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東京美味礼讃#1 神楽坂・伊勢藤のこと

 
 
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 序の口/縄暖簾に腕押し
 神楽坂にいい飲み屋がある。店の名を「伊勢藤」という。本物の江戸前言葉とうまい酒に小粋な肴、ゆったりとした時間を楽しみたかったら伊勢藤へ行くがいい。そこは都会の喧噪ともうわっ面の華やかさとも無縁である。
 飯田橋の駅で降り、外堀を越えて神楽坂を登る。登りきる少し手前の細い石畳の路地を入ったところに伊勢藤はある。二階建て木造。古い仕舞屋風のたたずまい。注意しないとそのまま通りすぎてしまいそうな質素な店構えである。建築探偵の藤森照信や赤瀬川トマソン原平も一度は偵察に来ているはずだ。看板らしいものといえば、「伊勢藤」と筆書きされた小さな雪洞ひとつきりである。それさえ、ずいぶんと控えめである。障子窓をとおして、やわらかな光が店の外にこぼれている。格子戸をくぐる。引き戸を抜ける。気持ちがほぐれていく。
 薄暗い店の中にはひそやかな話し声と酒を注ぐかすかな音とがある。五、六人も座ればいっぱいになってしまうような突き板の台に囲まれた囲炉裏の前に店主が座っている。見れば超一流の酒飲みの顔である。座敷も小上がりもあるが、店主の顔の見えるこの席がいい。

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 十両/縄暖簾をくぐる
 もうとっくの昔に死んでしまったが、好きな噺家で金原亭馬生という酒飲みの達人がいた。五代目古今亭志ん生の長男である。古今亭志ん朝の長兄でもある。馬生は高座に上がるとき、出囃子の『鞍馬』に合わせて踊るように出てくるのだが、足元はいつもふらついていた。楽屋で酒を飲んでいるのである。顔はすでに赤く、目尻は緩んで垂れ下がっている。父親の志ん生は高座で眠りこけたが、息子は高座で酔っ払うのだ。もちろん呂律はまわらないが、それでも噺に味があった。伊勢藤の店主は顔の艶とか雰囲気とか物腰がこの馬生に似ているのである。よほどの酒飲みでなければ、こうはなるまい。そんなことを考えながら、店主の顔をみ、酒を飲んでいるとますます似てくるから不思議である。

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 店主は藍染の前掛けをきりりと締め、客の注文に手際よく応対する。身のこなしのひとつひとつに年期が滲んでいる。ときどき、店主は思いついたように独り言をつぶやく。わたしはその独り言が始まるのがいつも待ち遠しい。このごろは滅多に耳にすることのない粋な言葉である。歯切れがいい。正真正銘の江戸弁である。噺家の口調にも似ている。名人の一席を聴いているような気になる。気分が良くなる。もちろん、酒もうまくなる。

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 前頭筆頭/酒と肴と器と店と
 座るとすぐに突き出しが出てくる。蕗を炊いたのだの切り干し大根だのきんぴら牛蒡だの塩辛だのの手料理が小鉢に少量だけ出されるのである。一見するとどうということのないものだが、どれも手抜きや妥協のいっさいない立派な料理である。つつきながら酒を飲む。酒を飲みながら、またつつく。酒は灘の辛口『白鷹』である。店主の長年の酒遍歴の末にたどりついた銘柄だという。一本、ぴんと筋の通った酒である。爽やかである。凛としている。
 店主が薦樽から徳利に注ぎ、囲炉裏の火で燗をつける。きりりとした喉越しが心地よい。いくらでも飲めるような気がする。いくらでも飲みたくなる。肴に幾品か注文する。経木に手書きされたお品書きをながめ、どれにしようかと迷いながら酒を飲むのがまたたのしい。たたみいわしやえいひれや烏賊の黒造りなど、酒飲みにはたまらないものばかりだ。喉が鳴る。酒がすすむ。酔う。
 注文した肴が出てくる。いい器にほどよく盛りつけられている。お猪口から皿、小鉢にいたるまで、どれも趣味のいいものばかりである。よく使い込まれていて、実に味わい深い。店で使う食器のすべては店主が折にふれてひとつひとつ集めたものであるという。店主の趣味の良さが知れようというものだ。
 酒も食い物もうまいが店の者がいただけないということがよくあるが、伊勢藤についてならそんな心配はこれっぽっちもいらない。心配どころか大満足だ。それでもまだ不足なら、河岸をかえるしか手はないとも思える。それほどの店だ。

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 酒は白鷹だが、大関/酒は静かに飲むべかりけり
 酒は文句なしにうまい。食い物だって本物だ。店主にいたっては名人、達人の風格を漂わせている。客に媚びを売るというようなことは毛頭ないが、かといって、お高くとまっているのでもない。うまい酒をうまく、うまい食い物をうまく楽しませるための基本がきちんと行なわれているだけの話だ。
 伊勢藤ではおちゃらけや馬鹿騒ぎはいっさい御法度である。無駄口も無用である。ただ酒を飲めばよい。ゆっくりと静かに酒を飲み、ただ酔うだけでいい。「酒は静かに飲むべかりけり」である。小粋でうまい料理を食い、ただ酒を飲むためだけに足を運べばよいのである。ほかには何もいらぬ。それができそうにないなら、伊勢藤には金輪際近づかぬがよかろう。飲み屋はほかにいくらでもある。
 店が一流なら客も一流にならなくてはいけない。店が一流でも客が二流なら、その店はやがて二流になる。店が二流でも客が一流なら、その店はいつか一流になる。そういうものだ。

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 天下無双の雷電為エ衛門ここにあり。酔いどれのほっこり、千秋楽/「酒飲みの本懐である」
 さて、こちらの酔いも頃合になってくると、それを見てとった店主のひと声で、まずそら豆の煎ったのが一合桝に入って出てくる。そら豆をふたつみっつつまんで口に放り込む。香ばしい。口の中がさっぱりする。次に自家製の梅干しが出る。時間と手間を惜しまずに漬け込まれた逸品である。そら豆も梅干しも、「きょうはこのあたりでおやめなさい」という店主の無言の忠告である。この忠告は素直に聞いておいたほうが身のためというものだ。
 梅干しをしゃぶり、濃いめのほうじ茶などを啜っていると、充実した酔いは悦びにさえ変わってくる。この悦びこそ酒飲みの本懐だろう。「酒飲みの本懐」とは御大層な話だが、それくらいの気分になる。一流の酒飲みが伊勢藤から何人も育っていったにちがいないとさえ思えてくる。酒の飲み方を知らぬ者はここでそれを学び、本物の酒飲みはさらに磨きをかける。伊勢藤とはそういう店だ。伊勢藤で飲んでいると、自分などはまだまだ酒飲みのとば口に立ちはじめたにすぎないことを思い知らされる。

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 充実した酔いが悦びに変わり、店主の顔がいっそう赤らんでくる頃、店を出る。このとき、「お愛想」のひと声とともに、店主に気の利いたせりふのひとつも言えれば、もうれっきとした伊勢藤の馴染みである。
 伊勢藤を出て、毘沙門さまにお参りしてから近くの「五十番」で名物の中華饅頭など土産に買って帰れば家内は安泰である。あつあつの中華饅頭を掌に感じながら神楽坂をくだり、飯田橋の駅に向かう。外堀を渡ってくる風に身を任せながら、また一歩本物の酒飲みに近づいた自分に気づくのは悪くない。かくして、本日も東京は「酔いどれの誇り」のごとくに天下太平楽である。

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