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美しいものを見たければ眼をつぶれ/最後の『I Remember Clifford』

 

Clifford_Brown800PX20130830.jpg
 

 1985年夏の終りの七里ケ浜駐車場レフトサイドにおける『I Remember Clifford』とおとなになった友人の話だ。友人の名は森の漫才師サルー。


 8月15日が過ぎ、夏の終りが近づくにつれて森の漫才師サルーの口数は1時間ごとに減りはじめ、なににも興味を示さなくなっていた。8月の第三週にはさらに口数は激減したうえに、ものをほとんど食べなくなった。森の漫才師サルーはみるみる痩せ衰えていった。そんな状態の森の漫才師サルーが突然口を開いた。
「クリフォード・ブラウンが吹いている『I Remember Clifford』を聴きたい」と森の漫才師サルーは言った。
「不可能だ。『I Remember Clifford』はクリフォード・ブラウンが交通事故で25歳で死んだあと、ベニー・ゴルソンがその死を悼んで作った曲だ」
「不可能でも聴きたい。そうでなきゃ、今年の夏に別れを告げることはできない」
「クリフォード・ブラウンが吹いている『I Remember Clifford』を聴くことができたら、きれいさっぱり夏に別れを告げるんだな?」
「まちがいなく」
「本当だな?」
「海とつがった太陽に誓います」
「じゃあ、聴かせてやろう」

 私はTDKの120分テープにすべてちがった演奏で『I Remember Clifford』だけを録音した。ディジー・ガレスピー、J.R.モンテローズ、フレディ・ハバード、スタン・ゲッツ、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、バド・パウエル、ヘレン・メリル、テテ・モントリュー、ユセフ・ラティーフ、ソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソン、オスカー・ピーターソン、ダイナ・ワシントン、ケニー・ドーハム、レイ・チャールズ、マンハッタン・トランスファー、サラ・ヴォーン、キース・ジャレット、アート・ファーマー、アルトゥーロ・サンドヴァル、ロイ・ハーグローヴ、ブルー・ミッチェル、日野皓正、高中正義。そして、最後にリー・モーガン。
 森の漫才師サルーはクリフォード・ブラウンは『I Can't Get Started』しか聴いたことがなく、『I Remember Clifford』は高中正義の薄っぺらなやつしか知らない。ジャズ・ミュージックに関する知識と経験はゼロと言っていい。ブルーノートとプレスティッジとリバーサイドのちがいすらわからない森の漫才師サルー。赤児の手をひねるようなものだった。

 1985年8月31日の夕暮れ。強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフト・サイド。
「次で最後だ。クリフォード・ブラウンの『I Remember Clifford』だ」
 若き天才、19歳のリー・モーガンが25歳で死んだクリフォード・ブラウンを悼むように『I Remember Clifford』を吹きはじめた。森の漫才師サルーは眼を閉じ、うつむき、じっとラジカセから聴こえるリー・モーガンのトランペットの音に聴き入っていた。森の漫才師サルーが耳をそばだてているのがわかった。
『I Remember Clifford』は悲しみをたたえ、消え入るように終わった。このレコーディングのとき、リー・モーガンは泣きながら『I Remember Clifford』を吹いたことが「伝説」として残っている。数ある『I Remember Clifford』の中でも飛び抜けた名演奏だ。


