回。人類の知の領域を100年相当分拡張したといわれる超スーパー・コンピュータである。ミュトス・シティはエネルギー・コンサーベイションとトリジェネレーション・システムの社会実験場として誕生した。管理運営のすべてはグレート・マザーが行っている。ミュトス・シティは当初の目的をはるかに超える成果を上げた。誰も予想しなかった新しい「富のかたち」を生み出しはじめたのだ。

                                          グレート・マザーはシビタスが莫大な債務によって数度のデフォルトを発生させていた最中に誕生した。ガバメント・シャットダウンが目前に迫っていた。

                                          キャリア・ビューロクラットの猛烈な抵抗にも関わらず、キャビネットがグレート・マザーの開発に国家予算の8パーセントを費やす賭けに出たのは出口のない状況を打開したかったからだが、ローマ帝国の凋落を因数分解で解決できないのと同様に、グレート・マザーがシビタスの財政危機を解決する方策を編み出すとは誰も考えなかった。

                                          疑念と不信は日を追うごとに深まり、大きくなった。グレート・マザーはキャリア・ビューロクラットとそれに雷同する者たちの無責任で根拠のない批判をよそに着々と計算をつづけた。数値解析し、仮想化し、仮説を立て、推論し、モデリングし、エミュレーションし、シミュレーションし、検証する。想定しうるリスクをひとつひとつ潰す。それを繰り返す。

                                          グレート・マザーが最初にはじき出したのは「シビル・サーバントの身分保障の廃止」と「シビル・サーバントの大幅な人員削減」と「エージェンシーの全廃」だった。グレート・マザーは抵抗するキャリア・ビューロクラットとの対処のシナリオまでキャビネットに提示した。

                                          個々のポリティシャンたちにも具体的な行動指針と行動計画を示した。中には既存の法令に抵触しかねないきわどい内容を含むものもあった。計画を実現するための新たな法案も次々と策定された。

                                          グレート・マザーはこれらの計画のすべてを「内戦」「クーデター」「対キャリア・ビューロクラット戦争」「革命」と位置づけていた。グレート・マザーが策定した法案は過半数すれすれながらダイエットを通過した。

                                          法案通過と同時にキャビネット・セクレタリアートとミニスターズ・セクレタリアートから次々とキャリア・ビューロクラットが追放された。最初に槍玉に挙がったのはセクレタリーである。セクレタリーはビューロクラット・システムが送り込んだ監視役だからだ。次はデプティ・バイス・ミニスターとカウンシラーとカウンセラー。罷免追放に際しては私物の持ち出しまで禁止された。

                                          粛清は迅速に行われた。それはまさに「革命」と呼ぶにふさわしい。次に各ミニストリーのバイス・ミニスター、ジェネラル・ディレクターが追放された。予想通り、シロアリ・ネスト・マウンド(旧霞ヶ関)は大混乱に陥った。グレート・マザーの計画に協力的でない者は一人残らず追放されるか閑職に追いやられた。

                                          「ミスター・シャドウ・プライム・ミニスター」とまで言われて恐れられ、権勢を恣にした財務省のバイス・ミニスターは罷免の翌朝、オフィシャル・レジデンスにほど近い神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹で首をくくった。だが、それはグレート・マザーの計画の始まりにすぎなかった。

                                          ネットワークを通じて財務省のバイス・ミニスターの死の知らせがもたらされるとグレート・マザーはCPUの空き領域で考えた。「余の威光があまねきために」と。そして、トーキョー・スペシャル・プロスキューター・チームにピース缶 sengoku38、疫病神コシイシ、全ミニストリーのバイス・ミニスター、ジェネラル・ディレクター、デプティ・バイス・ミニスター、セクレタリー、カウンシラー、カウンセラー、外局の幹部職員、全エージェンシーの幹部を新設のシビタスとピープルに対する反逆行為の処罰等に関する法律」に基づいて一斉検挙するよう指令を発した。「憲法改正案」の起案が完了するのは42秒後だ。明日には金融システムの解体に着手しなければならない。グレート・マザーは再び考える。

                                          「余の威光があまねきために」

                                          Command Sleep,


                                          Boot up ──

                                          Click,
                                          Enter,


                                          デス・タウン/イデア・シティ南部 UTC19時42分

                                          ファン・ド・シエクル・タワーズ第9地区の南の一角に世紀末ホテルはある。地上126階、地下7階。居住者(不法占拠者)の平均寿命31.6歳。部外者の平均生存時間24秒。1日の殺人発生件数、平均4.2件。強盗同23.1件。侵入窃盗同80.6件。放火同14.2件。強姦同28.4件。傷害同186件。犯罪発生率の高さと治安の悪さから隣接する街の住民たちに蛇蝎のごとく忌み嫌われるデス・タウンの中でも、ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯はきわめつきの無法地帯だ。とりわけ危険なのが第9地区。その中心が世紀末ホテルである。世紀末ホテルに足を踏み入れる者は死を覚悟しなければならない。

                                          世紀末ホテルはアステカ・シティの紋章として描かれたテスカトリポカ・ノグチとケツアルコアトル・ノグチ兄弟の『制御された混沌/空を削る者』に強い影響を受けた非対称/非線形の外観を持つ。リーマン幾何学平面を積極的に取り入れた外観は過去の建築様式や装飾を引用するエクレクティシズムを強く拒否していることがうかがわれる。世紀末ホテルは建築の歴史軸の延長線上にはないのだ。

                                          外壁を構成する直線が見る者の期待/願望を裏切るかたちで雲形に変化したあと、内部の混沌を暗示する「尖端の集合体」が不意に出現する。ひねられ、ずらされ、差異化され、遅延され、留保され、傾き、スパイラルする尖塔。鏡のようなガラスの平面を浸食する「ミトコンドリア型の異物」。そこには設計者の「表層/表皮」に対する並々ならぬ執着がみてとれる。建物の継目から縦横に伸びる無数の触手状のスティックは「身体なき器官」の象徴であり、それらを包み込むように「ホール」と呼ばれるオブジェが脈動する。「ホール」は「器官なき身体」の象徴であり、全体でひとつの有機体を構成する。

                                          開業当初、世紀末ホテルは成功と富の象徴だったが、いまや見る影もない。近くで見るとその荒廃ぶりがよくわかる。外壁は落書きだらけで、あちこち崩れている。放火の跡が何カ所もある。正面玄関脇の壁には「自分の身は自分で守れ」とスプレーで大書きされている。電気、ガス、水道の供給はすべてストップ。電話回線遮断。クロークとおぼしきスペースの右奥に鋼鉄製の扉。扉には「Way Out!」の真っ赤な文字。「出口」ではない。「逃げ道」だ。

                                          「ホテル」の文字が冠してあっても、世紀末ホテルはいまやホテルではない。死と退廃と絶望と虚無と欲望に支配された廃墟だ。ベル・ボーイはいない。ベル・ガールもいない。ベル・キャプテンもいない。フロント・クラークもコンシェルジュも客室係もバトラーもアシスタント・マネージャーも支配人もいない。ドアマンすらいない。いるのは死神と亡者どもだ。レストランもない。バーもない。カフェ・テリアもない。フィットネス・ジムもない。

                                          ロビーはゴミ捨て場と化していて、強烈な悪臭が鼻をつく。5秒で吐きそうになる。実際に吐いた。つい今しがたのことだ。動物の死骸がある。切断された血まみれの人間の手や足や指が無雑作に転がっている。かつてブティックやジュエリー・ショップやフラワー・ショップがあったテナント・スペースは破壊され、ドアは破られ、ショー・ウインドウのガラスは叩き割られている。中庭にはベッドや椅子やテーブルなどの調度品が燃やされた残骸がある。中心部の「コア」と呼ばれる吹き抜けには投げ捨てられた大量のゴミが堆積し、7階あたりにまで達している。このまま世紀末ホテルを重犯罪者専用の刑務所にしようというプランまで持ち上がっている。

                                          かつて、ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯は成功と富と夢のシンボルだった。IT長者たちは競ってファン・ド・シエクル・タワーズにオフィスを構え、住人となった。それは彼らが成功し、富を手に入れ、夢を実現したことを意味した。ITバブルがもののみごとに弾け飛び、敗北者の一人がエントランスにシルバー・メタリックのメルセデス・ベンツ600SELを放置したのが荒廃化の発端である。最初にボンネットの上にセブン-イレブンの空き袋が置かれた。すぐに COKE の空き缶が並び、7UP の空きボトルが並び、未開封の Dr Pepper の2.5Lボトルが並んだ。そして、翌日にはフロント・ガラスが叩き割られた。

                                          アンテナがへし折られ、サイド・ミラーがもぎ取られ、車輪とドアが持ち去られた。エンジン、バッテリー、バックミラー、フロア・マット、シート、ステアリング、シフトレバー、GPSシステム、カー・オーディオ 形のあるものは次々と奪われていった。1週間後には地べたに漏れたオイルの染みを残して、シルバー・メタリックのメルセデス・ベンツ600SELは跡形もなく消えた。「破れ窓理論」どおりだった。

                                          崩壊に向けて走り出した世紀末ホテルを救うことは誰にもできなかった。暴走列車のように血煙を吹き上げながら世紀末ホテルは破滅に向かって驀進した。盗みが激増し、強盗が日常の一部となり、ついには支配人が惨殺された。犯人は13歳の少年だった。支配人の両目はえぐり取られ、顔はつぶされ、身ぐるみ剥がされていた。パンツや靴下の果てまでだ。警察は取り締まりはおろか、世紀末ホテルに足を踏み入れることすらできなかった。

                                          殺人鬼、強姦魔、強盗、サイコパス、詐欺師、麻薬常習者、アル中、こそ泥、ヤクの売人、浮浪者。世紀末ホテルは凶悪なならず者どもの巣窟へと変わり果てた。打つ手なし。世紀末ホテルの経営会社は完全にお手上げだった。世紀末ホテルだけではない。ファン・ド・シエクル・タワーズすべてが無法地帯と化したのだ。ならず者どものせいで巨額の投資資金は泡と消え、あとには廃墟が残ったのみだ。経営はみるみる悪化して上場廃止、そして倒産。セブン-イレブンの空き袋が置かれてから7ヶ月後のことだ。天国から地獄へ。奈落の底へ。客室からはベッドやソファの調度品は無論のこと、金目の物は一切合切略奪されるか破壊されるか燃やされた。世紀末ホテルには憎悪と絶望と退廃が渦巻いている。略奪の中心となったのはルーンストーンズとロンゴロンゴ・ギャング団。デス・タウンを二分するならず者集団だ。

                                          私はなんのために世紀末ホテルに来たのか? 私も犯罪者なのか? 私は犯罪者ではない。もちろん、世紀末ホテルの住人ではない。ファン・ド・シエクル・タワーズの近くを通ることさえ避けている。ましてや、第9地区などとんでもない。世紀末ホテルには金輪際足を踏み入れるまいと思っていた。ファン・ド・シエクル・タワーズ一帯が隕石の直撃を受けて消滅してしまえばいいとさえ思っている。では、なぜ世紀末ホテルに来たのか?

