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浅草1丁目1番地物語#1 ゴクドーを待ちながら ─ 異聞

 

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 浅草1丁目1番地には東京で一番スローな時間が流れている。そこには数えきれぬほどの涙と笑いの物語がある。E-M-M


 ゴクドーを待っている。待ち続けている。待ちながら、なぜゴクドーを待つのか考える。ゴクドーは来ない。永遠に来ない。ゴクドーは死んだのか? ゴクドーは生きている。生きて、問うている。「いつまで待つ気だ?」


 浅草に伝説のやくざ者がいるというので会いに出かけた。どれほどの器か量ってやろうという腹づもりである。世の中にカネの亡者のごときならず者どもは掃いて捨てるほどいるが、真のやくざ者となるとそうそうお目にかかれるものではない。往年の任侠映画に登場する典型的な勧善懲悪型の人物ではないにしても、「伝説のやくざ者」といわれるからには、なにがしかの美学を持った人物だろう。期待はふくらんだ。
 さて、いったいいつからこの国にはやくざがいなくなってしまったのだろう。暴力団員と呼ばれる一群の人々はいても、やくざと呼びうる人物を見なくなって久しい。愚連隊の王・モロッコの辰、東西に並ぶ者なき素手ゴロの王者・花形敬、下谷の万年東一。
 かつてこの国が貧しく、誰もが飢えていた時代に一陣の風のように時代を駆け抜け、消えていった無頼漢たちがいる。彼らは愚連隊とも呼ばれて、眉を顰められる存在ではあったが、生命力に充ちていた。悪辣ではあったが、悪事を通して人々に生きることのダイナミズムを吹き込んだ。いつしか、この国は豊かさを美徳のひとつに数えるようになり、安定を手に入れ、それと引き替えに生命力を失った。街から愚連隊の姿は消え、クレゾールの匂いのする衛生的な街が全国にできあがった。我々が手に入れ、失ったものはなんだろう? それは骨太な、生きることにかかわる単純明快な「欲望」であった。
「やくざ」の由来については様々の説がある。とりわけ、折口信夫の『ごろつきの話』はとても参考になる。八九三と書いてやくざと読ませる。これは八と九と三の数字を足すとオイチョカブの最低の数、ブタになるところから、役に立たないこと、まともでないこと、つまらないことを意味し、使いものにならない中途半端な人間を表わしている。また、役座とも書く。地域の調整役とでもいった意味合いが込められているのだろう。
 やくざのことを任侠、侠客、博打うち、博徒、極道とも言う。博打うちは文字どおりだが、生きるか死ぬかという究極の選択を常に迫られるやくざ本来の生き方を表現しているように思える。同様に、極道も道を極めることの困難と孤独を言い表わしているように思える。
 寡黙。やくざ者は寡黙でなければならない。それが第一条件だ。道を極めんとする者は、自然、言葉数が減る。独り孤高の道を行く者に言い訳の言葉は必要ないからだ。そのような私の思いはかなわぬ郷愁に過ぎないのか。

 伝説のやくざ者の名はゴクドー。ゴクドーのことはある風俗週刊誌の記者から教わった。彼自身はゴクドーに会っていないが、人を介して連絡を取るという。ゴクドーとの邂逅は思いのほか早く実現した。

 浅草1丁目1番地路上、神谷バー前。 
 待ち合わせの時間までにはまだ間がある。頭の中はまだ見ぬ伝説のやくざ者のことでいっぱいである。ゴクドーはいつもボルサリーノのソフト帽をかぶり、チョーク・ストライプの、紺のダブル・ブレステッドのスーツしか着ないという。ある大親分の盃をもらってはいるが、暴力団員ではないらしい。どこの組織にも属さぬ一匹狼というわけだ。
 一匹狼。いい言葉だ。
 ゴクドーは全身に白粉彫りで桜吹雪の刺青が入っていて、素面のときにはわからないが、酔うと桜の花びらが薄紅に染まるという。二十歳の頃、ドス一本で反目する暴力団事務所に単身乗り込み、八人を血祭りに上げたそうだ。左頬にあるこめかみから唇の脇にかけた傷跡は、そのとき受けたものだという。いかにも恐ろしげだが、伝説に名を連ねるためにはそれくらいの武勇が必要なのであろう。気分はますます高揚してくる。

 浅草の街が夕闇に包まれたとき、ゴクドーは現われた。赤茶けた顔をしたサルのような小男である。還暦に手が届こうかという年格好である。やや拍子抜けする。型の崩れた紺の、チョーク・ストライプの、ダブル・ブレステッドのスーツ。垢じみたボルサリーノのソフト帽。左頬には引っ掻き傷のような跡がかすかに見てとれる。
「ゴクドーさん?」
 声をかけると、黄色い歯をむき出してゴクドーは笑った。
「工藤です。はじめまして」
 極道の工藤。略してゴクドーというわけか。高揚していた気分はみるみる萎んでいった。
 ゴクドーにうながされ、神谷バーに入る。店の中は喧噪と人いきれに溢れ返っている。この喧噪は嫌いではない。電気ブランを飲み、煮こごりと串カツとジャーマンポテトを喰いながらゴクドーの話を聞いた。「伝説」はあやまりか、のちに粉飾されたものがほとんどだったが、私は愉快だった。謝礼の包みを渡すと、ゴクドーはしきりに恐縮しながら何度も頭を下げた。
「旦那、そんなやくざな話は金輪際あるもんじゃございませんよ」
 そう言って、ゴクドーは笑った。伝説のやくざ者は「伝説」とはほど遠い、稚気あふれる愛すべき人物だった。 

 神谷バーを出てから伝法院通りの小さなもつ焼き屋に寄り、その後、ゴクドーに付き合って銭湯に入った。ゴクドーの左の二の腕には釘で落書きしたような、牡丹ともキャベツともつかない珍妙な刺青があった。私はその刺青を眺めながら、次に浅草1丁目1番地路上でゴクドーを待つのはいつになるのかと待ち遠しいような気分だった。
 
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