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RADIO DAYS#1 時のないホテルを駆け抜けていった霧の中の少女

 

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 だれもが霧の中のジョガーとなって、時のないホテルを駆け抜けてゆく。 E-M-M


 フルーツバスケットいっぱいのかなしみを抱えた少女は16歳の秋に死んだ。ミエロジェーナス・ロイケーミア。急性骨髄性白血病だった。その少女は中学生の頃から私のラジオ番組の熱心なリスナーであり、投稿者だった。私がたじろぐほど切っ先鋭く、問題の核心に肉薄する大量のコメントを番組の専用BBSに投稿しつづけた。彼女がコメントすると他のリスナーは沈黙した。それが私の番組、掲示板における掟、暗黙の了解だった。
 驚くべきことに少女は生まれてこのかた、まともに本を読んだことがなかった。つまり、少女の発する研ぎ澄まされた言葉の数々はすべて彼女そのもの、魂のあかむけの叫びだった。それはひとつの奇跡であるように思われた。
 少女のハンドルネームは冴。冴え冴えとした少女のコメントを象徴するハンドルネームだった。高校生であるというのは自己申告にすぎないし、博多在住というのも同様に自己申告である。冴についてわかっているのは音声と類まれな言語表現能力を有しているということ、そしていまや死んでこの世界には存在しないことだけだ。
「生まれ変わることはできない。しかし、少しずつ変わってはゆける。たとえきょうが苦しいとしても、いつかあたたかな想い出になる」と言い残し、彼女が最後にリクエストした曲は松任谷由実の『霧の中のジョガー』である。その三日後、彼女は死んだ。死んで、永遠に霧の中に消え去った。「だが」と思う。少女はいまもネットワークの中に生きて、なにごとかを発信しつづけているのではないかと。彼女が発信する場所は時間も空間も超越した時のないホテルなのではないかと。

 私がこれからここに書き記すのは私のラジオの日々であると同時に、不思議な少女との交流と交感の記録である。かなしみと痛みと苦悩がいくぶんか含まれてはいるが、慰めや教訓などはない。


 冴が高校に進学して間もないある春の深夜。彼女からスカイプ・コールがあった。冴の声には深刻さと強い苦悩がにじんでいた。
「友だちが欲しいんです。いままでに友だちと言えるようなひとが一人もいなかったから」
「きみが用意するべきものはひとつだ」
「用意するべきもの? なんでしょうか?」
「彫刻刀」
「彫刻刀?」
「うん。彫刻刀」
「なんで彫刻刀?」
「さて、そこだ。友だちが欲しいというきみに、なぜ彫刻刀が必要なのか」
「はい」
「彫刻刀の本当の名が友情刀だからだ」
「友情刀。ちょっとかっこいい」
「そして、きみがおとなになってから世話になるのは中将湯だ」
「中将湯ならもう飲んでますよ」
「けっこうけっこう。さて。ポケットに彫刻刀を忍ばせたら、きみはきみが友情を結びたい相手の背後にそっと忍び寄る。いいね?」
「はい」
「そして、きみはポケットから彫刻刀を静かに取り出す。決して相手に気づかれてはならない。いいね?」
「気づかれないようにそっと背後に忍び寄る。なんだかイアン・ムーンのラバー・スーツみたいね」
「そうだ。きみは実に勘と察しがいい。きわめて重要な特質だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うには及ばない。つづけるよ」
「はい」
「きみは彫刻刀を構え、相手の背後に立ち、そして、耳元でそっとつぶやくんだ。”My Name is Ian Moone. I am No One.”」
「わたしの名前はイアン・ムーン。わたしは何者でもない」
「そのとおり」
「そのあとは?」
「彫刻刀を相手の脇腹、肝臓のあたりに突き立てる」
「痛いじゃないですか! それに、へたをすると死んじゃいますよ!」
「そうだよ。痛いよ。へたすれば死ぬよ」
「できませんよ! そんなこと!」
「では、その人物と友情を結ぶことはあきらめなさい」
「え? どういうことですか?」
「つまりだ。他者と友情を結ぶということは強い痛みがともなうということだ。教室で透明な存在であるいまのきみに必要なのは、きみが何者でもない他者であることの明晰な認識と、その事態から抜け出すための冒険なんだ。わかるね?」
「わかりません」
「よろしい。たいへんによろしいよ。そう簡単にわかられたんじゃ吾輩の立つ瀬がない。ついては注意点がひとつだけある」
「なんでしょう?」
「用意し、携帯する彫刻刀はくれぐれも丸彫り用のをね」
 少女はとても気持ち良さそうな笑い声をあげた。
「もうひとついいでしょうか?」
「いいよ」
「わたし、家族以外のひととごはんを食べたことがないんです」
「うん。学校ではどうしているのかね?」
「トイレに籠って食べてます」
「便所めしってやつか?」
「はい」
 かくして、少女のラバトリー・ランチからの脱却に至る物語が始まる。




     
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