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幾千億の朝、幾千億の波。そして、幾千億の太陽#2 七里ガ浜甘夏納豆売り

 

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 波を待っていた。七里ケ浜駐車場前の幅40メートルのサーフポイントで。そこだけまともな波の立つ場所で。海の中で海藻どもがゆらゆらとダンスしていた。びっしりと海藻がへばりついた大きな岩がいくつも海底に転がっていた。いまにも動きだして踏みつぶされそうに思えた。巨岩どもは薄笑いを浮かべてこちらの様子を観察分析し、手ぐすね引いて隙をうかがっているみたいだった。
 私は17歳、高校2年生だった。学校が終わると掃除当番も補習もすっぽかして七里ガ浜の山の上にある食堂に直行した。預けてあるサーフボードを受け取るためだ。その食堂こそがアロハ髭デブおやじの店、『珊瑚礁』だ。
 低気圧が近づいていい波が入る日は学校をサボるか、1時限目か2時限目には早退した。ずいぶんと親戚の叔父さんや叔母さんには死んでもらった。いないはずの兄弟姉妹を交通事故や不慮の事故に遭わせたことは数知れない。担任も心えたもので、「兄弟と親戚がたくさんいて賑やかでいいな」と皮肉を言うくらいで、それ以上追及されることはなかった。閻魔帳にもズル休みズル早退のことを書き込んだりせずにすませてくれた。
 その日は茅ヶ崎の老舗のサーフショップを通じて特注したライトニング・ボルトのサーフボードが出来上がってくる日だった。当然、親戚の叔母さんには死んでもらった。ズル休みだ。朝から京浜東北線と東海道線を乗り継いで茅ヶ崎に向かった。
 サーフボードは予想以上の出来栄えだった。トリプル・フィン。リーシュ・ホールなし。いま思えば斬新だ。革新、革命とさえ言いうる。ジェリー・ロペスの派手でアクロバティックなライディングがもてはやされていたサーフィン新石器時代だ。あの時代にトリプル・フィンのサーフボードに乗っていた波乗り野郎は世界に10人もいなかったはずだ。私のオーダー・シートを見るサーフ・ショップのオーナーもしきりに首を傾げていた。
「トリプル・フィン? なにこれ?」
「フィンがみっつ」
「やってくれるかな。かなり複雑だ。強度と剛性の問題もあるし」
「なんとかやってもらってよ。波乗りの神様のお告げなんだ。”トリプル・フィンの板を作れ。祈れ。そして稲村ケ崎の伝説の大波に乗れ。”って」
「ベース・カラーはピュアブラック?」
「漆黒。真っ黒けっけってこと」
 オーナーは呆れ顔だ。「で、稲妻はピュアホワイト」
「そう。純白。真っ白けっけ」
 そこでオーナーはやっと笑った。「真っ黒けっけと真っ白けっけ」
「そう。まさにおれのこと」
「よく言うよ。時間はきっちりもらうよ。この商売をはじめて20年になるけど、こんな複雑なオーダー・シートはみたことない。ボルトのシェイパー、ビルダーも目を丸くするぜ。やつらはきっと言うはずだ。”オー! マイ・ガッド! ディスオーダーだ! ディザスターだ!”」
「災厄って? それならいっそういい。ざまあみろだ。先っぽの角度と底のベルヌーイ・ラインの本数を増やして、形状ももっと複雑にしてやろうかな」
「おいおい。かんべんしてくれよ、樽くん」
「へへへ」


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 サーフボードは完成するまでに3ヶ月かかった。ちょうど今頃、太平洋高気圧がデカいツラをして日本列島に張り出し、期末試験の結果は幸運にも学年で1番で、おまけに七里ケ浜駐車場レフトサイドでバッテリー上がりを起こしたターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14の脇で困り果てていた女子大生をレスキューしたのがきっかけで、その女子大生とステディな間柄になっていた。女子大生は慶応の仏文科の3年生だった。5歳歳上。グレース・ケリーと仁科明子を足してカイエンヌ・ペッパーをふりかけたようなクール・ビューティだった。
 とにかく春先からずっとツイていた。街中での「肉体言語闘争」、早い話がストリート・ファイトは連戦連勝。京急金沢八景の駅前でYTCのポンコツヘッポコスカタン5人を相手に完勝した一戦はのちのち、横浜南部エリアの不良少年どもに長く語り継がれる「伝説」となった。横浜駅西口で朝鮮学校の生徒とすれちがうと、向うから道をあけるほどだった。私の武勇とクレイジーぶりを聞きつけた腕に覚えのあるやつが、次々に戦いを挑んできたが、私は彼らをことごとく完膚なきまでに粉砕殲滅した。私が勝ちつづけることができたのは、「失うものなどなにもない」と覚悟を決めていたからだと思われる。失うものがある者は、どこかで「手加減」をし、手を抜くが、私はちがった。手加減なし、容赦なし。対戦相手が死んでもかまわないとさえ考えて戦いに臨んでいた。素手ゴロならだれにも負けないとさえ思った。内藤のジュンちゃんことカシアス内藤に横浜中華街の「レッドシューズ」でコテンパンに叩きのめされるまでは。
 ツイていたのは肉体言語闘争、ストリート・ファイトだけではなかった。宝くじで1000万円当たった。GINZA NOWの勝ち抜き腕相撲で42人抜きした。最後はバズーカ牛島という横須賀工業高校の番長に負けた。その後、バズーカ牛島とは親友になったが、先頃、肝臓がんで死んでしまった。男にも女にもよくモテた。まさに選り取り見取り。乾く暇なし。オバケのパー券をばらまいてシコタマ儲けた。とにかくツイていた。ツキまくっていた。マブダチのヨシノ・コージが殺されるまでは。だが、それはまた別の話だ。

