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[C7] モリスの森の片隅に・・・

お写真も綺麗ですね♪
私も、電子書籍は全く苦手で・・・。
電子辞書まではなんとかいけるんですけれど(笑
書物の中の文字だけが、無機的空間に浮かぶこと自体
相容れないような気がしてなりません。

学生時代に購入した日本文学全集の初版復刻本は今でも宝物です。

「美しいと思わないものを家においてはならない」と語ったモリス。
そんなモリスの森の片隅でいつも癒されたいと願ってます・・。

[C8] モノリスを見上げるパンツを履いた猿のモノローグ

スパゲティ野郎の『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』をテキスト・エディタで全文入力してディスプレイで読んだことがあるんですよ。風とピンボールと羊の三部作、それとハードボイルド・ワンダーランド、あと、そうだな、『蛍、納屋を焼く、その他の短編』、スパゲティ野郎の初期作品ということになるんでしょうけども、私としてはもう文句のつけようがないんですね、これが。くやしいけど(苦笑)。しかしですね、入力してディスプレイ上で読んだ風もピンボールもよくないんですよ、不思議なことに。驚きましたね。でですね、風もピンボールも講談社めが紙質をけちりやがって中質紙で、活字も書体もおもしろくもなんともないもので印刷装幀造本した。でも、それがよかったんですね、結果としては。表紙の佐々木マキのチープきわまりもないイラストも合ってた。あの飾り気のなさ、シンプルさみたいなものが「時代の気分」を代弁したんだと思います。いまの小娘小僧っ子どもがスパゲティ野郎に魅かれる理由とはちょっとちがうところでしょうけどもね。ちょっとこのあたり、メルロー・ポンティ先生を読み返して勉強してみようと思います。眼と精神の関係はどうなっちゃってるんだってことですね。
話は変わりますが「日本文学全集の初版復刻本」というのは近代文学館が出したあれですか? ものすごく高いやつ。完全レプリカの。もしそうだとしたら、sakiさん乃至は御両親はその当時、世界の富の2パーセントくらい保有していたと思いますね。やっぱり、世界は不公平に作られている。

*最後の画像のバラですが、sakiさんなら御存知だと思いますけど、「ウィリアム・モリス」ってイングリッシュ・ローズです。今後のsakiさんの「富の分配」いかんによっては分けてあげてもいいです。(悪)

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ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ#2 ウィリアム・モリスの森/書物の終焉

 

williammorris01.jpg


iPadのiBooksで『草枕』を読んだ。これまで暗誦できるくらいに何百回となく読み親しんだテクストがまったくの別物という印象を受けた。枕が羽毛から河原の石くれにかわったほどのちがいである。

読みすすみながら、なんとは言えない「異和」を感じている自分がいることに気づき、不思議な動揺に見舞われる。書かれている内容は「テクスト」「文字情報」という点から見ればどちらも同じであるのに感じるものの質がまったくちがう。初めは「横書き」「縦書き」のちがいかと考えて、組みや書体やフォント・サイズも極力実物に近づけた。背景色も実物とディスプレイを並べてほぼ同じ状態にした。しかし、やはり私が感じた「異和」は消えることがなかった。

私が感じた「異和」の正体はいったいなんなのだろうと考えているうちにひとつのことに思い当たった。それは「手触り」である。ディスプレイ上には「手触り」がないのだ。

本を読むという行為に当然のように付随していた手触り、指先に触れる紙の質感。これらがないことによる宙ぶらりんのような状態。私が感じた「異和」はこれが原因なのではないかと思った。この「手触り」を拡張してゆくと、やがて職人技の組版に出合い、文選に行き会い、木版に辿り着いて、ついには人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間にまで遡れるような気がしてきた。そのことに気づいて、あらためてディスプレイと実物とを見比べてみると、ちがいが次から次へと目についてくる。

表紙、天、平、束、見返し、花ぎれ、栞、小口のかすかな凸凹 ── 。すると急にそれらの「書物」を構成する部品のひとつひとつがひっそりと息づいているように感じられてきたのだ。

「書物の身体性」などということを言うつもりはいささかもない。もちろん、書物至上主義者でもない。それどころか、早晩、書物が表舞台から退場してゆくであろうことはひしひしと感じている。

紙からディスプレイへ。ディスプレイさえ消えて、ただの「信号」へ。

このシフトが着実に進行していることも充分わかっているつもりである。冷徹な経済原理の下では「文化」など木っ端微塵に打ち砕かれてしまうことさえ受け入れなければならないのだということも。しかし、たとえそうであったとしても、私が感じた「異和」の根っこにあるものの正体にはナイーブであるべきなのではないかと思う。

文字や言葉が「言霊」の宿る神秘神聖不可思議なるものとして崇められ、書物自体に鍵までかけて厳重に保管されていた時代。書物はパピルスの成れの果て、薄っぺらな紙でできあがっているとは言いながら、まさに「神の賜物」「神の啓示」「神の言葉の化身」でもあって、いまのように「高見の見物」を決め込めるお気軽/お手軽な対象ではなかった。 その文字を使って「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!」などとかました日には、即、火炙り、磔という orz な結末が大口をあけてそこらじゅうで待ちかまえていたということだ。

現代は文字、言葉、書物が神性、神聖を失って、つまりは堕天使となって地上に降臨し、いまや、地上だけでは飽き足らず、ディジタルの海をただの一瞬すらもとどまることなく、ものすごい勢いで東奔西走、南北縦断し、高見も望洋も茫洋も自由自在な、天下太平楽もいいところな、極楽とんぼな時代になったということだ。


williammorris02.jpg


いずれ、情報技術の進化の過程で、書物のみならず、あらゆる「かたちのあるメディア」はディジタルの海に溶け入ってしまうだろう。しかし、それでもなお、私はウィリアム・モリスが書物のマスプロダクツ化に対するアンチテーゼとしてグーテンベルクへと回帰し、ケルムスコット・プレスを手がけたのと同じ強度でディスプレイに浮かぶテクストに向かい合いたいと思う。それが時に私を打ちのめし、時に勇気づけてくれた「書物たち」への私なりの仁義の切り方であるような気がする。


kelmscott06.jpg


ウィリアム・モリスが森の小さな印刷所でケルムスコット版の装幀にいそしみながら過ごした贅沢な時間。宝石のごとくに輝くテクスト。私が夢想するのはディジタルの海を漂ううちに幸運にも出会えるかもしれないそんな風景である。


一冊の書物の誕生までに関わるすべての人がいつもウィリアム・モリスの森とともにありますように。森がなければ人間も書物も誕生しない。


rose01.jpg

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    相容れないような気がしてなりません。

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    そんなモリスの森の片隅でいつも癒されたいと願ってます・・。

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