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ジュークの春#7 鳴神上人の登場

 

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 吾輩の窮地を救ってくれたのは團藤先生だった。国選弁護人を通じて吾輩の「緊急事態」を知った團藤先生が身柄引き受けのために駆けつけたのだ。
 團藤先生の登場は刑事どもを震え上がらせた。警察署長までもがお出ましになり、コメツキバッタよろしく32ビートで團藤先生に頭を下げつづけた。当然だ。相手は日本刑法学の大家、團藤重光なのだから。彼らが日頃、揉み手擦り手ですり寄っているキャリアの警察官僚や検察官たちが神、仏とも崇める存在。中には実際に團藤重光の弟子もいる。
 ザマミロ。
 吾輩は小声でつぶやいた。團藤先生のうす桃色の大きな耳がぴくりと動いた。途端に普段はホトケさまもかくやとでも言うべき温和な團藤先生の顔が一天にわかにかき曇り、阿修羅、鬼の形相となった。そして、誰憚ることなく大音声を発した。吾輩はそのとき、團藤重光に歌舞伎十八番のひとつ、『雷神不動北山桜』の四幕目『鳴神』、「雷神不動北山桜北山岩屋の場」に登場する鳴神上人をはっきりと見た。
 このたわけ者が!
 吾輩が知るかぎり、生涯にただ一度の團藤重光の大激怒、大憤怒、大雷鳴だった。見れば、團藤先生の眼に涙がいっぱい溜っている。以後、吾輩はやんちゃをしなくなった。「團藤先生を悲しませてはならない」と心に決めたからだ。ただし、半年だけ。半年後には元の木阿弥。悪童、悪党、悪漢ぶりはさらに輪をかけて悪事悪辣に邁進することとなる。以来、30年余。受けた御恩の百万分の一も返せぬうちに團藤先生は死んでしまった。大往生だったが千年も万年も生きていていただきたい人だった。團藤先生のような人物はもう二度と現れまい。

 刑事訴訟法が愛読書の筆頭だった。 
 法を学んでゆく過程では刑事訴訟法がもっとも性に合った。犯罪の端緒から判決に向けて一気に突き進む刑事訴訟法の単純明快さがよかった。手加減なし。容赦なし。刑事訴訟法には感情やら情念やらという厄介で面倒な要素が入り込む余地は一切ない。それが吾輩の性分にも合っていた。三島由紀夫がなにかのエッセイで同じことを書いていたこともあって、吾輩は刑事訴訟法を学ぶことに夢中になった。
 刑事訴訟法は条文を丸暗記した。主要な判例も押さえた。当時は「愛読書」を尋ねられると間髪置かずに「日本国刑事訴訟法」と答えたものだ。肝心の刑法は条文にカタカナが混じっている上に文語体でとっつきにくく、慣れるまでは常に違和感がつきまとった。團藤重光、我妻栄、平野龍一らが名を連ねる刑事法、民事法の学者に比べ、憲法は役者不足の感が否めなかった。宮沢俊義とその弟子の芦部信喜が我が代の春を謳歌する憲法は法律を学ぶというよりも哲学、思想を学ぶ感覚に近かった。頭のスウィッチを切り替えることが必要だった。
 憲法は刑法同様に条文が少ない。前文と11章全103条からなる。憲法は前文から各条文にいたるまでお粗末きわまりない文章と文体で、いかようにも解釈できる曖昧さに腹が立ちどおしであり、突っ込みどころ満載だった。「ノルム・ダー・ノルメン」「法の中の法」「国家の最高法規」がこんなことでいいのかと思った。
 端的に言うならば、法が国家を形づくっている。法は国家そのものであるとさえ言える。木っ端役人どもが法の立案・策定に躍起になるのは、いかに欺瞞と悪徳に彩られた「仕組み」であっても、法による裏付けさえあれば天下御免と押し通すことができるからだ。「天下り」も「税金の無駄遣い」も「公務員の身分保障」も「独立行政法人」も、法に抵触せず、法によって担保されることでまかり通っているのだと言える。木っ端役人どもにとってのメリット、甘い汁を吸うための仕組み作りは、それに合わせるかたちでいかようにも都合よく立法すればいいだけの話であると木っ端役人どもは考えている。ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言ったのは、周辺諸国との紛争をかかえながらギリシャ国家が存立を継続維持していくためには「法による支配」を不磨の定律として受け入れる必要があったからだ。そのことを受け入れない者はギリシャ市民たる資格さえないと考えたのだ。
「国会」が国権の最高機関であるとされるのは、国会が国家を形づくる「法」を生む機関だからだ。法なくして国家なく、国家であるためにはかならず法がなければならない。さらに言うならば、三権、すなわち、「立法」「司法」「行政」が分立し、各権力機関が互いに公正に抑制し合っていることが必要となる。この状態が「三権分立」である。近代以降の国家は「三権分立」の体裁が整っていることが絶対条件であり、もしも、これに瑕疵がある国家は近代国家としての条件を満たしていないと言わざるをえない。日本はどうか? まったく十分ではないと言うのが吾輩の考えだ。立法府である国会の国会議員たちは行政府の官僚どもの操り人形にすぎず、官僚はお手盛りで法を立案・策定し、その法に則って法を執行している。「霞が関文学」によって誕生する各法、政令、条令、規則その他はすべて官僚、木っ端役人に都合のいいように作られていると考えてよい。司法もおなじようなものだ。つまり、日本においては「三権分立」とは名ばかりで、実際には官僚による全体主義、「官僚ファシズム」が日本の姿であるというのが吾輩の考えである。

 吾輩は釈放後、警察署前からタクシーを飛ばして六本木に向った。FRIDAY'Sで一番でかいハンバーガーを5個いっきに平らげ、ピッチャーサイズのビールを3杯飲んだ。そのあと、Hard Rock CAFEに行き、しばし、ロックした。イーグルスの『HOTEL CALIFORNIA』が繰り返しかかった。
 吾輩の耳元で見知らぬハンバーガー野郎がしきりにつぶやきつづけていた。

 しょせん、みんなここの囚人なんだ。好きなときにチェック・アウトできるが、決して立ち去ることはできない。

 吾輩はうんざりしてHard Rock CAFEを出た。ふやけた道筋の外苑東通りをふやけたツラをさらしたやつらがふやけた足取りで歩いていた。SOUL BARの『George’s』の扉を押したのはオープン直後だった。
 ハンバーガー野郎はしつこく、しかも律儀に吾輩のあとを尾いてきていた。そして、吾輩が考えるとおりのことを言葉にして吾輩の耳元で囁いた。我慢の限界だった。
「おい、ハンバーガー野郎! とっとと失せやがれよ! おまえのバンズのにおいもピクルスのにおいも安物の牛肉のにおいももううんざりなんだよ!」
 吾輩が怒鳴ると、ハンバーガー野郎は瞬時にフィレオフィッシュ爺さんに姿を変え、『George’s』の厨房を抜けて出ていった。その後姿はすこしさびしそうだったが、どうせすぐに元のハンバーガー野郎に戻ってHard Rock CAFEかFRIDAY'Sでふやけた奴の耳元で歯の浮くような御託を並べるにちがいない。世界はそんなふうにできているんだ。望むと望むざるとにかかわらず。まったく馬鹿馬鹿しいにもほどがある。




     
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