                                          Reload,
                                          Search, Hit!
                                          Click,
                                          Drag,
                                          Command+Copy,
                                          Command+Paste,

                                          Reboot,

                                          ルーンストーンズのメンバーは胸にキース・ヘリングのイラストが描かれたTシャツを着ているのですぐにわかる。ルーンストーンズ以外にキース・ヘリングのイラスト入りTシャツを着る人間などこの世界には存在しない。庭やベランダにセイヨウトネリコの樹があったらルーンストーンズ関係者の家だ。セイヨウトネリコの樹はルーンストーンズのメンバーになったときに与えられる。

                                          セイヨウトネリコの樹は生きているかぎり大切にしなければならない。傷つけたりすれば血の粛清だ。枯らせば惨たらしい死が待ち受けている。ルーンストーンズのメンバーは全員、用心棒がわりにルーンストーン・ナポリタン・マスチフを飼っている。ローマ時代、コロッセオでライオンと闘ったルーンストーン・ナポリタン・マスチフは正真正銘、折り紙付きの猛獣である。見た目も恐ろしげだが、ルーンストーン・ナポリタン・マスチフは犬の皮をかぶった怪物だ。

                                          ルーンストーンズの大ボス、フライ・オーディンの広大な庭の中心には樹齢38億年とも40億年ともいわれる世界樹、イグドラシルが聳え立っている。冥王代に誕生した樹だ。年に一度、屋久島から縄文杉が子分の屋久杉どもを引き連れてイグドラシル詣でにやってくる。そのときは街をあげての祭りになる。ロンゴロンゴ・ギャング団とも一時休戦。デス・シティに平和が訪れるときだ。

                                          フライ・オーディンはオーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールの弟である。3人兄弟の2番目。そして、一番下の弟が私だ。私の名前はストロー・オーディン。「麦わら」とはなんとも情けない名前だが、麦わらのように痩せこけているのだからしかたない。オーディン・オンディーヌ・クレモンティーヌ・カルペンティエールの本名はフェザー・オーディン。羽根とハエと麦わらの3兄弟。痩せっぽち3兄弟。死んだ父親は街一番の痩せ男だったらしい。

                                          Reboot,

                                          ロンゴロンゴ・ギャング団の首領、ビッグ・タンガタ・マヌは空を飛ぶ。鳥人だ。ビッグ・タンガタ・マヌが飛行する姿はとても美しい。1000人以上の人間を血祭りに上げた凶悪な殺人者とはとうてい思えない。身長は2mオーバー。神出鬼没。いまルーシー・イン・ザ・スカイツリー・タワーの展望台でウィスキーをラッパ飲みしていたかと思えば、次の瞬間には水曜の午後の動物園のマンドリルと取っ組み合いの喧嘩をし、かと思えば記憶の劇場で『ゴドーを待ちながら』を観て首を左右に振りながら、「いつ来るんだ? ゴドーはいったいいつ来やがるんだ?」とつぶやき、そうかと思えばイデア・シティ一番のフレンチ・レストラン、『黄金のエイ亭』でグレタ・ガルボ似の絶世の美女とテーブルを囲んで「エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バター・ソース」に舌鼓を打ち、はたまた、第2アレキサンドリア図書館でウェルギリウスの『アエネイス』とヘシオドスの『労働と日々』を古典ラテン語で朗読して号泣し、大笑いし、おっとどっこい、レーモン・ルフェーブル美術館秘蔵のルイ・イカールの『ミミ・パンソン』の前で立ちつくしながら涎を垂らし、休むいとまもあらばこそ、今度はヌーヴォ・キネマ・パラディーゾ・シアターで『再び十字架にかけられしキリスト』を観て他人の迷惑もかえりみずに「エリ・エリ・レマ・サバクタニ!」と絶叫し、返す刀でサタデー・ナイト・クラブ・ヤードバード・ランドでリインカネーションしたマイルス・ディヴィスとチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーとマックス・ローチとジュリアン・キャノンボール・アダレイとローランド・カークとビル・エバンスとジョン・コルトレーンとセロニアス・モンクとクリフォード・ブラウンとジャッキー・マクリーンとジャコ・パストリアスとアート・ペッパーとスタン・ゲッツとバド・パウエルとソニー・スティットとウィントン・ケリーとカウント・ベイシーとエリック・ドルフィーとミシェル・ペトルチアーニとハーブ・エリスとジェリー・マリガンとウェス・モンゴメリーとデューク・エリントンと高橋竹山とギル・エバンスとビリー・ホリデイとスコット・ラファロとアート・ブレイキーとポール・チェンバースとベニー・グッドマンとJ.J.ジョンソンとタル・ファーロウとワーデル・グレイとリー・モーガンとジョー・パスと日野元彦とジーン・クルーパとグレン・ミラーとエラ・フィッツジェラルドというもうなにがなんだかわからないメンバー構成のパフォーマンスによる『As time goes by』と『Now's the Time』と『Confirmation』と『So What?』と『'Round about Midnight』と『Kind of Blue』と『Memories of You』と『I Can't get Started』と『Kulu se Mama』と『津軽じょんがら節』を聴いてタテノリなのかヨコノリなのかハコノリなのかアジツケノリなのかハゲノリなのかさっぱり見当がつかないスウィングをし、この際だからとミナカタ・クマグス・トロトロの森博物館でチューリング・マシンとエニグマのあいだを行ったり来たりし、ついにはニッカーボッカー・ホテルの名物バーテンダー、マルティーニ・エ・ロッシーニに無理強いをしてバカラのカクテル・グラスの名品『ロング・グッバイ』に酩酊率100パーセントのカクテル『泥棒かささぎ』を注がせて悦に入り、おまけとばかりに究極のマティーニ、つまりはロンドン・ビーフィーター・ジン47度の扁平な瓶をグラスの横に置いて屈強な牛喰いと睨めっこしながら一気飲みし、ついでにマルティーニ・エ・ロッシーニが目を離した隙にブードルス・ブリティッシュ・ジン45度をくすねて盗み酒し、「タンカレー No.TEN」のボトルをオーバー・コートの内ポケットにちゃっかりしまいこむという具合だ。

                                          そんなキュート&ファニー&ファンキーなビッグ・タンガタ・マヌだが、殺しの手口は苛烈で残虐きわまりない。単なる射殺や刺殺などはビッグ・タンガタ・マヌにとってはおままごとにすぎない。殺す相手を拉致することからビッグ・タンガタ・マヌの本当の殺人ゲームは始まるのだ。

                                          生け捕りにされたからと安心してはならない。あとには地獄の責め苦が待っている。まず縛り上げ、手足の自由を奪う。口の中にボロ布を突っ込む。手始めに鼻を削ぐ。次に耳を削ぐ。舌を切り落とすのはまだずっとあとだ。手足の爪を一枚一枚たっぷりと時間をかけて剥がす。ところかまわずアイス・ピックで突き刺しまくる。ただし、あくまでも浅く。簡単に死なせてはならないからだ。

                                          顔、胴体、手足に隙間がなくなるくらいに画鋲を刺す。画鋲人間だ。悲鳴を上げてもやめない。それどころか、ビッグ・タンガタ・マヌは大喜びだ。気を失うとバーナーで皮膚を焼く。手足は骨が見えるほど焼きつくしてしまう。

                                          脛の骨を折る。大腿骨を折る。性器を切り落とす。目玉をくり抜く。相手が死を乞うてもすぐには殺さない。考えうるかぎりの苦痛を味わってからでなくては死なせてもらえないのだ。

                                          苦しみと痛みは強く長く。それがビッグ・タンガタ・マヌの流儀である。仕上げにもいろいろある。コンドルに啄ませ、最後は飢えた野良犬に喰わせる。殺す相手の目の前で相手の家族に同じことをするときもある。これはビッグ・タンガタ・マヌから最大の怒りを買ったときだ。妻が子が親が兄弟が恋人が親友が目の前で嬲られ、切り刻まれる。これにまさる苦しみはない。発狂する者さえいる。地下の拷問部屋には世界中から集めた拷問具がある。鉄の処女、苦悩の梨、鉄仮面、魔女の針、祈りの椅子、看守の槍、野ウサギ、異端者のフォーク、スペインの蜘蛛、リッサの鉄棺、プレスヤード、エクセター公の娘、ハゲタカの娘、スケフィントンの娘、スパニッシュ・ブーツ、ゴーントレット、ファラリスの雄牛、クエマドロ、火責め椅子、ユダのゆりかご、魔女の楔。手足の骨を粉砕してから木製の車輪に括りつけるのはビッグ・タンガタ・マヌが好きな拷問法のひとつだ。

