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牌の痕 ── そして、銀座2丁目の路地裏に朝がきて、男たちはそれぞれの戦場へと帰還した。

 
 
9Ren.jpg
 
 
泡の時代のまっただ中、1988年の冬。クリスマス・ソングが街のあちこちから聴こえていた。私は血煙を上げながら仕事をしていた。カネはうなるほどあった。いずれ、世界一の大金持ちになってやると思っていた。愚かだった。舞い上がっていた。奢りたかぶっていた。生涯最高最悪にして忘れえぬ麻雀の対戦が迫っていた。

その頃、私は30歳になったばかりの若造だった。怖いもの知らずの小僧っこだった。心をゆるしたごく少数の年上の理解者をのぞけば、だれにも頭を下げなかった。傲岸不遜を絵に描いたような輩だった。周囲はそれをゆるし、私はそれを当然のことと受け取った。嫌なやつも甚だしいといまにして思うが、当時は露ほどの反省もない日々を生き、浮かれ騒いでいた。

麻雀牌に初めて触れたのは7歳の秋。おとなたちのやっている麻雀をひたすら観察し、麻雀のルール、約束事、掟をおぼえた。すぐに麻雀に取り憑かれた。

麻雀卓を囲んだのは麻雀牌に触れてから2ヶ月後の正月である。勝った。勝ちつづけた。最初は笑っていたおとなたちの顔色が少しずつ変わっていき、遂には真顔になった。怒ってわけのわからぬ奇声を発する者まで現れた。

結局、私の圧倒的な一人勝ち。ほかの3人は箱テンだった。ただ勝ったことが嬉しかったのではない。対戦者を完膚なきまでに叩きのめしたことが嬉しかった。私のそのメンタリティは生来のものである。手加減なし。容赦なし。いまもそれは変わっていない。

麻雀は運と記憶力と構成力と観察力のゲームである。麻雀の上手下手を技術力の高低のように言う者が時折いるが、私はその考えを取らない。運が7割。あとの3割は記憶力と配牌から和了までをいかに組み立てていくかという構成力と対戦者の心の動きを見抜く観察力である。運、ツキのないときはいくらやっても勝てない。

私は運気を読むことに長けていた。これも生来のものだ。運、ツキがないと思ったら、どんなに誘われても断る。これは麻雀に限ったことではない。もちろん、運気、潮目を見誤るときはある。最大の誤謬はバブルの時代の引際を見誤ったことである。そして、すべてを失った。

その泡の時代の全盛期。ある画商から麻雀の代打ちを依頼された。私が麻雀が強いことは関係者の間ではつとに知れ渡っていたのだ。儲けは折半。つまり、山分けである。負けた場合も同様である。レートは1000点棒1本が100万円。箱テンを喰らえば3000万円が消えてなくなるというとんでもない麻雀である。だが、強い運気を感じた。私は二つ返事で代打ちを引き受けた。必ず勝てるという確信に近いものがあった。

ゲームは12月23日の昼から始まった。場所は銀座2丁目の裏通り、とある雑居ビルの一室。秘密クラブだった。扉は分厚い鋼鉄製で、何重にもセキュリティが施されていた。豪奢な調度類と快適な空調、そして至れり尽くせりの響応。ソファにはマッサージ機能までが備わっていた。およそ麻雀をやるうえで考えうる最上の設備と環境だった。ここでいままでにいったい何百億のカネが動いたのかと考えると自然に武者震いが起った。

対戦者はいずれも初対面だった。どいつもこいつも顔をてらてらてかてかさせ、ダブル・ブレステッドのスーツを着込み、ヴェルサーチのド派手なネクタイを締め、カルティエやらデュポンやらダンヒルのライターをかちゃかちゃ鳴らしていた。「こんなやつらなら、ひとひねりだ」と私は思った。だが、それは大きなまちがいであったと気づくのに時間はかからなかった。

麻雀は短編小説を紡ぐのに似ている。配牌は書き出し。但し、これには自分の経験、知識、考え、配慮、好き嫌いは及ばない。ただ厳密には、自分の持っている運気、ツキが目の前の14牌乃至は13牌を配すると言えなくもない。幸運か天運か強運か、はたまた悪運か悲運か。それはこの際、問題ではない。この段階の最高の運は和了していること。すなわち、天和である。天和を和了すると命運が尽きて命を失うなどというのは妄言である。麻雀ごときで命を失うような命運なら尽きてしまったほうがよっぽどいい。