 サーフボードを砂浜に突き刺すとモノリスみたいに見えた。太陽の位置、陽の光があたる加減や強さのちがいで白く見えることもあった。あるいは透明にも。ブラック・ライトニング・ボルト。あるいはホワイト・ライトニング・ボルト。存在の耐えられない透明な波乗り板。真っ黒けっけで真っ白けっけ。数々の矛盾を孕みつつ世界に確かに存在し、生きている私にはぴったりのサーフボードだった。
 何人かのサーファーがやってきてはああでもないこうでもないと私のサーフボードについて話し、当然、彼らには「答え」も「結論」も、それらに類することも見つからずに去っていった。
「おまえらごときにわかるわけねえよ」
 内心鼻高々の私は心の中でそうつぶやいた。プロ・サーファーのヨシノ・コージも私のサーフボードの噂を聞きつけてやってきた。ヨシノ・コージは天才肌の波乗り野郎だった。私ともけっこう仲がよくて、七里ガ浜のヨシノ・コージの家のウッドデッキで何回かイケナイ・ルージュ・マジック・スモクをやったこともあった。ヨシノ・コージは体質的にイケナイ・ルージュ・マジック・スモクが利きやすいようで、すぐにオーバードーズになった。オーバードーズ状態になるとヨシノ・コージはかならず「乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン♪ 波に波に波に乗れ乗れ♪」を歌いながら完全オリジナル振り付けの波乗りダンスを踊った。それは見ものと言ってもいいくらいに見事な波乗りダンスだった。ヨシノ・コージの波乗りダンスの評判を聞きつけた史上最高の波乗り野郎、エルヴィン・ルドルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレディンガーが哲学猫のデンケン・フォン・エクスペリメントと箱猫のシックスボックス・キャットと境界線上の猫のサウスオブボーダー・キャットを連れて見学にやってくるほどだった。


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 七里ケ浜駐車場前の幅40メートルほどのサーフポイントは波の力と気圧と風向きと潮の条件が整うとすばらしい波が立った。ただし、条件が整うことは滅多になかった。宝くじに当たるよりは確率が高いことはまちがいなかったが。その日も膝クラスのしょぼくれた波ばかりが七里ガ浜の浜を洗っていた。
「きょうはあきらめろ。待ってもいい波はこない」
 すぐうしろから嗄れてドスのきいた声がした。珊瑚礁のアロハ髭デブおやじだった。「それにこんなチャラチャラした板は七里の波に合わない。稲村ジェーンにもな」
「そういうもんかなあ」
「そういうもんだ。おまえは波乗りを始めて何年になるんだ? 2年か? 3年か?」
「3年半」
「そうか。ということはヨチヨチ歩きの時代は終了したんだな? そろそろ、本物の板に乗る時期だ」
「本物の板ってどんなのだよ」
「ロングボード。9フィート7インチ」
「化けもんじゃんかよ」
「そうだ。稲村の化け物クラスの波を乗りこなすにはこっちも化け物を用意しないとな」
「なるほど」
「おまえが波乗りをやる目的はなんだ?」
「おもしろい。気持ちいい。ほかにあるのかよ。波乗りやる理由が」
「大事なのは目的だ。目的と行動。これが人間を作りあげる。目標目的が明確でなければえられる結果はゴミ同然だ」
「哲学だな」
「哲学じゃない。知恵だ。知恵と経験。そして目的。わかるな?」
「うん」
「いい子だ。褒美におれの板をやる。9フィート7インチのロングボードを。伝説のボード・シェイパー、トパンガ・ケイヨンロードの渾身の傑作ボードを」
「冗談だよな?」
「おれは冗談とマッポと腐った牛乳が大きらいだ」
「奇跡だ」
「奇跡なんかじゃない。事実だ。そして、好意」
「おれのことが好きってこと?」
「まあな。早い話がそういうことだ。おまえは筋がいい。人間の筋が。人生を生きることの筋が」
「なんだか、ちょっとうれしいな」
「そして、次の稲村ジェーン、伝説の水曜日の大波に乗れるやつがいるとすればおまえだと思うからだ」
「稲村ジェーン。伝説の水曜日の大波」
「そうだ。だから、今から本物のサーフボードで本物の波に乗る訓練をしておくんだ」
「オーケイ。本物のサーフボードで本物の波に乗るんだな。わかった。熱いぜ、おやじ」
「ついでと言っちゃあなんだが、七里ガ浜甘夏納豆売りをしてきてくれ」
「なんだよ! バーターだったのかよ!」
「ただで手に入るものにロクなものはない。おぼえとけ」
 私は渋々重さが10キロ近くもある青いクーラーボックスを肩からぶら下げてビーチを歩きはじめた。クーラーボックスの中身はアロハ髭デブおやじ特製のアイスキャンディーだ。パイナップル味とマンゴー味とレモン味とミント味とライム味。「七里ガ浜甘夏納豆売り」は稲村ヶ崎から七里ガ浜の果てまでを5回往復する。