                                          Reboot,


                                          Click,
                                          Enter,

                                          デス・タウン/イデア・シティ南部 UTC20時42分

                                          ビッグ・タンガタ・マヌ邸地下、拷問部屋。

                                          「100億いる人間どもが100人になったって滅亡でもなんでもねえからな。もとは100匹いたのにいまは1匹しかいねえなんて話はこの世界にゃ吐いて捨てるほどもあるぜ。今度は人間どもがおなじ目にあうんだ。止めようがねえのさ。好きなだけ殺し合いやがりゃあいい。だれも悲しみゃしねえ。いいも悪いもねえ。おれが100人200人殺したところでどうってこたあねえのさ。だからおれは殺す。殺しまくり、殺しつくす。だれにも文句は言わせねえ。文句があるなら、おれを取っ捕まえて、ぶっ殺すがいいさ。なあ、そうだろう? そう思うだろうがよ? おまえさんにもぶち殺したい奴が一人や二人はいるだろう? え? ちがうか? おべんちゃら、きれいごとはどうでもいいんだ。なあ、そうだろう? いいか? この世界から人っ子一人いなくなったって、そんなものは滅亡でもなんでもねえよ。どうってこたあねえ過程のひとつにすぎねえんだ。人間どもがいなくたって太陽は昇るし、太陽は沈む。なにごともなかったようにな。つまり、おまえに言いたいことはたったひとつだ」

                                          ビッグ・タンガタ・マヌはまっすぐに私を見る。ど真ん中を射抜かれる。動けない。ビッグ・タンガタ・マヌの次の言葉を待った。

                                          「生きろ。だが、一度死んでおけ」

                                          ビッグ・タンガタ・マヌは銀色に輝くクロノスの大鎌を振り上げた。

                                          Shut down.
                                          Boot up ──

                                          ブログランキング・にほんブログ村へ




                                             

                                            ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ#4 想像力と、数百円。

                                             
                                            bunko01.jpg

                                             こまっしゃくれたブンガク青年かぶれだった頃、懐にいつも文庫本を忍ばせていた。それは坂口安吾の『堕落論』であったり、アルベール・カミュの『異邦人』であったり、大江健三郎の『セブンティーン』であったり、村上春樹の『風の歌を聴け』であったりした。それらのたった数百円で手に入れることのできた文庫本は、当時の私をあたかも必殺無類の名刀を持っているような気分にしてくれた。
                                            「こいつさえあれば世界のすべてをチャラにできる」
                                             そんな青臭くも危うい気持ちにさせてくれたのがGパンの尻のポケットに突っ込まれたり、丸められたり、鍋の下に敷かれたりしてボロボロになった文庫本である。文庫本は当時の私の戦友であったと言っても過言ではない。

                                            bunko02.jpg

                                            「文庫」という言葉に出会うといまでも当時の自分を思い出す。カネがなかった。いつも腹をすかしていた。誰彼かまわず喧嘩をふっかけていた。「青春の彷徨」などと言えば聞こえはいいが、ただ貧しくやみくもな苛立ちの中で生き急いでいたにすぎない。だが、それでもホンモノのなにごとか、手応えのある生きざまのようなものを手探りで求めていたことに変わりはない。そのような自分が愛しく思える。そして、そんな私のかたわらにいつも文庫本があった。

                                            bunko03.jpg

                                             当時愛読した(「愛持した」と言ったほうが正しい)文庫本を書架の奥から引っぱり出してはパラパラとページをめくることがある。どれにも傍線や書き込みが脈絡もなく乱暴にされている。故意に引きちぎられたページさえある。薄よごれ、カビ臭く黄ばんだちっぽけな文庫本が言葉にならない当時の思いを甦らせる。心がザラついているときなどそれを懐に忍ばせてみる。途端に世界をチャラにできるような気分になってくる。文庫本はいまも私のドスなのだ。

                                            ブログランキング・にほんブログ村へ



                                              東京の午睡#9 息の根を止めた外付けHDを前にして

                                               
                                               
                                              WesternDigitalHD01.jpg


                                               3年間酷使しつづけた外付けHDが息の根を止めた。ぶっ叩こうが怒鳴り飛ばそうがうんともすんとも言わない。完全なる沈黙。茫然と、しかしいくぶんか陶然と、沈黙を守りつづける外付けHDをみている。3年のあいだに集積された原稿、資料、企画書、報告書、訴状、準備書麺、答弁書、控訴趣意書、講義録等の文書ファイル、iTunes Storeほかで購入した音楽ファイル、折に触れて撮影した画像ファイル、とうてい他者には見せることのできない縄文人系動画ファイルのすべては消えたが(蒙った損害はおそらく数百万円にのぼるだろう)、なぜか心は穏やかだった。バックアップ? それってうめえのか? かたちあるものはいつか壊れるのだ。何者もその摂理に抗うことはできない。外付けHDが息の根を止めたのは精緻精妙なる摂理、「縁」のなせる業である。逆らってはならない。それにすべてはわが大脳辺縁系、大脳新皮質、脳髄に記録されているのだ(と、やや負け惜しみ)。そして、わたくしは息の根を止めた外付けHDを前に夢想する。人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間に思いを馳せる。そのとき、彼の心はふるえていただろうか。それとも千々に乱れていたのだろうか。彼の指先は大地の鼓動を感じとったろうか。
                                               原始の土塊がこびりついた指は幾星霜を経て木版に辿り着き、グーテンベルクに宿る。さらには文選に行き会い、職人技の組版に出合う。やがて、電算写植、製版、DTPを経て、ついに文字は0と1で出来上がったデジタルの海へと溶け入った。早晩、文字は印刷され、大量消費され、与えられるものではなく、ただそこに置かれ、引っ張りだされ、奪い取られるようになるだろう。文字言語が無制限無制約に集積されたもの。それは人類の知の大伽藍でもあって、かのアレクサンドリア図書館をさえ軽々と飲み込むスケールを持つ。このことは文字言語にとどまらない。音声も音楽も映像も、すべてが人類史上最大にして最速の知の大伽藍に集積集約される。ひとはいつかその知の大伽藍を「神」あるいは「極楽浄土」と呼ぶようになるかもしれない。身体は本来の意味を失い、精神は0と1に変換されて、デジタルの海を自由自在に泳ぎまわる世界。このとき、ついに「永遠の生命」は実現する。
                                               さて、次の外付けHDはなににするかな。Western Digital か Seagate Technology か? それともTOSHIBA か? いずれにしても、ここは奮発して最新最速最大容量のもにしようと思う。彼につける名前は「アレクサンダーくん」だ。

                                               かくして、本日も東京はボスフォラス以東にただひとつの黒死館のごとくに天下太平楽である。

                                              ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                『アメリカの鱒釣り』の死

                                                 
                                                000.jpg


                                                 午前5時14分。南青山1丁目ツインタワー前。徹夜明けの朝、こわばった心をほぐすために青山通りで跳ねる百万匹の鱒たちの黒ずんだ背びれを眺める。彼らはすべて、『アメリカの鱒釣り』から抜け出してきた誇り高き鱒たちだ。
                                                『アメリカの鱒釣り』でリチャード・ブローティガンのことを知ったとき、彼はすでに世界とオサラバしていた。短銃自殺。1984年の秋のことである。私の知らないうちに私の知らない小説家が私の知らない土地で銃で頭を撃ち抜いていたという事実は私を少しせつなくさせた。『アメリカの鱒釣り』を読み進みながら、私は生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみについて考えていた。読み進むうちに生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみは輪郭がとてもくっきりしてくるのだった。3ページ読むと3ページ分のリアリティが加わった。『アメリカの鱒釣り』を読んでいる間、私の心の中には『アメリカの鱒釣り』のための清冽で目映いばかりの川が音もなく流れつづけた。魚たちの跳ねる音や澄んだ空気や川岸の冷たい緑色をした樹木や野生の草花や鱒の黒ずんだひれやほんの少し湿り気をおびた風が私と一緒だった。

                                                00.jpg

                                                 アメリカの鱒釣り。リチャード・ブローティガン。
                                                 私は小説を読み、小説家を思った。なぜ『アメリカの鱒釣り』はリチャード・ブローティガンによって書かれ、なぜリチャード・ブローティガンは『アメリカの鱒釣り』を書いたのだろう。そして、なぜ『アメリカの鱒釣り』を書いたリチャード・ブローティガンは短銃自殺なんかしたんだろう。もちろん、いくら考えても答えは出なかった。それらのことについて考えていると胸の真ん中あたりがパリパリと乾いた音を立てて割れてしまうような気がした。
                                                 この世界に確実なことなどなにひとつないが、これだけは言える。もしもアーネスト・ヘミングウェイが生きていて、リチャード・ブローティガンと出会っていたら、二人とも自殺なんかしなかったということだ。そして、今頃は『アメリカの鱒釣り』のための清冽な流れに二人並んで釣り糸を垂れたり、ヒッコリーの木にもたれて釣竿の自慢話をしたり、やまゆりの匂いをかいだり、風の歌に耳を傾けたりしていただろう。だが、二人は出会わなかった。そして、一人は猟銃で、一人は短銃で、それぞれ自殺した。

