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『アメリカの鱒釣り』の死

 
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 午前5時14分。南青山1丁目ツインタワー前。徹夜明けの朝、こわばった心をほぐすために青山通りで跳ねる百万匹の鱒たちの黒ずんだ背びれを眺める。彼らはすべて、『アメリカの鱒釣り』から抜け出してきた誇り高き鱒たちだ。
『アメリカの鱒釣り』でリチャード・ブローティガンのことを知ったとき、彼はすでに世界とオサラバしていた。短銃自殺。1984年の秋のことである。私の知らないうちに私の知らない小説家が私の知らない土地で銃で頭を撃ち抜いていたという事実は私を少しせつなくさせた。『アメリカの鱒釣り』を読み進みながら、私は生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみについて考えていた。読み進むうちに生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみは輪郭がとてもくっきりしてくるのだった。3ページ読むと3ページ分のリアリティが加わった。『アメリカの鱒釣り』を読んでいる間、私の心の中には『アメリカの鱒釣り』のための清冽で目映いばかりの川が音もなく流れつづけた。魚たちの跳ねる音や澄んだ空気や川岸の冷たい緑色をした樹木や野生の草花や鱒の黒ずんだひれやほんの少し湿り気をおびた風が私と一緒だった。

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 アメリカの鱒釣り。リチャード・ブローティガン。
 私は小説を読み、小説家を思った。なぜ『アメリカの鱒釣り』はリチャード・ブローティガンによって書かれ、なぜリチャード・ブローティガンは『アメリカの鱒釣り』を書いたのだろう。そして、なぜ『アメリカの鱒釣り』を書いたリチャード・ブローティガンは短銃自殺なんかしたんだろう。もちろん、いくら考えても答えは出なかった。それらのことについて考えていると胸の真ん中あたりがパリパリと乾いた音を立てて割れてしまうような気がした。
 この世界に確実なことなどなにひとつないが、これだけは言える。もしもアーネスト・ヘミングウェイが生きていて、リチャード・ブローティガンと出会っていたら、二人とも自殺なんかしなかったということだ。そして、今頃は『アメリカの鱒釣り』のための清冽な流れに二人並んで釣り糸を垂れたり、ヒッコリーの木にもたれて釣竿の自慢話をしたり、やまゆりの匂いをかいだり、風の歌に耳を傾けたりしていただろう。だが、二人は出会わなかった。そして、一人は猟銃で、一人は短銃で、それぞれ自殺した。

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 人は誰も途中で死ぬ。例外はない。目的地にたどり着いてから死ぬことなど誰にもできやしない。つまり、THE END や FIN の文字が都合よく用意されてはいないということだ。
 1998年の冬、1月の中頃から2月の終わりにかけて、私は『アメリカの鱒釣り』を合計68回読んだ。そして、『アメリカの鱒釣り』は68回死んだ。『アメリカの鱒釣り』が68回死ぬ間に生きることや死ぬことやそれらにまつわる馬鹿馬鹿しさや哀しみは68回分のリアリティを獲得した。68回の『アメリカの鱒釣り』の死のうち、29回は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチで迎えた。17回は東京タワーの第2展望台で、9回は最終の千代田線を待つ表参道のホームで、3回はギリシャ大使館のある坂道の途中で、残りの10回は自分の部屋とガール・フレンドの部屋と病院のベッドに横たわる祖父の枕元で、それぞれ私は『アメリカの鱒釣り』の死を迎えた。『アメリカの鱒釣り』は実にさまざまな死に方をした。眠るような安らかな死もあれば、最後の最後までもがき苦しむ死もあった。ジョン・ボン・ジョヴィの『ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー』を絶叫し、私にすがりつきながら死んでゆくことさえあった。68通りの死だ。

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『アメリカの鱒釣り』の作者の頭を撃ち抜いたのはスミス & ウェッソン社製44マグナム Model 29-2である。私はハワイ島でこの銃を撃ったことがある。たいていの人間の頭を44マグナム Model 29-2はたった一発で木っ端微塵にする。ハードボイルドこのうえもない。44マグナム Model 29-2のように生きられたらとときどき思う。そうすれば、少しは私の人生もすっきりしたものになっていたはずだ。もちろん、そうはならなかった。

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『アメリカの鱒釣り』の文章はおそろしく透き通っている。清冽で眩しい。痛いくらいだ。それは死の影に身を委ねた者のみが書くことのできる文章である。もう一度だけ言おう。リチャード・ブローティガンは死んだ。1984年の秋口。短銃自殺。『アメリカの鱒釣り』も死んだ。1998年の1月中旬から2月下旬にかけて。68回。68通りの死。