次は第1ツモもしくは対戦者の捨て牌による和了である。ツモって和了すれば地和。対戦者の捨て牌で和了すれば人和。ルールにもよるが、いずれも役満貫である。

そして、いよいよ次のフェーズからが麻雀本来の醍醐味である。牌をツモる。手牌の組合せは98,521,596,000通りある。役の高低の別はともかく、98,521,596,000通りの中に和了は存する。すでに手の内にある牌の順列組み合わせ、確率、場に捨てられたそれぞれの牌種、ゲーム全体の流れ、対戦者の顔色、表情、仕草、発言、そして自分の勘の冴え、閃きの確度等々について勘案する。それも短時間のうちに。ここでモタつくとゲーム全体の流れを乱し、自分の運気にも影響を及ぼしかねない。

私は確率論的にもっともツモる確率の高い牌種から順番にプライオリティをつけ、どの牌をツモったらどの牌を捨てるかツモる前に決めておくからツモと同時に打牌を行う。対戦者へのプレッシャーの意味合いもある。もっとも、対戦者のポン、チーによってそれが乱されることもある。これはいたしかたない。なにごとも思うようにはいかないというのは麻雀においても言えることなのだ。そして、和了へ向けて物語はつづく。

臨機応変、変幻自在にストーリーを変えながら和了することができればそれは物語のひとつのオチである。当初に想定したとおりの役で和了できたときの快感はたいへんなものだ。和了がれなければオチなし。どんなに手役がよくても、たとえ、九蓮宝燈を聴牌していても和了できなければオチのない役立たず、駄作以下ということになる。

さて、箱テン3000万円麻雀は静かに幕を開けた。ゲームは対戦者全員気負いもなく、スムーズに進む。つまらぬ鳴きがないのはいい傾向だった。「喰いタンヤオなし。役の完全先付け」ルールが功を奏した格好だ。

私の下家がいきなり清一色をツモ上がり。レイトン・ハウスの専務だった。名うての地上げ屋。顔に覚えはある。1200万円を手にしても眉ひとつ動かさず、涼しい顔をしている。クールだった。

1荘。2荘。3荘。4荘。5荘。6荘。7荘。8荘 ── 。一進一退の攻防がつづいたが、私はジリ貧だった。終局し、集計のたびに数百万円の札束がボストンバッグから消えていく。焦りがなかったといえば嘘になる。だが、必ず勝利できるという確信に微塵も揺らぎはなかった。

「最近の地上げはどうですか?」と株式投資コンサルタント会社の社長が言った。
「ほんなもん、ぼちぼちですわ」と第一不動産の常務が答えた。締まりのない関西弁に虫酸が走る。私がもっとも忌み嫌うタイプの男だった。
「赤坂9丁目の物件、どないしましょ?」
関西弁男がレイトン・ハウス専務に言った。レイトン・ハウス専務はカプリを1本抜き出して火をつけ、深々と吸い込んだ。そして、答えた。
「仕事の話はやめましょう。きょうは遊びにきたのでね」

箱テン3000万の麻雀が遊びか。やはり、クールなやつだ。この男とはいい付き合いができると思った。暗黙のうちに、私とレイトン・ハウス専務VS関西弁男と株屋という対立図式が出来上がった。負けは数千万にのぼっていたが、不思議な闘志が湧いた。どのような戦いにも戦友は必要である。

そして、ついに最終荘。南場最終局、起家。配牌はマンズ気配濃厚。ドラの五萬と南はトイツだ。アンコにすれば、それだけで四翻。ソーズとピンズの端牌が混ざっている。清一を狙うか。ドラをアンコにして南一翻を加えたうま味を活かすか。迷った。大いに迷った。そして、決めた。

打牌、五萬。誰ともなく、「えっ」という嗚咽が洩れる。流局はすでに8度。親である私の卓の右隅には8本の100点棒と12本のリーチ棒。1280万円が無造作に並んでいる。リャン翻縛り。これで、安い手役で上がる道は閉ざされた。