                                                fishing01.jpg

                                                 人は誰も途中で死ぬ。例外はない。目的地にたどり着いてから死ぬことなど誰にもできやしない。つまり、THE END や FIN の文字が都合よく用意されてはいないということだ。
                                                 1998年の冬、1月の中頃から2月の終わりにかけて、私は『アメリカの鱒釣り』を合計68回読んだ。そして、『アメリカの鱒釣り』は68回死んだ。『アメリカの鱒釣り』が68回死ぬ間に生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみは68回分のリアリティを獲得した。68回の『アメリカの鱒釣り』の死のうち、29回は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチで迎えた。17回は東京タワーの第2展望台で、9回は最終の千代田線を待つ表参道のホームで、3回はギリシャ大使館のある坂道の途中で、残りの10回は自分の部屋とガール・フレンドの部屋と病院のベッドに横たわる祖父の枕元で、それぞれ私は『アメリカの鱒釣り』の死を迎えた。『アメリカの鱒釣り』は実にさまざまな死に方をした。眠るような安らかな死もあれば、最後の最後までもがき苦しむ死もあった。ジョン・ボン・ジョヴィの『ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー』を絶叫し、私にすがりつきながら死んでゆくことさえあった。68通りの死だ。

                                                benchgaienichounamiki01.jpg

                                                『アメリカの鱒釣り』の作者の頭を撃ち抜いたのはスミス & ウェッソン社製44マグナム Model 29-2である。私はハワイ島でこの銃を撃ったことがある。たいていの人間の頭を44マグナム Model 29-2はたった一発で木っ端微塵にする。ハードボイルドこのうえもない。44マグナム Model 29-2のように生きられたらとときどき思う。そうすれば、少しは私の人生もすっきりしたものになっていたはずだ。もちろん、そうはならなかった。

                                                44magnum-goncaloalves1120.jpg

                                                『アメリカの鱒釣り』の文章はおそろしく透き通っている。清冽で眩しい。痛いくらいだ。それは死の影に身を委ねた者のみが書くことのできる文章である。もう一度だけ言おう。リチャード・ブローティガンは死んだ。1984年の秋口。短銃自殺。『アメリカの鱒釣り』も死んだ。1998年の1月中旬から2月下旬にかけて。68回。68通りの死。

                                                yamaguchisayoko01.jpg

                                                 残念なことに、あるいは幸運にも、私がリチャード・ブローティガンを知ったのは、彼が死んだずっと後のことだったが、彼が死ぬ前、私は表参道の緩やかな坂道の途中あたりで彼とすれちがったことがある。もちろん、そのときは彼がリチャード・ブローティガンだなんて知るはずもない。リチャード・ブローティガンの連れの女性は山口小夜子に似たちょっとした美人で、細くて作り物みたいに白い首に紫色のスカーフを巻き付けていた。二人の傍らには『アメリカの鱒釣り』が臆病な柴犬みたいに寄り添っていた。

                                                brautigan00.jpg

                                                 リチャード・ブローティガンはマクドナルドのチーズバーガーをかじりながらコーラのMサイズを飲んでいた。彼はチーズバーガーを3分の2ばかり食べ、残りを『アメリカの鱒釣り』のほうへ放った。チーズバーガーのかけらを食べる『アメリカの鱒釣り』はすごく哀しそうな眼をしていた。それを見つめるリチャード・ブローティガンはもっと哀しそうだった。以来、私の心の片隅にはリチャード・ブローティガンと『アメリカの鱒釣り』の影が小さなしみのように残っている。

                                                07.jpg

                                                 そんなわけで、ヨシノさんと知り合ったのは『アメリカの鱒釣り』が69回目の死を迎えようとしているときだった。その日は水曜日で、雲ひとつないしみるような青空が広がっていた。空を見つめていると、そこに突然大きな裂け目ができて大きくて柔らかそうな手が現われるような気がした。3月の初めの空気はとても冷たくて、息をすると胸が少し痛んだ。
                                                 私は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチに座り、69回目の『アメリカの鱒釣り』を読んでいた。しみるような青い空と冷たい空気と銀杏の木と『アメリカの鱒釣り』。それは悪くない取り合わせだった。悪くないどころか、東京中のレストランの「本日のおすすめ」を合わせたよりもずっと良心的で、真摯だった。
                                                 ヨシノさんは青山通りから13本目の銀杏の木の下に三脚を立て、身動きひとつせずにファインダーを覗き込んでいた。私がヨシノさんに気づいてから1時間は経っていたが、ヨシノさんはそのあいだ1度もシャッターを押さなかった。私はヨシノさんと東京の3月の空と『アメリカの鱒釣り』の表紙を順番に3回ずつ眺めた。

                                                12.jpg

                                                「冷えますね」
                                                 4回目に空を眺めようとしたとき、ファインダーを覗き込んだままヨシノさんが言った。私は気の利いた返事のひとつもしたかったが、これといった言葉が思い浮かばなかった。「冷えますね」と私は答えた。実に間の抜けた答えだった。『トムとジェリー』に出てくるペンキ塗りみたいに間が抜けている。
                                                「なんでシャッターを押さないのかって思うでしょう?」
                                                 ヨシノさんは道路を隔てた青山通りから7本目あたりの銀杏の木にカメラを向けて言った。なんでシャッターを押さないんだろう? 私はそのとき初めてそう思った。返事をするかわりにダッフル・コートのポケットからラッキー・ストライクを出して火をつけた。ヨシノさんは私の返事を待っているようだったが、私は言うべきことが思いつかなかった。
                                                「無駄だからですよ」
                                                「無駄」と私は言った。
                                                「フィルムが入ってないんです」とヨシノさんが言った。
                                                 ヨシノさんはファインダーからやっと眼を離し、三脚をたたんで私の方へ歩いてきた。ヨシノさんはニット帽を耳が隠れるほど深くかぶり、オレンジ色のダウン・ジャケットを着ていた。ダウン・ジャケットはワンサイズ大きいように思えた。ベージュのコーデュロイ・パンツは膝が出ていて、ワラビーブーツはおそろしく型が崩れていた。色白で端正な顔立ちだった。髪は赤茶で瞳には薄いブルーがかかっている。ヨシノさんは北の国の川をゆったりと泳ぐアラスカ鱒を思わせた。
                                                「座ってもいいですか?」とヨシノさんは言った。
                                                「どうぞ」と私は答えた。

                                                20060523205756.jpg

                                                 ヨシノさんはベンチに三脚を立てかけ、私の隣りに座った。ヨシノさんはジェフリー・ビーンズのグレイ・フランネルの匂いがした。それは私が使っているのとおなじフレグランスだった。
                                                「飲まれますか?」
                                                 ヨシノさんは唐突に言った。息に酒の甘い匂いが混じっている。ヨシノさんはヒップ・ポケットから銀製のボトルを抜き出し、親指の腹でキャップを勢いよく回転させて開けた。そして、喉を鳴らして飲み、ボトルを私に差し出した。私はそれを受け取り、舌の先で味を探ってから飲んだ。マイヤーズ・ラムだった。
                                                「フィルムが入ってないんですよ」とヨシノさんはもう一度言った。それから大きな溜息をひとつついた。ラムの甘い香りがこぼれてくる。
                                                「入れないと言ったほうが正確だけど」
                                                「フィルムを入れない特別な理由でもおありなんですか?」
                                                「私はね、写真を撮るためにここに来てるんじゃないんですよ。銀杏の木を見るためにここへ来てるんです」
                                                「銀杏の木を見るためにここへ来る」と私は言った。
                                                「シャッターを押しながらいつも思うんだ。早くシャッターを押さずにすむ日が来ないかなって」
                                                 シャッターを押さなければならない日とシャッターを押さずにすむ日とのちがいを考えてみたがよくわからないので、もうそれ以上考えるのはやめた。

                                                 私とヨシノさんの共通点はグレイ・フランネルを使っていることとアルコホリックであるということの二点だった。私とヨシノさんのあいだにちょっとした沈黙が降りたとき、携帯電話が鳴った。ディスプレイには「番号非通知」の文字が浮かんでいた。「私が真の大衆です」と電話の男は言った。電話口の向こう側には夕暮れの雑踏のような色々な音がした。「大衆」と私は思った。「大衆」はいま・どこで・なにをしているのだろうとも考えた。「いまからそちらへ向かいます」と男は言い、電話は切れた。まさか白のカローラで来ることはあるまいと思っていたら、その男は本当に白のカローラでやってきた。

                                                carolawhite01.jpg

                                                 男は車を降りるなり、1978年9月号の『宝島』を正確に50冊、私の前に積み上げた。一冊ずつ甲高い声でカウントしながら。そのあいだ、ヨシノさんは男にずっとレンズを向けつづけ、「視えない自由。視えない自由」と呟きながら取り憑かれたような表情でシャッターを押しつづけた。

                                                gaienselan00.jpg Photo by saki

                                                 男が去り、ヨシノさんは再び銀杏の木にカメラを向け、私は雲ひとつない3月の東京の空を眺めた。そのようにして、夕暮れが過ぎ、闇が訪れ、朝が来た。ヨシノさんと表参道の交差点で別れたあと、私は夜明けの青山通りを歩きつづけた。人通りはなく、車の往来も少なかった。ブルックス・ブラザースをすぎ、ベルコモンズをすぎ、伊藤忠のビルをすぎても何も考えられなかった。何も考えたくなかった。『アメリカの鱒釣り』が最期のときを迎えようとしているのがわかった。私は再び銀杏並木に戻った。