Lee_Morgan800PX20130830.jpg


「感動した。とても感動しました」
「そうか。よかった。で、夏にさよならできたのか?」
「できました」
「では、珊瑚礁でお祝いしよう。今年の夏、ずっとそうしていたように3杯のピッチャーサイズのビールとビーフサラダで。われわれの夏が終わったことをアロハ髭デブおやじにも報告しよう」
「いいですね。ところで、エンゾさん。ぼくたちは今年の夏で潔く死ぬべきだったのではないでしょうか?」
 今年の夏で潔く死ぬべきだっただって? 森の漫才師サルーの顔を見ると真剣そのものだった。森の漫才師サルーはそういった類いの冗談や軽口を言うタイプの人間ではない。私が上っ面、上っ調子を憎んでいることだってよく知っている。
「なぜそんな風に思う?」
「この夏でもうなにもかもが空っぽになって、心がぴくりとも動かなくなってしまったからです。なにを食べても味がしない。(珊瑚礁のビーフサラダを食べてもですよ!)朝陽に照らされて輝く波頭を見ても美しいと感じない。いい波をつかまえて完璧なボトムターンを決めてもときめかない。どんな音楽を聴いても感動しない。楽しくない。セックスをしても気持ちよくない。射精はしますけどね」
「つまり ──」
「はい」
「おまえはおとなになったんだ」
「おとなに? わたしがですか?」
「そうだ」
「信じられない」
「信じられなくてもおれにはわかる。おまえは立派におとなへの通過儀礼を済ませたんだ。このおれが保証する」
「おとなになったらなにかいいことがあるんでしょうか?」
「ない。なにひとつ。いやなことばかりだ。嘘っぱちとごまかしときれいごととクソにまみれた日々。それがこれからの人生である」
「死んだほうがましだ」
「死んだほうがましだが、生きつづけなけりゃならない。おとなになるというのはそういうことだ」
「ひどい話だな。わたしには到底耐えられそうにありません。そんなのは」
「じゃ、死ぬか? あと30年もすれば、0が何十個も並んだ財産を独り占めできるんだぞ」
「うーん。困ったな」
「おとなになったお祝いに、おまえにひとついいことを教えてやろう」
「なんでしょうか?」
「おまえは美しいものが好きか?」
「はい」
「いいか? ここから先はすごく大事なことだからよく聴け。そして、死ぬまで忘れるな。いいな?」
「はい。かならずそうします」
「おまえにはまだわからないだろうけども、われわれが生きているこの世界はとっくの昔に腐っている。死んでいるんだ。死んで腐っているうえに、クソまみれときている」
「吐きたくなってきました」
「吐け。吐けるだけ吐いちまえ。これからは人前で吐くことすらできなくなる。正確には、吐くのも喰うのもクソをするのも小便をするのも、いちいち周囲の顔色を気にしながらだ。おまえの大好きなおまんこをするのもな」
「ぐえっ」
「でだ。美しいものが好きなおまえは目を瞑り、耳を塞ぎつづけるんだ。わかったか?」
「目を瞑り、耳を塞ぎつづける」
「そうだ。美しいものを見て、美しい音を聴きたければそうするしかない。ほかに方法はない。さもなければ、垢むけで美しい魂の持主であるおまえは1秒たりとも生きていられない」
「やっぱり、死んだほうがましだ」
「死んだほうがましでも、生きつづけるんだ。そうすれば、運がよければおまえはいつの日か本当に美しい世界にたどり着ける。あるいはおまえ自身の手で美しい世界を作りだすことができる。いいな? わかったな?」
「わかりました。エンゾさんの言うとおりにします。目を瞑り、耳を塞ぐ。ところで、エンゾさん。あの最後の『I Remember Clifford』はクリフォード・ブラウンではなくて、演奏していたのはリー・モーガンですよね?」
 私は一瞬だけ言葉に詰まった。
「いいや。あれはまちがいなくクリフォード・ブラウンの『I Remember Clifford』だ」
「そうですか。『Lee Morgan Vol.3』の3曲目の『I Remember Clifford』にそっくりでしたよ」
「どうかしてる。おまえの耳は本当にどうかしてる。耳がおかしいだけではなくて、おまえは脳味噌と魂までおかしい。きっと、この夏、脳みその皺の足りない女どもから変な病気を伝染されたんだ」
「すみません。以後、気をつけます」
「いや。以後はない。おまえがおとなになった以上な」
 私は1985年の夏が中盤にさしかかった頃から考えていたことを森の漫才師サルーに告げた。
「おまえとはきょうでお別れだ」
「えっ!?」
「健闘を祈る。次に会えるのは28年後の2013年8月31日土曜日。ここ、七里ケ浜駐車場レフトサイドでだ」
 呆然とし、青ざめている森の漫才師サルーの胸ぐらに『I Remember Clifford』ばかりが入ったカセットテープを押しつけ、とりつく島も与えずに踵を返した。それが森の漫才師サルーに会った最後だ。以来、『I Remember Clifford』を聴くこともない。
 その後、森の漫才師サルーがどのような人生を生きたのかはわからない。街を遠く離れ、風の便りも来ないようにして生きてきた。明日、28年前の約束通り、森の漫才師サルーが七里ケ浜駐車場レフトサイドにいればいいが。七里ケ浜駐車場レフトサイドに強い南風が吹きつけていればいいが。森の漫才師サルーの人生の日々がいい風向きであればいいが。財産の0の数をさらに増やして、私に分け前をくれたらなおいいが。


 ブラウニーの魂よ、永遠なれ


Clifford_Brown_with_Strings-Clifford_Brown800PX20138030.jpg


【I Remember Clifford】
 Lee Morgan
 Freddie Hubbard
 Dizzy Gillespie
 Roy Hargrove
 Arturo Sandoval
 Benny Golson
 J.R. Monterose
 日野皓正
 Bob Acri
 Ron Carter
 Katsuhiro Tsuchiya
 Keith Jarret Trio
 Milt Jackson




     
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