FC2ブログ

Entries

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#3 現象と発見

 
 
WAXY800PX201311241.jpg
 
 
 旅の途中、一人の王子がある田舎道を歩いていた。王子は自分の歩いている道を直前に片目のロバが歩いていたことに気づく。王子がなぜそのことに気づいたかと言えば、彼の歩いている道の左側の草ばかりが食べられていたからだ。H-W『スリランカの三人の王子の旅』

 電流と磁気の関係にかかる発見、ダイナマイトの発明、クリップの発明、X線の発見、ラジウムの発見、ポリエチレンの発見、ペニシリンの発見、LSDの幻覚作用の発見、テフロンの発見、電子レンジの発明、マジックテープの発明、トンネル効果の発見、宇宙背景放射の発見、パルサーの発見、ポストイットの発明、恐竜滅亡の小惑星衝突原因仮説、高分子質量分析法の発見、カーボン・ナノチューブの発見、安全ガラスの発明、導電性高分子の発見、キチンの開発 ── すべてはセレンディピティウサギ=「幸福な偶然」を捕まえた結果である。H-S


 当日、葬儀に来られなかったひとに「虹子の復活」のことをなんと説明すればいいのか悩んでいると、剥がされた背中の皮をカーボン・ナノチューブとキチンで再生された因幡の白兎のように顔を輝かせながら「わたしが電話する」と虹子は言い出した。
「虹子ちゃん、それはいくらなんでもいきなりすぎるんじゃないか?」
「いいよいいよ。かえってよろこぶよ。もしかしたら、御祝儀もらえるかも」
 虹子のセレンディピティぶりにはいつも驚かされる。おそらく、21世紀世界において虹子くらい「現象と発見」のあいだに横たわる深い渓谷を飛び越える能力を持った者はいない。セレンディピティ・セレブリティと呼びたいほどだ。
 虹子は実に手際よく「復活通知」をこなした。昼すぎに始めて、夕方のニュースの時間には「復活通知」は最後の1件になった。最後の1件は東大の仏文科でフランス語を教えている虹子の伯父さんだ。フランス象徴派詩人の著名な研究者で、大江健三郎のノーベル賞受賞についてラブレーばりの奇妙奇天烈な文章で過激な批判を行った人物。名前を言えば誰だって知っている。私が電話した。「馬鹿者! グラン・ペゾン!」と怒鳴られて電話を切られた。虹子が再度電話して事なきをえた。グラン・ペゾン伯父さんからは何日かして祝電がきた。たぶん、祝電だと思う。お祝い電報だったから。電報にはただ一行、「Un coup de dés jamais n'abolira le hasard」と記されていた。「サイコロのひとふりは偶然を排除しない」。マラルメか。気障なじいさんだ。「99本のきゅうりと9リットルのエビアンは幸運をもたらさない」のほうがイケてるぜ、グラン・ペゾン伯父さん。「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」が幸運をもたらすことを知るのはもうちょっと先だ。現金書留で御祝儀を送ってくれた奇特なひとびとに「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」に匹敵する幸運が訪れますように。
 イエスの復活の例もあるし、お通夜の最中に息を吹き返して「棺桶から世界のみなさまこんにちは」という話だってあるのだから虹子が生き返ったのはいいとして、きゅうりを食べすぎて死ぬなどというふざけた話があるのか? 腑に落ちない。納得がいかない。きゅうりを99本もいっき喰いしてエビアンを9リットル飲んだ虹子も虹子だが、死亡診断書に「きゅうりと水の過剰摂取に起因する低ナトリウム血症による心不全」とシュライブしやがったドクター野本に腹が立つ。きっと死亡診断書を書きながらむひょむひょ笑っていたにちがいない。死亡診断書はどうするか? 記念にとっておくことにしよう。なにも知らせずに虹子がドクター野本を訪ねるという手もある。ナースの辻と不倫していることを証拠画像付きで暴露したって文句は言わせない。


 きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで突然死した虹子が生き返ってから1週間。やっと以前の生活が戻ってきた。虹子は「死んでいた時」にずっとカエルの夢をみていたそうだ。オリーブ・グリーンの太ったカエルがある日我が家にやってきて一緒に暮らす夢。退院してからもずっと同じ夢をみるという。キッチンではそんな虹子が『バラ色の人生』を口ずさみながらきゅうりを刻んでいる。虹子のことだから、そのうち、『きゅうり色の人生』を歌いだすだろう。虹子に声をかける。
「朝ごはんはなに?」
「きゅうりの塩揉みときゅうりの酢の物ときゅうりサンド」
「冗談?」
「うん」
「おもしろくないよ」
「どうして? おもいっきり笑うところじゃん」
 そんなようなかなり入り組んでいてちょっと不思議でなんとなく愉快な事情を抱えたギラン・バレーの朝だ。朝ごはんができあがるまでのあいだにポルコロッソと散歩に出た。
 桜の蕾がほころびはじめている。空を見上げる。花曇り。スミダ川沿いの桜の土手が薄紅に色づくのはもうすぐだ。雨の気配がある。雨の匂いも少しする。さくら橋のたもとにさしかかり、ポルコロッソが急に強くリードを引きはじめる。さくら橋の中程のベンチに向かってぐいぐいとリードを引く。いつもどおりのいい朝だ。おとといもきのうもおなじ朝だった。あしたもきっといい朝にちがいない。
 散歩の仕上げはさくら橋のベンチでポルコロッソにピーナッツをあげること。ポルコロッソもわかっている。世界にただ1匹のミニチュア・セントバーナードであるポルコロッソは朝のさくら橋のベンチでピーナッツを食べるのが大好きだ。ポケットにはひと握りのピーナッツがある。私がベンチに座ると同時にポルコロッソは素早い身のこなしでベンチに飛び乗り、お座りをする。待ちきれないのか、ぐーぐーと唸り、足踏みまでしてピーナッツを催促する。「はやくはやく! はやくピーナッツちょうだい!」とでも言っているようだ。
「ダウン!」
 ポルコロッソはその場に素直に伏せる。「タウン!」と吠えたら合格。しかし、まちがっても、「症!」なんて言うなよ、ポルコロッソ。演説青年のスミジル・スミスじゃないんだからな。レイシストはお断りだぞ。いろいろめんどくさいことになるからな。いいな? 当然、わかってるよな? 返事くらいしろよ、ポルコロッソ。無理か。相手は犬だものな。ポケットからピーナッツをひと粒取り出し、「ウェイト!」と言いながらポルコロッソの鼻の上にのせる。ポルコロッソは上目づかいで私をみる。焦らす。ぐーぐーと唸って不満げなポルコロッソ。さらに焦らす。ぐーぐーぐー。まだ焦らす。ぐーぐーぐーぐー。口の端っこから涎がこぼれはじめる。私の「よし!」のひと言を待っているのだ。
「吉田!」
 ポルコロッソは一瞬ぴくっとするが我慢する。ポルコロッソの前足のまわりが涎で濡れている。ポルコロッソが「ブラマヨの!」と言ってくれることを期待するが、それもやっぱり無理な相談というものだ。
「吉本!」
 まだ我慢するポルコロッソ。まちがっても「隆明!」と言ってくれないのは先刻承知だ。合掌。私の個的幻想が速度を増して疾走しはじめる。「興業!」では台無しだからな、ポルコロッソ。わかってるよな?
「吉行!」
 まだまだ。「淳之介!」と言おうものなら宮城まり子が黙ってはいまい。ろくでもない奴に騙されてそれどころではないだろうけど。
「ヨシムラ手曲げ直管!」
「え?」という顔をするポルコロッソ。「いやあ、ポップ・ヨシムラというごきげんなじいさんがいてさあ」と言っても、ポルコロッソにわかるはずがない。ポルコロッソが生まれるはるか昔にポップ・ヨシムラはこの世界にアディオースしているんだから。
「よしなに!」
 くぅんと鼻を鳴らすポルコロッソ。
「よっしゃ!」
 私は田中角栄か? いや、田中角栄ではないはずだ。たぶん。しかし、あまり自信はない。くぅんくぅんくぅん。そろそろポルコロッソは限界だ。
「よし!」
 私が言った途端にポルコロッソは頭をさっと後ろに引き、落ちるピーナッツを見事にキャッチ。技にさらに磨きがかかってきた。動きに微塵も迷いがない。反復継続というのはすごいものだ。そんなことを繰り返しているうちにピーナッツはすべてなくなる。イマドシルト中学校の始業を知らせるチャイムが鳴る。そろそろお家へ帰る時間だ。虹子のおいしい朝ごはんが待っている。私が立ち上がるとポルコロッソもベンチから飛び下りる。ポルコロッソは私の右側真横にぴたりとつき、私のペースに合わせて歩く。ときどき、私の様子をうかがうように顔を横にふり、私を見上げる。これもいつもどおりだ。こんな幸福な日々がいつまでもつづけばいい。でも、きゅうりはしばらく御法度だ。口の臭い戸籍係はもううんざりである。ドクター野本にはかならず仕返しをする。