                                                gaienichounamiki01.jpg

                                                「もうすぐお別れだ」と『アメリカの鱒釣り』に言った。
                                                「もうすぐお別れだ」と『アメリカの鱒釣り』は答えた。
                                                 私は青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチに座り、『アメリカの鱒釣り』のページを開いた。70回目の『アメリカの鱒釣り』、最後の『アメリカの鱒釣り』。私は1文字1文字ゆっくりと丁寧に読んだ。「、」で立ち止まり、「。」のたびに東京の3月の空を見上げた。『アメリカの鱒釣り』は最初から最後まで穏やかだった。ときどき、微笑むことさえあった。
                                                「ありがとう。本当にありがとう」と『アメリカの鱒釣り』は感謝の言葉を述べた。
                                                「こちらこそ。ありがとう」
                                                「でも、いつかあんたはおれのことを忘れる」
                                                「うん。そう思うよ。でも、いつかまた、思いだす」
                                                「答えはみつかるかな?」
                                                「いつか、必ず」

                                                17.jpg

                                                 奥付に目をとおし、私は静かに『アメリカの鱒釣り』を閉じた。そして、青山通りから12本目の銀杏の木の根方に『アメリカの鱒釣り』を埋めた。少しだけ涙が出た。ほんの少しだけ。青山1丁目の交差点で私は立ち止まり、ホンダのビルとツインタワービルを交互に見上げた。それから、ピンと張りつめた朝の空気を吸い込んだ。すると、青山通りは『アメリカの鱒釣り』のための清冽な川の流れに姿を変え、百万匹の鱒たちが黒ずんだ鰭を躍動させているのが見えた。私はその中へ、百万匹の鱒たちが跳ねる『アメリカの鱒釣り』のための清冽な流れの中へ、形のない境界のボートでゆっくりと、本当にゆっくりと漕ぎだしていった。

                                                keikainoboat01.jpg

                                                americantrout0000.jpg

                                                ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                  コトリのうた #1

                                                   
                                                   とてもたいせつで正しいこと
                                                   きょうは木曜日。コトリの水泳教室の日だ。コトリはバスの窓から夏の陽射しにさらされた街に見入っている。コトリは5歳。彼女の背もまっすぐな髪もどんどん伸びている。どんどんまぶしくなっていく。秋がやってきて、冬を越して、春の盛りの頃には、真新しいランドセルを背負ったコトリはもっと大きくなっていて、髪も伸びていて、さらにまぶしく輝いているのだろう。
                                                  「こんどのプールは木曜日がいい」とコトリが言ったのはおとといのことだ。
                                                  「どうして?」とわたし。コトリの頬がほんの少し染まる。コトリがみせる初めての表情だった。
                                                  「おにいちゃんに会えるから」とコトリは答えた。
                                                  「おにいちゃん?」
                                                  「うん」
                                                  「どこのおにいちゃん?」
                                                  「わかんない」
                                                  「わかんない」
                                                  「うん。おにいちゃんはいろんなことをわたしに教えてくれるの」
                                                  「どんな?」
                                                  「長さはセンチで、重さはグラムで、男の子はボーイで、女の子はガールで、たまごはエッグで、色はエッチで、愛はカゲロウで、恋はミズイロで、かわいそうというのはホレたってことで、おかねはテンカノマワリモノで、世界はラヴ・アンド・ピースだって。ねえ、ママ、あってる?」
                                                  「あってるわよ。そのおにいちゃんはコトリにとてもたいせつで正しいことを教えてくれたのよ」
                                                  「たいせつで正しいこと」
                                                  「コトリはおにいちゃんが好きなのね?」
                                                  「うん。大好き」
                                                  「そう。ステキね」
                                                  「ステキ。ステキと好きは似てるね」
                                                  「似てるね」
                                                  「ママには好きでステキなひとはいないの?」
                                                  「うーん」
                                                  「ママにはむずかしい問題なのね?」
                                                  「うん。むずかしい。むずかしくてスリリング」
                                                  「エリコさん。こんどコトリが質問するまでにちゃんと勉強しておきなさい」
                                                  「はい」

                                                   バスが川沿いの街のプールに着いたとき、コトリは「いろんなことを教えてくれる大好きなおにいちゃん」の姿を求めて身を乗り出した。コトリの視線がぴたりと止まったその先に小学校2年生くらいの男の子が立っていた。コトリに気づいた男の子は弾けるような笑顔をみせた。この夏に見た笑顔のなかで2番目にまぶしい笑顔だった。もちろん、一番まぶしかったのは男の子を見るときのコトリの笑顔だ。「二重らせん。歴史は繰り返す」とわたしはつぶやく。駆け出すコトリの向こう側、夏の終わりの木曜日の午後のプールからまぶしい歓声が聴こえてきた。

                                                  pesto_genovese07.jpg

                                                  pesto_genovese04.jpg

                                                   好物と美学と森の緑のスパゲティ
                                                   コトリは食が細い。それはわたしからの贈り物。わたしからコトリへの贈り物はほかにもたくさんあるけれど、食の細さがコトリに伝わったことには少しだけ胸が痛む。コトリはふだん、ごはんはおちゃわん一杯の半分くらいしか食べない。でも、イクラのときはごはんをおかわりする。コトリはイクラが大好きなのだ。(「ママより好きかも♪」とコトリがモアイ像の置物にこっそり耳打ちしたことをわたしは忘れない。忘れませんとも!)FOO:D magazine の特売で買ったマスコを食卓に並べたらコトリは見向きもしないことがあった。「コトリちゃん。どうして食べないの? イクラだよ」とわたしが言っても,ふくれっ面をしてそっぽを向いている。
                                                  「ママ! うそはドロボーのはじまりよ! これはイクラではありません。粒の大きさがちがいます! こどもにだってわかります! とーぜん、コトリにはバレバレです!」
                                                  「マ  マ  が  ま  ち  が  っ  て  ま  し  た orz」
                                                   コトリはまぐろの赤身も大好物だ。「トロはべたべたして気持ちわるい。それに切れ味と透明感に欠けます」とコトリが言ったとき、わたしはあやうく椅子からころげ落ちそうになった。コトリは食べものと飲みものと身につけるものと髪型と言葉づかいにすごくこだわりを持っているのだ。彼女のこだわりはいまや美学とさえ言っていいほどゆるぎない。そんなコトリの一番の好物が「森の緑のスパゲティ」だ。「森の緑のスパゲティ」はつまりスパゲティ・バジリコなのだけど、コトリは「スパゲティ・バジリコ」とはけっして言わない。
                                                  「ママ、きょうは森の緑のスパゲティにうってつけの日よ」
                                                  「そうね。あとでいっしょにバジルを摘もうね」
                                                  「そうね。森の緑のスパゲティはディ・チェコでね。前回のマ・マー・スパゲティはいただけません。まったくいただけませんでした!」
                                                  「ごめんなさい。本当にごめんなさいです! あの日からスパゲティはディ・チェコ以外は食べませんと神宮外苑の銀杏並木に約束しました」
                                                  「ママもやっとものごとの仕組みがわかってきたようね。コトリはすごくうれしい」
                                                   そう言って胸を張るコトリのまっすぐな髪からバジルの青々とした香りが立ちのぼってきた。

                                                  kotorimugiwara01.jpg

                                                   朝のコトリとあらかじめ失われた森の緑のカーテン
                                                   朝めざめてベッドから出るとコトリはまっすぐわたしの部屋にやってきて、わたしの褥にもぐりこむ。そして、「ママ、おはよう」とハグをする。やわらかくゆったりとして満ち足りたコトリのささやき。わたしはそっとコトリのすべてを確かめるように抱きしめる。そして、コトリの髪に鼻を押しつける。いい匂い。世界で一番わたしを勇気づけ,やすらかにする匂い。わたしの朝の宝石のようなひとときだ。「マッティ、お腹痛いのはなおった?」とコトリはわたしの顔を覗きこみながら言った。
                                                   わたしがコトリに感心するところは、彼女の思考の基本軸に時間の流れがあることだ。コトリはけっして物事を点の集合として扱ったりしない。忘れていたことを「ふと思い出したから」と口に出すことはなくて、表面に立ち現れる言葉は、見えない場所で常に流れている伏流水のような思考に裏打ちされているのだ。つまり、コトリは言葉に出さなくても、わたしのことを常に心配し、心を痛めているということ。
                                                  「ええ、ママはもう大丈夫よ」
                                                  「よかった。それならコトリも大丈夫」
                                                   7時15分。「じゃあ、行くね」と彼女は世界で一番親愛と慈しみに満ちた場所から抜けだす。最近のお気に入りであるシアサッカー地の生成りのワンピースに着替え、パステル・ブルーのリボンがついた麦わら帽子をかぶると、コトリはスキップを踏んで出かけていく。目的地は通りを隔てたわたしの両親の家だ。この夏の定番行事。コトリの目的は朝食前に新聞を読むジージーと遊ぶこと。
                                                  「ママ、”おとなの鍵” をはずして」
                                                   コトリにうながされてドア・チェーンを外す。同級生の中では背の高いコトリだが、それでもドア・チェーンにはまだ手が届かないのだ。ドア・チェーンだけではなくて、コトリは自分の手の届かないものはすべて「おとなの」と形容する。「おとなのスウィッチ」「おとなの時間」「おとなの食べ物」「おとなの扉」という具合に。
                                                   窓の外は秋の匂いが混じった空気で満たされている。駆け出すコトリの背中に向かって車に気をつけるよう声をかけ、通りを無事に渡ったことを確かめてから、ドアをそっと閉める。