「アイスキャンディーいかがっすかー。パイナップル味とマンゴー味とレモン味とミント味とライム味とマンコ味とチンコ味のアイスキャンディーいかがっすかー。七里ガ浜甘夏納豆売り特製のアイスキャンディーはいかがっすかー。七里ガ浜ロコのロコモーティヴなアイスキャンディーはいかがっすかー」

 肩に食い込むクーラーボックスのベルトは痛いし、砂に足が取られて歩きにくいし、真夏の果実が一瞬にして蒸発してしまうくらい太陽は情け容赦もなく熱いし、喉は乾くし、なんの脈絡もなく慶応ガールが達するときの喘ぎ声が頭の中で繰り返し聴こえて激しく勃起するしで、その日の「七里ガ浜甘夏納豆売り」は実に散々だった。稲村ヶ崎から七里ガ浜の果てまでを5往復して売れたアイスキャンディーはミント味とライム味が3本ずつ。「マンコ味とチンコ味のくれ」と言ってきた唐獅子牡丹の刺青をみせびらかすチンピラには鳩尾に膝蹴りを入れてやった。唐獅子牡丹野郎と一緒にいた腐ったキャベツのような珍妙きわまりもない線彫りの刺青を右の太ももに入れた痩せっぽちはひと睨みで5メートルくらい吹っ飛んだ。二人とも、以後はまっとうな社会的適合者になったはずだ。特に唐獅子牡丹野郎は生涯に渡って鳩尾に痛みを感じつづけ、唐獅子牡丹に別れを告げてから満願寺唐辛子売りとして浅草あたりの露天商組合の古株として生きていることが予想された。
 ワルはおれにまかせときゃいいだよ、チンピラくん。まったくどこまでも世界はバカバカしさと徒労と腰のすわらない愚か者で出来あがっているものだと強く思われた。10キロ近くもある青いクーラーボックスを肩からぶら下げて。夏の陽に灼きつくされながら。
 仲間内ではいつからか、誰いうともなくこの「苦行」「拷問」「磔刑」を「七里ガ浜甘夏納豆売り」と呼んでいた。イエスだってブッダだって孔子先生だってこの苦行には根を上げたはずだ。それくらいきつかった。夏も太陽も海も冥王星の周回軌道の外まで蹴り飛ばしてしまいたかった。The End of The Worldが来たってかまわないとすら思った。「Why does my heart go on beating? Why do these eyes of mine cry?」と口に出すと、少しだけ楽になった。肩に食い込むアイスキャンディーの重さはちっとも変わらなかったが。それが世界を成り立たせている「仕組み」の一端だ。
 無性に高中正義の『伊豆甘夏納豆売り』を聴きながらキンキンに冷えた7UPを飲み、甘夏味のかき氷が食べたかった。だがそれは、「七里ガ浜甘夏納豆売り」をしているときには、ブラジリアの空からスモッグが消えて、「ブラジルの青い空」が見えることを望むくらい馬鹿げていた。実際、あの頃、七里ガ浜周辺で日々起こっていたことどもはどれもこれもどうしようもなく、救いがたいほどに馬鹿げていたが、そのことに気づいていたのは私とアロハ髭デブおやじだけだった。


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