最終章は静かに進んだ。緊張が徐々に高まる。中盤すぎ、それまでの5巡、ツモった牌をすべて牌中に収めていた関西弁男がドラ切り。表情と顔色と仕草から見て、かなりの好手であることがわかる。レイトン・ハウス専務がすかさずチー。これで流れが変わった。

私は勝負に出た。意識は冴え冴えと澄みわたり、すべての流れが見通せた。勝てると思った。勝ったと思った。

待ちに待ったカンドラの九萬が入る。六萬九萬の聴牌。次巡、六萬をツモり、和了。ツモピンフサンショクドラ1。親マン。凡庸きわまりない。和了役と点数と負けている分を差し引きする。負け越し。場を見る。私が喉から手が出るほど欲しいのは九萬だ。

四枚のうち、私の手牌の中に1枚。そして、場に2枚。残るは1枚。どうしても欲しい最後の1枚。牌の山に眼を凝らす。次のツモは海底牌だ。

考える。再度、海底牌に眼を凝らす。考えをめぐらす。だめだ。こんなつまらぬ手役できょうの物語を終わらせるわけにはいかない。こんなことのために困難な戦いをつづけてきたのではない。これは誇りに関わる問題である。

さらに、海底牌を見る。じっと視る。凝視する。見えている部分をすべて視る。そして、私はこの和了を捨てることに決めた。

ゆっくりと和了牌の六萬に指を伸ばし、掴み、打牌した。天の意思も大地の歌も人間の息づかいも河の流れも海のうねりもすべて視えた。心は穏やかで晴れ晴れとしていた。


9Man.jpg


「男前リーチ!」

私は打牌と同時に宣言した。対戦者の驚く表情が愉快でならなかった。最後のツモ、最後の九萬にすべてを託す。

場が一気に緊張する。下家のレイトン・ハウス専務は淡々とした表情でツモり、迷うことなく現物牌を捨てる。同じく、株屋も現物打牌。さんざん迷ったあげく、関西弁男は六萬を打牌した。「ドラ4やったのになあ」の女々しく醜い言葉とともに。

そして、そのときはきた。私は海底牌から一刹那さえ眼をそらさず、手を伸ばし、やさしく指先で牌にふれ、その感触を味わった。指先から温かく深く確実なものが流れ込んでくる。眼を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出した。牌を持つ腕をゆっくりと振り上げ、振り下ろす。私は牌面を確かめることもなく、人差し指と中指と親指でつまんだ牌を卓上に叩きつけた。

「ツモッ!」

リーチ一発ハイテイツモピンフジュンチャンサンショクイーペーコードラ5。

門前清自摸和海底摸月平和三色一盃口同順純全帯ヤオ九ドラ5(興味のある方はこの和了を計算していただきたい)。さらに、オーラスの変則青天井&倍々ルール。

勝った。対戦者の感嘆の声と深い溜息。逆転勝利。しかも大逆転勝利。結局、私の懐には2億円近いカネが転がり込んだ。もちろん、そのカネも数ヶ月後には泡と消える運命ではあったが。しかし、反省も後悔も一切していない。反省やら後悔は頭のよろしい方々にすべてお任せしてある。私の係ではない。

さて、なぜ私は最後の九萬に賭けて、あえて和了牌である六萬を捨てたのか?

牌の痕である。九萬牌の右上隅についていた微小微細な痕によって、私は私がツモる海底牌が九萬の最後の一枚であることをわかっていたからである。

長く険しい戦いを終え、我々は明け方の銀座に出た。4人とも実に晴れ晴れとした顔をしていた。銀座4丁目の交差点まで歩き、握手を交わし、いつかの再会と再戦を約束した。そして、それぞれの戦場へと帰還した。

再会も再戦も果たされぬまま四半世紀の歳月が過ぎた。そのあいだに泡は弾け、一人は自死、一人は自己破産、レイトン・ハウス専務は国外逃亡中である。私が麻雀卓を囲むことはもはやない。私の傷は癒えた。牌の痕もいつか消える。奇跡は二度あるものではない。

1988年冬、泡の時代のクリスマス・イヴ。和光前で聴きたかったのはナット・キング・コールの『メリー・クリスマス・トゥー・ユー』だったが、聴こえてきたのはビング・クロスビーの歌う『ホワイト・クリスマス』である。ツモったのは白ではないし、雪も積もらなかった。この人生、そうそう思いどおりにはいかないものだ。



     
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