                                                  mebuki01.jpg

                                                   おはなしの種、おはなしの芽、おはなしの花、世界で一番好きなひと
                                                   物音ひとつしない夜ふけ。「マッティ、おはなしの種を食べてください」と言って、コトリはわたしのベッドにもぐりこんでくる。夜毎の、わたしとコトリの幸福な時間。つかの間の至福のときだ。
                                                  「はい。あーんして。マッティ」
                                                   コトリは細く透き通った指先で「おはなしの種」を注意深くつまみ、わたしの口元に寄せる。
                                                  「ゆっくり静かに、穏やかな気持ちで飲み込むのよ、マッティ」
                                                  「ええ。わかってるわよ。コッティ。ゆっくり静かに、穏やかな気持ちで、ね」
                                                   おはなしの種を飲み込むと頭のてっぺんのあたりがムズムズしはじめる。そして、「ポロン」と微かに音がする。世界の中心からゆらゆらと昇ってきた小さな泡粒がもうひとつの世界の中心にたどりつき、弾ける。
                                                  「マッティ。おはなしの芽が出たね」
                                                  「そうね。今夜も出たね」
                                                  「今夜はどれくらいお水をあげたらいい?」
                                                  「たっぷりと、気が済むまで」
                                                  「それでは今夜は2000トンあげることにします」
                                                   わたしは急にコトリが愛おしくてたまらなくなる。抱き寄せ、抱きしめる。強く。とても強く。
                                                  「痛いわよ、マッティ。それにコトリはいまたいせつな作業中です」
                                                   コトリは2000トンの水やりをすませ、おはなしの芽に見入っている。わたしは iTunes に「水」をキーワードにして作ったスマートプレイ・リストを呼び出す。いつものこと。リストの1曲目は B. エヴァンス & J. ホールの『ダーン・ザット・ドリーム』

                                                  kotoriashidakehairukawa02.jpg

                                                   足だけはいる川   「水と光の中にあなたをみつけました」
                                                   夏休みの終わりの朝。清潔で健やかな午前8時の光を受けてきらめく水の中にコトリはいる。一心に水をみつめ、戯れ、動きまわり、そして喜びを全身であらわすコトリ。清冽な湧き水が緩やかな流れをつくり、絶え間なくコトリの足元を洗う。水と光に包まれたコトリは北の森の妖精のようだ。コトリが水の中を動くたびに水しぶきがあがり、飛沫のひとつひとつに光が反射する。
                                                  「気持ちいいね、ママ」
                                                  「すごく気持ちいいね」
                                                  「コトリはいっぱい幸せです」
                                                  「ママもよ」
                                                  「ママはコトリが幸せだと幸せなんだね」
                                                  「そうよ。コトリちゃんが幸せだとママはすごく幸せ」
                                                  「コトリはママが幸せだと、すごくすごくすごく幸せ」
                                                   あたたかなものがこみあげてくる。
                                                  「それではママにコトリから質問です」と言ってコトリはわたしの真正面に立ち、居ずまいをただした。背筋はぴんと伸び、わたしをみすえる表情はおとなそのもの。いくつもの水の滴が頬を伝い、きらきらと光っている。公園の中心に広がる森の一番奥まった場所、神の小さな依代がある方向から吹いてきた清明の風がコトリの真っすぐな髪を揺らす。神々の清らの息吹がコトリをまるごと包み込んでいるようにも感じる。
                                                  「エリコさんはコトリが悲しかったり、さびしかったらどんな気持ちになりますか?」
                                                   言葉に詰まってしまうわたし。しかし、コトリは気にする様子も見せず、また清流のただ中を走りまわりはじめる。心が泡立ちかけたけれど、幸せなコトリを見ているうち、またすぐに心は浮き立ってきた。
                                                   ゆうべ帰宅が遅くなったわたしに、全身をこわばらせながらコトリは言った。
                                                  「コトリはママがどこにいるのかわからなくなっちゃったよ」
                                                  「ごめんね。コトリちゃん」
                                                  「いいよ。ママはコトリを忘れたけど、コトリはママを忘れなかったし、コトリはママをみつけたんだし、いまはママはたしかにコトリの目の前にいるんだから」

                                                  kotoriashidakehairukawa03.jpg

                                                  「泣いたのね?」
                                                  「うん」
                                                  「いっぱい?」
                                                  「いっぱい」
                                                  「すごくいっぱい?」
                                                  「すごくすごくいっぱい」
                                                  「悲しくてさびしかったのね?」
                                                  「うん。ポケモンのゲームをママに隠されたときの999倍くらい。もうコトリは二度とママには会えないのかと思いましたよ」
                                                   わたしは小さなコトリがさらに小さく、かよわく儚く思えて、このままどこか遠く、二度と手の届かないところへ行ってしまうような気がして、腕を伸ばし、抱き寄せ、そして力のかぎりに抱きしめた。
                                                  「コトリちゃん。あしたの朝、お水とお日さまと神さまのいる秘密の場所へ行きましょうね」
                                                  「ほんと?!」
                                                  「ほんと!!」
                                                  「ねえ、ママ。999の次はなあに? まだ公文で習ってないの」
                                                  「999の次はね、それはね。たくさんすごくいっぱい」
                                                  「コトリはいま、ママがコトリを好きなたくさんすごくいっぱい倍ママが好き」
                                                   コトリちゃん。コトリッチ。コッティ。ママは夏休みの終わりのきょう、水と光の中に、真っすぐな髪がさらに伸びて、背もまた少し大きくなって、まぶしく輝くあなたをたしかにみつけましたよ。ありがとう。来年の夏も再来年の夏もそのまた次の年の夏もずっと。

                                                  kotoricycleschool01.jpg

                                                   自転車の乗り方指導実習と天使の階段
                                                   きょうは夏休みが終わって初めての日曜日(と思ったら土曜日)。朝からコトリに「自転車の乗り方指導」をした。しかし。しかししかししかし! わたしは「自転車の乗り方指導実習」が大の苦手科目。「教え方が悪い!」「すっごく手抜き!」「ちゃんと見てて!」「なんか変!」「とにかく変!」といつもコトリに叱られる。わたしが自転車の乗り方指導実習が苦手なのはわたしが自転車に乗れないからだ。運動神経はいいほうなのに自転車にはなぜか乗れない。
                                                   自転車に乗れない原因を自分なりに分析したことがある。結果、わたしは「複数のことを同時に処理しようとすると頭の中のミンミン蝉が一斉に鳴きだす」ということが判明した。つまり、わたしの脳内CPUは同時並列処理に向いていないということ。サドルに座って、ハンドルを握って、前を見て、耳をすまし、漕いで、ブレーキをかけてという一連の行為を状況の変化に応じて組み合わせながら行うのはわたしにとっては至難の業、神業、神の見えざる手、「おかみさん、時間ですよ」、そして、奇跡に等しいのだ。100万匹のミンミン蝉が一斉に鳴くときのうるささときたら樽犬さんのマドレーヌ・トークを耳元で2時間ぶっつづけで聴かされるのと同じくらい、

                                                   五     月     蝿     い!
                                                   喧     ま     し     い!
                                                   鬱     陶     し     い!
                                                   K F C の 脂 の い っ ぱ い つ い て る ほ う が 好 き♪

                                                  Rembrandtrays02.jpg

                                                   コトリの「自転車の乗り方指導」を終えて帰ろうとしたとき、コトリが西の空を見上げ、空を指差して言った。
                                                  「ママ! コトリはあの階段にのぼるよ。ママもいっしょにきてよ」
                                                   コトリが指差す空には天使の階段が目映くやわらかく輝いていた。レンブラント光線はゆっくりと方向をかえ、ついにわたしとコトリに降り注いだ。そして、4人のバンビちゃん天使が舞い降りてきた。コトリはとてもうれしそうにバンビちゃん天使たちに挨拶をした。
                                                  「こんにちは。こんにちは。こんにちは。こんにちは」
                                                  「こんにちひ」
                                                  「こんにちふ」
                                                  「こんにちへ」
                                                  「こんにちほ」
                                                  「あれー。へんなのー」
                                                  「あれー。へんみえみりー」
                                                  「あれー。へんみまりー」
                                                  「あれー。へんみよう」
                                                  「あれー。へんみ、へんみ、えーと、えーと、へんしん!」

                                                   バンビちゃん天使のうちの1人がゾンビちゃん天使に変身したので、わたしとコトリは鉄板プレート焼肉パーティの準備があるからとうそをついて、ジージーとバーバーの待つおうちへ帰った。後ろから前から、バンビちゃん天使3人とゾンビちゃん天使の抗議の声が聴こえた。抗議の声にはときどき、「ブーフーウー、ブーフーウー」というコブタちゃんの鳴き声が混じっていた。みると、バンビちゃん天使のうちの1人がコブタちゃん天使に変わっていた。無性にヘルシンキが懐かしかった。夏の疲れが出ているのだと思うけれど、わたしは永遠にヘルシンキには行けない気がする。人生や日々の暮らしはそうそうヘルヘッヘンドできないから。人生や日々の暮らしは晴れときどきブーフーウーだから。

                                                  ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                    東京の午睡#10 「ABC予想」の証明なるか?!

                                                    とんでもないニュースが飛び込んできた。整数論の超難問である「ABC予想」を日本人数学者が証明したというのだ。京都大学の望月新一博士(43歳)。
                                                    欧米のメディアはいっせいに「Incredible」と興奮気味に伝えているが、今のところは査読の結果を待つしかない。ネイチャー誌は「査読には長い時間がかかる」とのコメントを出している。吾輩もいまネット上に公開されている当該論文を読み終えたところだが、はっきり言ってチンプンカンプン。なにしろ、解決に350年かかった「フェルマーの最終定理」が「ABC予想」を用いれば一気に証明できてしまうのであるからして、ただごとではない。今週末、へたをすれば来週いっぱいすべての予定をキャンセルすることになるかもしれない。(吾輩は「元禄御畳奉行」か?(自嘲)) それにしても、とんでもない「化け物」が出てきたものだ。午睡どころではなくなった。

                                                    かくして、本日も東京はインター=ユニバーサル・タイヒミュラー・セオリーのごとくに天下太平楽である。

                                                    ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                      『虹のコヨーテ』のための準備運動#1 ディネの男

                                                       
                                                      nietoNavajo02.jpg

                                                       ディネの男は「水を汲んでくる」とだけ言い残してトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう11年になる。彼の1958年型フォード・エドセルはガレージで埃をかぶったままだ。 バッテリーは溶けて跡形もないし、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てている。
                                                       11年のあいだ、月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はディネの男の人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い11年間だった。この11年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。
                                                       11年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。妻と飼犬の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。40年以上も付き合いのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。
                                                       見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかディネの男と再会できる日がくると信じる。再会を待つ。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。ディネの男とともに炎の中心に立つ。 ディネの男との再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。

                                                       わが名は「月で酔いどれるカタジュタの男」ホピとチェロキーとナバホの友人が一人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨン・ロードは200mile/hでぶっ飛ばす! セヴンナップを1日に1ダース飲む!