 さくら橋を渡ってすぐにポルコロッソが立ち止まった。植え込みに顔を向け、不審そうに鼻をくんくんさせている。ん? なにかいるのか? 犬だから当然だが、ポルコロッソはとにかく鼻がきく。危険や異常事態をすぐに察知する。ポルコロッソといっしょに暮らすようになってからきょうまでの7年間、ポルコロッソには何度命を救われたか知れない。
 ポルコロッソが鼻を向けている先を見る。特に変わったものはない。パンタグリュエリヨン草の一群が春のやわらかな風をうけて揺れているだけだ。ん? いや、なにかいる。眼を凝らさないとわからないが、たしかになにかいる。さらに眼を凝らす。パンタグリュエリヨン草の濃いモス・グリーンの葉の上になにかがいる。そこだけ光っている。近づく。さらに近づく。光っているものの正体を見極めるのだ。
 私はそうすることがあらかじめ決められていたように顔を近づけた。ローズマリーのような強い香りを放つパンタグリュエリヨン草の葉の上には一匹のソバージュネコメガエルがうずくまっていた。からだの大きさと白い筋とイボの数と形状から見てかなり若い。「ねえねえ、ぼくにも見せてよ! においを嗅がせてよ!」とポルコロッソがせがむ。ソバージュネコメガエルはかたく眼を閉じ、身動きひとつしない。世界のすべてを拒絶しているようにも見える。ポルコロッソが吠えたてても、私が指でつついても、アルミ缶を満載したリアカーを引くホームレスの老人が『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』を大声で歌いながらすぐそばを通りすぎても、カミナリが鳴っても、クロネコヤマトの配送車が電信柱に激突しても、ポリス・カーが耳障りなサイレンを鳴らしながらやってきても、ソバージュネコメガエルは微動だもせずにパンタグリュエリヨン草の葉の上にうずくまっていた。




     
    関連記事
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
    http://diogenezdogz.blog.fc2.com/tb.php/735-ff5d1c3c

    トラックバック

    コメント

    コメントの投稿

    コメントの投稿
    管理者にだけ表示を許可する

    Appendix

    プロフィール

    自由放埒軒

    Author:自由放埒軒
    Festina Lente.
    No Pain, No Gain.
    Fluctuat nec Mergitur.
    R U Still Down Gun 4?
    玄妙の言葉求めて櫻花
    薄紅匂う道をこそゆけ

    最新トラックバック

    カテゴリ

    Festina Lente.

    R U Still Down Gun 4?

    カレンダー

    10 | 2019/11 | 12
    - - - - - 1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 29 30

    アクセスランキング

    [ジャンルランキング]
    小説・文学
    832位
    アクセスランキングを見る>>

    [サブジャンルランキング]
    オリジナル小説
    137位
    アクセスランキングを見る>>

    QRコード

    QR

    樽犬の子守唄

    Didie Merah
    Blessing of the Light

    樽犬が全速力で探します。