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ハルキゴンチチ・デイズ外伝#1 横浜本牧シーメンス・クラブにおける「恋の終わりかた」

 

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 本牧埠頭の付根にある船員相手のバーレストラン、シーメンス・クラブの窓際のテーブルで、ひとつの恋が終わろうとしていた。恋が終わるに至る詳しい事情はわからない。恋が終わるにあたっては実にさまざまな出来事やら事情やら偶然やら必然やら風向きやらが介在し、そこには、他者には決してうかがい知ることのできない深い「闇」が広がっている。
 水道代が原因で終わった恋さえある。私の22歳のときの恋だ。大貫妙子の「さ行」の発音をめぐる議論から泡と消えた恋だってある。これも私だ。「欧米化問題」によって危機に瀕した恋もある。これは私と虹子だ。タカトシには厳重に抗議したいが、この件はまた別の機会に譲る。
 暗く湿った谷底を這うように進んだり、灼熱の砂漠を横切ったり、静寂が支配する深い森をさまよったり、色々だ。それでもなお、成就する恋もあれば、成就しない恋もある。シーメンス・クラブで終わろうとしていた恋は成就しないほうの恋である。

「じゃ、そういうことで。」とは言った。


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「じゃ、そういうことで。」とは答えた。


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 前の週の土曜の夜。はやはりシーメンス・クラブの窓際のテーブルにいた。
「エディットに身を捧げたいの」とはまっすぐにを見て言った。「いつものフランスかぶれか」とが思っていたら、彼女は本気だった。飯田橋のフランス語学校に通いだし、肉体改造を始めていた。3歳からつづけていたクラシック・バレエは芽が出ないうちに彼女は30歳になろうとしていた。所属するバレエ団からいつ肩をたたかれてもおかしくない状況に彼女が置かれていることは薄々感じていた。日々の暮らしの端々に彼女の焦りがにじんでいた。それはにしたところでおなじだった。
 なんのためらいもなく旅立とうとしている彼女がは憎かった。二人の未来より自分の夢を選んだ女。との二度目の冬だった。
 幸福な恋を妨げるのはいつも別のかたちの幸福だ。パリに向かう彼女を見送った翌日、雪が降った。粉雪だった。明け方から降りつづいていた雪が視界を奪う。
 白濁するスクリーンの向こう側で、エディット・ピアフがいっさいの装飾を排除してなお、それでも輝きを放つ凄絶なパフォーマンスを繰り広げていた。エディット・ピアフの歌う歌の一節一節が揺るぎなき意志の力によって完璧にコントロールされていた。取りつく島のない歌唱だった。その脇でもまた迷いなく歌っていた。まさしくピアフに身を捧げつくしているように見えた。
「やったな、。おまえは確かに夢を実現したんだ」とは思った。
 多くの人々に気持を削り取られながら、は思い出していた。の迷いのないところがおれは好きだったのだと。好きなあいだは好きでいつづければいい。好きでもないのに好きであろうとすることくらい不毛なことはない。いつか好きだったことを忘れたとしても、そして、そのことを悲しめなくなったとしても、なにひとつまちがってはいない。それが恋の終わりなのか、失恋の終わりなのか。どちらでもかまわないとは思う。
 いまでも横浜にはごくたまにしか粉雪は降らないが、にはそれでじゅうぶんだった。あの白いスクリーンに彼女の姿がプレイバックされるのはたまにでいい。

 このようにして、伝説のビリヤード台と伝説の歌姫の恋は終わった。恋は終わったが厄介ごとが待ちかまえていた。の子を宿していたからだ。結局、の子を産んだ。その子こそが私だ。




     
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