                                                       ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ!

                                                      ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                        東京の午睡#11「ユリイカ!」と雄叫びをあげたいところだが

                                                         
                                                        tokionohirune42.jpg

                                                        「ユリイカ!」と雄叫びをあげたいところだが    。「ABC予想」の証明の件だ。わからぬ。どうにもならぬ。眠れぬ。「ABC予想」の証明のことが気になって気になって眠れぬ。本当に午睡どころではなくなってきた。案件、取材、面談、打ち合わせはすべてドタキャン。日を繰り延べられるものは繰り延べ、できないものについてはピンチヒッターの弟子どもを投入してお茶を濁す。慶応の仏文を出たばかりの脚線美の誘惑秘書おねいちゃんが iPad を小脇にはさんでブーブーモーモー子豚ちゃん仔牛ちゃん状態だ。なんだ。えらそうに。ここで一番えらいのは吾輩だ!
                                                        「ブーブーモーモーとうるせえな。豚か? 偶蹄目か? おめえの脚線美は確かに蠱惑的だが吾輩には通用しない。世の若造小僧っ子どもとは踏んできた場数がちがうぜ」
                                                        「先生、それってセクハラです」
                                                        「セクハラだか名馬セクレタリアトだかアイルトン・セナだか巨人の原だか知らねえが、とにかくいまの吾輩に一番大事なのはABC予想が証明されたかどうかなんだ。資本家どものお先棒担ぎどころではない」
                                                        「なんですか? エービーシーヨソーって。ABCマートと関係ありですか?」
                                                        「おまえねえ、下足の安売り屋といっしょにするんじゃないよ。おまえがわかるように説明するだけで100年かかっちまう。いや、100年どころじゃねえな。最低でも350年かかる。ネットで調べてみな」
                                                        「なーんだ。先生もわからないんだ。そうなんだ」
                                                        「吾輩にわからぬことなどない!」
                                                        「じゃ、おバカなわたしにもわかるように説明して」
                                                        「いや、それがだなあ・・・」
                                                         埒があかぬので、早々に東京を引き上げ横須賀の隠れ家へ。

                                                         海の近い横須賀は東京とちがって風が涼しく心地いい。陽もいくぶんかやわらいでいる。テラスに長椅子を持ち出し、早速、プリント・アウトした望月新一氏の「ABC予想」の証明に関する論文、『Inter-Universal Teichmüller Theory Ⅳ: Log-Volume Computations and Set-Theoretic Foundations(宇宙際タイヒミュラー理論)』を読みはじめる。昨日から数えれば途中で投げ出したのも含めて4度目の挑戦だ。ときどき、気分転換に走水の海岸と観音崎の灯台を眺める。まだ泳いでるやつがいる。9月には帰らなくちゃいけないんだぞ。潮風にちぎられちゃうぞ。山手のドルフィンから三浦岬が見えるというのは大うそだぞ。
                                                         望月論文を読みこなし、読み解くには現代高等数学、わけても「整数論」のいくつもの理論が頭の中に入っていなければならない。基礎の基礎の基礎がまず必要なのだ。望月新一氏が架けた巨大な橋を渡るためにはその橋にさらに橋を架け、架けた橋にさらにまた橋を架け・・・という七面倒くさいことこのうえもない作業が求められるのだ。土台、それは無理な話である。おまけに望月氏は新しい数学メソッドをコンピュータを駆使して開発したうえで証明を展開しているため、望月氏以外の者が無謬性並びに無矛盾の検証作業に取りかかろうとしても、そもそも共通のエピステーメーがないから暗号を解読するような困難な事態となる。しかし、さすがの吾輩は望月論文を四苦八苦しつつ読み進みながらあることに気づく。うん? これは日本人の英語じゃねえぞ! 気色の悪い「東大話法」英語とはまったくちがうじゃねえか! 早速にネットで望月新一氏の経歴を調べてみた。案の定だ。こいつは日本人じゃねえや。国籍も見た目も日本人にはちがいないが、頭の仕組みと中身、ハート、ソウル、スピリットはアメリカ人だ。なるほど。そういうことか。だから超難問を解くことができたんだ。せいぜいが因数分解を解くのがお似合いの腐ったようなDOS-Vが乗っかったPC98でもってMac OS Xの最新版が搭載されたMac Proのフラッグシップ・モデルをブンブンぶん回して構築された超難解理論を解析しようったって無理な相談というものだ。そのように納得し、さらなる大脳辺縁系並びに大脳新皮質の錬磨にいそしむことを決意した初秋の吾輩であった。

                                                         かくして、(横須賀の隠れ家でも)本日も東京はラマヌジャン・タクシーの乗車拒否のごとくに天下太平楽である。(sakiさま、SELANの画像を『アメ鱒』で使っちゃったよ。事後承諾・権利放棄の件、どうぞよろしくおねがいいたします)



                                                        注記:東大話法(安冨歩・東大東洋文化研究所教授による)
                                                        その01:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
                                                        その02:自分の立場に都合のよいように相手の話を解釈する。
                                                        その03:都合の悪いことは無視し、都合のよいことにだけ返事する。
                                                        その04:都合のよいことがない場合には関係のない話をしてお茶を濁す。
                                                        その05:どんなにいい加減で辻褄の合わないことでも自信満々に話す。
                                                        その06:自分の問題を隠すために同種の問題を持つ人をこれでもかというくらいに批判する。
                                                        その07:その場で自分が立派な人だと思われる言動をする。
                                                        その08:傍観者の立場で発言者を分類してレッテルを張り、属性を勝手に設定し、解説する。
                                                        その09:「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく。
                                                        その10: スケープゴートを侮蔑することで読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
                                                        その11:相手の知識が自分より低いとみたら、なりふりかまわず難しそうな概念を持ち出す。
                                                        その12:自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
                                                        その13:自分の立場に沿って都合よく話を集める。
                                                        その14:羊頭狗肉。
                                                        その15:わけのわからない「見せかけの自己批判」によって誠実さを演出する。
                                                        その16:わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
                                                        その17:「ああでもない。こうでもない」と理屈を並べて賢いところを見せる。
                                                        その18:「ああでもない。こうでもない」と引っ張り、自分に都合のいい地点に話を落とす。
                                                        その19:全体のバランスを常に念頭に置いて発言する。(話の中身が「総論」だけなので退屈)
                                                        その20:「もし○○であるとしたらお詫びします」と言って謝罪したフリをして切り抜ける。

                                                        補遺:ぜんぶ当てはまる……(ションボリルドルフ)

                                                        ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                          『虹のコヨーテ』のための準備運動#2 千年の記憶と縄文杉の孤独、カリブーの憤怒の血、溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスム、あるいはダダイストの呪詛におののくダリ

                                                           
                                                          forest00.jpg Forest Lights

                                                           千年の記憶と縄文杉の孤独
                                                           空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、左の前歯がするりと抜けた。そして、森の奥からパット・メセニーの『TRAVELS』が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。森のひとも左の前歯が抜け落ちていた。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手を休めて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらがかすかに明滅を繰り返している。

                                                          「千年生きた樹は土に還るのに千年かかる。なぜだと思う?」
                                                           森のひとは暖炉に薪をくべながら言った。
                                                          「新しい命を千年かけて育てるため」
                                                          「半分正解」
                                                          「残りの半分は?」
                                                          「千年分の記憶を反芻するためさ。千年かけて朽ち果てながらね。反芻するたびに世界中の樹木たちの痛みは癒される。そして、癒し終えたあと、跡形もなく消える」
                                                          「ということは、世界で一番孤独なのは縄文杉だ」

                                                           薪が大きな音を立てて爆ぜた。

                                                          jomonsugi00.jpg Solitude of JŌMON-SUGI Tree

                                                           カリブーはなぜ殺されたか?
                                                           厳粛な綱渡りを終えてすぐに死滅する鯨の背に乗って持続する志河を渡る。持続する志河にはカリブーの憤怒の血が流れている。雄々しきツノは無惨にへし折られ、森の息吹と冷気をたっぷりと吸い込んだ毛皮は軽々と剥がされ、鞣され、流通する。冷徹な経済原理はカリブーたちの日々の困難と誇りにはいっさい無頓着である。ガリアの地で英雄を驚嘆させ、讃えられた誇り高き森の王も、いまや追い立てられ、撃ち抜かれ、打ち捨てられる。
                                                           カリブーはなぜ殺されるのか? カリブーは快楽のために殺戮される。聖なる日がやってくるたび、思い知るがいい。赤いのはトナカイの鼻ではなく、人間獣の血塗られた手であることを。

                                                          caribou00.jpg Poor King of Forest, Caribou

                                                           溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスム、
                                                           あるいはダダイストの呪詛におののくダリ