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 残念なことに、あるいは幸運にも、私がリチャード・ブローティガンを知ったのは、彼が死んだずっと後のことだったが、彼が死ぬ前、私は表参道の緩やかな坂道の途中あたりで彼とすれちがったことがある。もちろん、そのときは彼がリチャード・ブローティガンだなんて知るはずもない。リチャード・ブローティガンの連れの女性は山口小夜子に似たちょっとした美人で、細くて作り物みたいに白い首に紫色のスカーフを巻き付けていた。二人の傍らには『アメリカの鱒釣り』が臆病な柴犬みたいに寄り添っていた。

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 リチャード・ブローティガンはマクドナルドのチーズバーガーをかじりながらコーラのMサイズを飲んでいた。彼はチーズバーガーを3分の2ばかり食べ、残りを『アメリカの鱒釣り』のほうへ放った。チーズバーガーのかけらを食べる『アメリカの鱒釣り』はすごく哀しそうな眼をしていた。それを見つめるリチャード・ブローティガンはもっと哀しそうだった。以来、私の心の片隅にはリチャード・ブローティガンと『アメリカの鱒釣り』の影が小さなしみのように残っている。

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 そんなわけで、ヨシノさんと知り合ったのは『アメリカの鱒釣り』が69回目の死を迎えようとしているときだった。その日は水曜日で、雲ひとつないしみるような青空が広がっていた。空を見つめていると、そこに突然大きな裂け目ができて大きくて柔らかそうな手が現われるような気がした。3月の初めの空気はとても冷たくて、息をすると胸が少し痛んだ。
 私は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチに座り、69回目の『アメリカの鱒釣り』を読んでいた。しみるような青い空と冷たい空気と銀杏の木と『アメリカの鱒釣り』。それは悪くない取り合わせだった。悪くないどころか、東京中のレストランの「本日のおすすめ」を合わせたよりもずっと良心的で、真摯だった。
 ヨシノさんは青山通りから13本目の銀杏の木の下に三脚を立て、身動きひとつせずにファインダーを覗き込んでいた。私がヨシノさんに気づいてから1時間は経っていたが、ヨシノさんはそのあいだ1度もシャッターを押さなかった。私はヨシノさんと東京の3月の空と『アメリカの鱒釣り』の表紙を順番に3回ずつ眺めた。

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「冷えますね」
 4回目に空を眺めようとしたとき、ファインダーを覗き込んだままヨシノさんが言った。私は気の利いた返事のひとつもしたかったが、これといった言葉が思い浮かばなかった。「冷えますね」と私は答えた。実に間の抜けた答えだった。『トムとジェリー』に出てくるペンキ塗りみたいに間が抜けている。
「なんでシャッターを押さないのかって思うでしょう?」
 ヨシノさんは道路を隔てた青山通りから7本目あたりの銀杏の木にカメラを向けて言った。なんでシャッターを押さないんだろう? 私はそのとき初めてそう思った。返事をするかわりにダッフル・コートのポケットからラッキー・ストライクを出して火をつけた。ヨシノさんは私の返事を待っているようだったが、私は言うべきことが思いつかなかった。
「無駄だからですよ」
「無駄」と私は言った。
「フィルムが入ってないんです」とヨシノさんが言った。
 ヨシノさんはファインダーからやっと眼を離し、三脚をたたんで私の方へ歩いてきた。ヨシノさんはニット帽を耳が隠れるほど深くかぶり、オレンジ色のダウン・ジャケットを着ていた。ダウン・ジャケットはワンサイズ大きいように思えた。ベージュのコーデュロイ・パンツは膝が出ていて、ワラビーブーツはおそろしく型が崩れていた。色白で端正な顔立ちだった。髪は赤茶で瞳には薄いブルーがかかっている。ヨシノさんは北の国の川をゆったりと泳ぐアラスカ鱒を思わせた。
「座ってもいいですか?」とヨシノさんは言った。
「どうぞ」と私は答えた。