                                                          meltingfish00.jpg

                                                           いまにも指の間から滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切り取られた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせたアンドレ・ブルトンは、浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られ、溶け出したベーコンに接吻を捧げている。彼の唇の右端にはフォークが突き刺さっていて、傷口からは蝙蝠傘色のミシンのミニアチュアが無限に吹き出してくる。フォークの持ち手部分に刻印された「その者の魚」が胸びれを痙攣させると、それまでじっと沈黙していたニンフのひとりは静かに瞼を閉じた。そして、ついに世界は『最後の晩餐』に巧妙に隠蔽された鎮魂歌で満たされる。もちろん、この事態に興味を抱く者などサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクのほかにいるはずもない。

                                                          surrealistsbreton00.jpg Surrealizm Gangsterz

                                                          dalibacon05.jpg Autoportrait mou avec lard grillé, 1941

                                                          dali99.jpg et dali97.jpg et dali100.jpg

                                                           さて、ミトコンドリア・サーカス団の花形スターとして一世を風靡したサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクであったが、いまやヤヌスグリーンの庭師に身をやつしてしまった。マトリックス世界の盟主であるクリステの襞の形状に魅入られ、日々をクレブス・ラビリンス造りに費やしている。これは彼にとってはアポトーシスの過程のひとつであって、何者にも止めることはできない。

                                                          ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                            バラ色の人生/さらば、友よ#1


                                                            lavieenrose00.jpg souslecieldeparis01.jpg

                                                             パリの空の下、人生は流れる。
                                                             私はパリ16区の市民病院で生まれた。1958年の冬のことだ。さまざまな事情をかかえて私を身ごもった母は単身パリに渡り、私を産んだ。パリの冬はすべてが色や輝きを失い、身も心も凍る。パリの暗鬱な冬。遠い異国の地でシングル・マザーとなった母がいったいなにを思い、なにをみつめていたのか。いまとなっては知るよしもない。母の顔を間近にみ、母の眼をみつめ、母の小さな手を握り、母の口から直接聴きたいがかなわない。そのことに気づいたとき、私は愕然とし、そして、死は「真実」を永遠の闇の奥に隠すのだということを知った。
                                                             私の母はなにも語らぬまま逝った。陽気で話し好きで社交的な母は、その見かけとは裏腹に胸の奥に多くの「本当のこと」を秘めたまま逝ってしまった。私の耳に残るのは彼女が子守唄がわりに歌って聴かせてくれた『ダニーボーイ』と、家事をこなしながらいつも口ずさんでいた『バラ色の人生』だけである。「それでじゅうぶんじゃないか」と自分に言いきかせることできょうまで生きつづけることができたような気がする。
                                                            「いつか、おまえが自分の力で世界中のどこへでも行けるようになったら、最初にパリに行きなさい」
                                                             ことあるごとに母は言った。もちろん、私は母の言いつけを守った。私が誇れるのは母の「言いつけ」をすべて守り、実行したことだけである。

                                                            Eiffel 02 gaisenmon00.jpg moulinrouge01.jpg

                                                             パリは世界の天井である。喜びも悲しみも、初めにパリに降りかかる。
                                                             パリは私の「故郷」である。アーネスト・ヘミングウェイは『移動祝祭日』の中で「青春時代の一時期をパリですごした者には生涯パリがついてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」と書いたが、5歳の春に日本にやってきて以来、いつも居心地の悪さ、喪失感がついてまわった。その居心地の悪さ、喪失感はヘミングウェイが言ったとおり、私にパリがついてまわっていたからであるということに、このごろやっと気づきはじめた。
                                                             人には「帰りたい場所」「帰れない場所」「帰るベき場所」のみっつの場所がある。このみっつの場所を見誤らず見失わなければどのような場所にいてもいかなる境遇にあっても生きつづけることの困難はほぼやりすごせる。いま、母が逝った年齢をとうに過ぎ、「帰るべき場所」はパリであると確信するにいたった。そして、いまこそ語るべきときがきたのだと感じる。パリの日々を語ることなく逝った母のことを。さらには、きょうまでに出会い、ともに生き、ともに戦い、遠く去っていった友のことを。

                                                            gaisenmon01.jpg effel01.jpg LatourEiffel49.jpg

                                                             私は時間を見ている。それは『永遠』という時間である。 
                                                             私の母は赤坂芸者の娘として生まれ、父親を知らぬまま育った。妾の子。世間は母をそのように呼び、冷ややかな視線を浴びせかけた。
                                                            「どんなに着飾っていたって、きれいごとを言ったって、裏じゃなにをやっているかわかりゃしない」
                                                             それが母の口癖だった。私の現在にいたる人間観の基礎となった言葉である。実際、陰でこそこそする輩には虫酸が走る。そのような輩とは金輪際かかわりを持たぬか、やむをえずかかわりを持った場合には完膚なきまでに叩きつぶしてきた。おかげでずいぶんと不愉快で不自由な思いをしたが後悔はなにひとつない。これはもはや情念に属する領域の問題でいかんともしがたい。復讐の心情と言っていい。理屈では説明がつかない。
                                                             母は花街の頽廃と享楽と儚さと空虚を肌で感じつつ育った。一ツ木通りや三筋通りや赤坂通りを我が物顔で闊歩し、ころげまわりながら、いつしか「おそろしくへんな女の子」の称号をえた。東宮御所に忍び込もうとして大騒ぎになった「事件」はいまも町内の語り草になっていると聴く。歴史はめぐる。私も少年時代のほとんどを父親の顔を知らぬまま育った。

                                                            BlowininTheWind01.jpg BlowininTheWind00.jpg hearthewindsing01.jpg

                                                             風に吹かれて
                                                            「風向きもいつかかわるさ」と古い友人は言った。1985年の夏のことだ。
                                                            「それは本当か?」
                                                            「うん。村上春樹もそう言ってる。ボブ・ディランは、答えは風の中にあると歌ってる」
                                                            「そうか。じゃあ、信じよう」
                                                             数年後、友人の言うとおり風向きはかわり、私は平均的な会社員が一生のあいだに稼ぐ10倍くらいの大金を手に入れた。だが、風向きはまたしてもかわり、手に入れたすべてを失い、さらにその倍ほどの授業料を払うはめになった。答えは風の中になかったがなぜか心は晴れ晴れとしていた。抱えこんだ負債額やら借りやらを考えると大胆な戦略と緻密な戦術が必要であることはあきらかだったが、幻の虚数魚を飼育するほど難しくはないように思われた。そしてさらに数年後、また風は吹いた。奇跡としか言いようのない大きな風だった。

                                                            (風に吹かれるがごとくにつづく)

                                                            【背景音楽】
                                                             Edith Piaf『La Vie en Rose [Version Français]』
                                                             Edith Piaf『La Vie en Rose [Version Anglaise]』
                                                             Edith Piaf『Sous le Ciel de Paris』
                                                             Ella Fitzgerald『I Love Paris』
                                                             Sonny Rollins『Afternoon in Paris』
                                                             Stéphane Grappelli『Afternoon in Paris』
                                                             Charlie Parker『I Love Paris』
                                                             Wynton Marsalis『April in Paris』
                                                             Bill Evans『April in Paris』
                                                             Django Reinhardt『Swing from Paris』
                                                             Louis Armstrong『La Vie en Rose』
                                                             Michel Legrand『Sous le Ciel de Paris』
                                                             Jacky Terrasson『Sous le Ciel de Paris』
                                                             Toots Thielemans『Sous le Ciel de Paris (Live)』
                                                             Trio Montmartre『Sous le Ciel de Paris』
                                                             Jazz à Padam『Sous le Ciel de Paris』
                                                             Paloma Berganza『Sous le Ciel de Paris』
                                                             André Previn: London Symphony Orchestra『An American in Paris』
                                                             Joe Pass『April in Paris』
                                                             Joe Yamanaka『The Theme of Proof of Man』
                                                             Keith Jarrett『Danny Boy』
                                                             Sarah Vaughan『Danny Boy』
                                                             Eva Cassidy『Danny Boy』
                                                             Brigid Kildare & Sinead O'Connor『Danny Boy(Private Recording)』
                                                             George Jamison, Norman Stanfield & William Paterson『Danny Boy』
                                                             Michel Petrucciani『Danny Boy』
                                                             Celtic Woman『Danny Boy』
                                                             Charlie Haden & Hank Jones『Danny Boy』
                                                             Bill Evans『Danny Boy』
                                                             Danny Walsh『Danny Boy』
                                                             Bob Dylan, Peter, Paul & Mary, Joan Baez ほか『Blowin' in The Wind』

                                                            ブログランキング・にほんブログ村へ



                                                              Appendix

                                                              プロフィール

                                                              自由放埒軒

                                                              Author:自由放埒軒
                                                              Festina Lente.
                                                              No Pain, No Gain.
                                                              Fluctuat nec Mergitur.
                                                              R U Still Down Gun 4?
                                                              玄妙の言葉求めて櫻花
                                                              薄紅匂う道をこそゆけ

                                                              最新トラックバック

                                                              カテゴリ

                                                              Festina Lente.

                                                              R U Still Down Gun 4?

                                                              カレンダー

                                                              10 | 2019/11 | 12
                                                              - - - - - 1 2
                                                              3 4 5 6 7 8 9
                                                              10 11 12 13 14 15 16
                                                              17 18 19 20 21 22 23
                                                              24 25 26 27 28 29 30

                                                              アクセスランキング

                                                              [ジャンルランキング]
                                                              小説・文学
                                                              688位
                                                              アクセスランキングを見る>>

                                                              [サブジャンルランキング]
                                                              オリジナル小説
                                                              103位
                                                              アクセスランキングを見る>>

                                                              QRコード

                                                              QR

                                                              樽犬の子守唄

                                                              Didie Merah
                                                              Blessing of the Light

                                                              樽犬が全速力で探します。