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 ヨシノさんはベンチに三脚を立てかけ、私の隣りに座った。ヨシノさんはジェフリー・ビーンズのグレイ・フランネルの匂いがした。それは私が使っているのとおなじフレグランスだった。
「飲まれますか?」
 ヨシノさんは唐突に言った。息に酒の甘い匂いが混じっている。ヨシノさんはヒップ・ポケットから銀製のボトルを抜き出し、親指の腹でキャップを勢いよく回転させて開けた。そして、喉を鳴らして飲み、ボトルを私に差し出した。私はそれを受け取り、舌の先で味を探ってから飲んだ。マイヤーズ・ラムだった。
「フィルムが入ってないんですよ」とヨシノさんはもう一度言った。それから大きな溜息をひとつついた。ラムの甘い香りがこぼれてくる。
「入れないと言ったほうが正確だけど」
「フィルムを入れない特別な理由でもおありなんですか?」
「私はね、写真を撮るためにここに来てるんじゃないんですよ。銀杏の木を見るためにここへ来てるんです」
「銀杏の木を見るためにここへ来る」と私は言った。
「シャッターを押しながらいつも思うんだ。早くシャッターを押さずにすむ日が来ないかなって」
 シャッターを押さなければならない日とシャッターを押さずにすむ日とのちがいを考えてみたがよくわからないので、もうそれ以上考えるのはやめた。

 私とヨシノさんの共通点はグレイ・フランネルを使っていることとアルコホリックであるということの二点だった。私とヨシノさんのあいだにちょっとした沈黙が降りたとき、携帯電話が鳴った。ディスプレイには「番号非通知」の文字が浮かんでいた。「私が真の大衆です」と電話の男は言った。電話口の向こう側には夕暮れの雑踏のような色々な音がした。「大衆」と私は思った。「大衆」はいま・どこで・なにをしているのだろうとも考えた。「いまからそちらへ向かいます」と男は言い、電話は切れた。まさか白のカローラで来ることはあるまいと思っていたら、その男は本当に白のカローラでやってきた。

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 男は車を降りるなり、1978年9月号の『宝島』を正確に50冊、私の前に積み上げた。一冊ずつ甲高い声でカウントしながら。そのあいだ、ヨシノさんは男にずっとレンズを向けつづけ、「視えない自由。視えない自由」と呟きながら取り憑かれたような表情でシャッターを押しつづけた。

gaienselan00.jpg Photo by saki

 男が去り、ヨシノさんは再び銀杏の木にカメラを向け、私は雲ひとつない3月の東京の空を眺めた。そのようにして、夕暮れが過ぎ、闇が訪れ、朝が来た。ヨシノさんと表参道の交差点で別れたあと、私は夜明けの青山通りを歩きつづけた。人通りはなく、車の往来も少なかった。ブルックス・ブラザースをすぎ、ベルコモンズをすぎ、伊藤忠のビルをすぎても何も考えられなかった。何も考えたくなかった。『アメリカの鱒釣り』が最期のときを迎えようとしているのがわかった。私は再び銀杏並木に戻った。

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「もうすぐお別れだ」と『アメリカの鱒釣り』に言った。
「もうすぐお別れだ」と『アメリカの鱒釣り』は答えた。
 私は青山通りから12本目の銀杏の木の下のベンチに座り、『アメリカの鱒釣り』のページを開いた。70回目の『アメリカの鱒釣り』、最後の『アメリカの鱒釣り』。私は1文字1文字ゆっくりと丁寧に読んだ。「、」で立ち止まり、「。」のたびに東京の3月の空を見上げた。『アメリカの鱒釣り』は最初から最後まで穏やかだった。ときどき、微笑むことさえあった。
「ありがとう。本当にありがとう」と『アメリカの鱒釣り』は感謝の言葉を述べた。
「こちらこそ。ありがとう」
「でも、いつかあんたはおれのことを忘れる」
「うん。そう思うよ。でも、いつかまた、思いだす」
「答えはみつかるかな?」
「いつか、必ず」

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 奥付に目をとおし、私は静かに『アメリカの鱒釣り』を閉じた。そして、青山通りから12本目の銀杏の木の根方に『アメリカの鱒釣り』を埋めた。少しだけ涙が出た。ほんの少しだけ。青山1丁目の交差点で私は立ち止まり、ホンダのビルとツインタワービルを交互に見上げた。それから、ピンと張りつめた朝の空気を吸い込んだ。すると、青山通りは『アメリカの鱒釣り』のための清冽な川の流れに姿を変え、百万匹の鱒たちが黒ずんだ鰭を躍動させているのが見えた。私はその中へ、百万匹の鱒たちが跳ねる『アメリカの鱒釣り』のための清冽な流れの中へ、形のない境界のボートでゆっくりと、本当にゆっくりと漕ぎだしていった。

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