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うつむきかげんのショータイム#004

 

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 曖昧な想像なんて めくるめく光の偶像
 大抵は君にも届かず終わるだろう
(L-S-D)

 世界は言葉でできている。言語化しないかぎり石ころひとつグリップできない。「木の上の軍隊」への兵站を確保することも不可能だ。そして、文体とは世界の息づかいである。「世界のリズム」「世界のビート」と言ってもいい。リズムが悪く、ビートの効いていない音楽がスカであるように、リズム、ビートに齟齬のある表現、すなわち文体がイカれている表現はどこにも行けず、届かず、なにものも喰い破れない。フィーユの一枚さえもだ。文体は世界を喰い破るための武器、ドスである。 (E-M-M)


「文体修行」としての広告文案。そして、稀代の言説者・鎌田東二。
 吾輩は片岡敏郎と秋山晶と糸井重里と中畑貴志を中心に広告文案家のテクストを鬼となって読み、分析し、解読した。字数、句読点の打ちどころ、オチ。彼らの広告文案は「文体修行道場」のひとつだった。誠文堂新光社から出ていた「全作品」シリーズは全巻揃えるほどの入れ込みようだった。
 また、いまやポンコツボンクラヘッポコスカタンに成り下がってしまったが、糸井の「不思議大好き」「おいしい生活」のA4版数百ページにもおよぶ企画書を手に入れて、すり切れるほど読んだ。その企画書は一時期の吾輩の愛読書でさえあった。
 そうしているうちに彼らの「息づかい」までもがくっきりとわかるようになった。「ああ、ここで一服したな」とか「ここは書き直したな」ということまでも。1980年代末の銀座線、半蔵門線、千代田線、東横線の広告はすべて記憶した。それは「文体修行」のみならず、グラフィック・デザイン、エディトリアル・デザイン、ブック・デザイン、フォント・デザインを中心とするデザイン全般、ヴィジュアル、アート全般の「みる目」を養うのにも役立った。ことグラフィック・デザイン、エディトリアル・デザイン、ブック・デザインに関して言うならば、吾輩はいまでも一流の目利きであるとの自負がある。
 戸田ツトムがブック・デザインした書物は高価だったがすべて手に入れた。戸田ツトムのエディトリアル・デザインとブック・デザインに「文体」を読み取れるようになった時期とおなじくして、吾輩の「泡の時代」の端緒となる「大きな仕事」の話が舞い込んだ。そして、吾輩は修羅となった。「発狂」した。広場で孤独を感じるどころか気分は昂揚し、広場の中心で打擲される馬をみて憐れみを感じて叫び声をあげるかわりに、「馬刺にして喰ったらうめえかな?」と考えるような狂人ぶりだった。大好きなニーチェに顔向けもできやしねえ時期だな。
 戸田ツトムをめぐる過程で鎌田東二を知った。NTT出版から出ていた書物のほとんどは戸田ツトムがエディトリアル・デザインをしていて、鎌田東二の書物はそのうちの一冊だった。
 言説者、言語表現者として鎌田東二はすごいぜ。ここ200年のスケールでも筆頭の部類に入ると言っていい。鎌田東二は「言霊」の極意に迫り、そして体得した数少ない言説者、言語表現者だ。国学院出身で東大閥、京大閥に属さないために学者としての正当な評価はえられていないが、やってきた仕事、現在やっている仕事の質は途轍もない。時代の遥か先を血煙を上げながら突っ走っている。そして、鎌田東二のフンドシROCKは珠玉だ。神道、日本思想がメインのフィールドだがおもいっきりロックしている。ロックしまくっている。大酒飲み時代、修羅の時代を経験しているというのも評価ポイントである。


 いたち野郎の迷走行 ガジン 2013-05-05 22:02
 コメ入れるぜ。
 あんたが「文体」を鍛え上げてきた過程はなんとなくわかった。ネットが戦場だったわけだな。だが、言葉とセンスを武器にネットで戦えば誰でも「文体」を手に入れられるわけではなかろう。インテリジェンスという素地が要る。教養という下地が要る。反射神経の良さも必須の条件だろう。
 オレが今考えているのは、90年代時点でのあんたをモデルにしたニナガワという男が重要人物として登場する自分の作品のことだ。オレはニナガワをインテリジェント・モンスターとして描いた(描いている、まだ道半ばだ)。だが、あんたの思想と言語感覚の跳躍を目にし、跳躍の過程に関する語りを聞いた今、オレはニナガワのインテリジェンスを低く見積もりすぎているのではないかという不安を覚えている。
 作品は、オレが過去を振り捨てるための通過儀礼としてどうしても書かれなければならないものだった。そして、そこにはどうしてもニナガワに登場してもらわなければならなかった。オレはこれを90年代デカダンス期(とあえて言おう)にあったオレたち、相応に愚かであったオレたちのメモワールとして改変を加えずに進めるべきなのか。それとも、現在のあんたをメルクマールとして新たなニナガワを造形すべきなのか。非常に迷っている。
 だが、現在のあんたはあんた自身が書けばいいことで、何もオレが伝記作者の役割を務めることはないだろう。それに、「あのとき」のオレに強い影響を与えたのは、あくまでも「あのとき」のあんたである。難しい。長くなりそうなので、一旦、送る。


 インターリュード/インテリジェント・モンスター 自由放埒軒 2013-05-05 22:35
 インテリジェント・モンスター。いい言葉だ。かつて、おなじことを高畑勲も言った。
「きみはインテリジェント・モンスターだな。たいがいの野獣と怪物にはお目にかかってきたが、きみはそれらとはちょっとちがう。わたしが見てきた野獣や怪物たちはうまく調教すれば社会に放つことができたが、きみは調教師を食い殺すだろう。きみにとってそれは大きな不幸であり、社会にとっては大きな損失だ」
 高畑勲があと10歳若かったら吾輩の人生もまた別の様相、ちがった色づきを呈していたかもしれないと思うこともあるが、死んだ子の齢を数えてもしかたあるまいな。


 承前 ガジン 2013-05-05 22:37
 いろいろ書こうと思ったが疲れたのでもうやめる。とにかく、あんたはモデルなんだから、あんたが「書くな」というならオレは作品を破棄する。なんか、考えるの疲れた。


 友よ、静かに眠れ。 自由放埒軒 2013-05-05 22:41
 友よ、静かに眠れ。ただし、悪夢満載で。


 悪夢は獏にでも食ってもらうさ。 ガジン 2013-05-05 22:50
 気を取り直して続けてみよう。
 たとえば恐ろしく馬力の高いスポーツカーが制限速度40キロの道しか走れないとしたらそれは不幸なことだろう。オレのニナガワは、そういう男だ。あまりに過剰なエネルギーを有するがゆえに、「生きていることそのもの」が苦痛になってしまっている男だ。90年代のあんたを、オレはそう見ていた。たぶん、こいつ、死にたいんだろうなと思っていた。そんなあんたに、オレは自分のポジを見ていた。あんたがポジで、オレがネガだ。なぜなら、あの頃、オレもまた死にたかったからだ。


 あの頃、「意識」を失いたかった。 自由放埒軒 2013-05-05 23:08
 あの頃、というよりも生まれてからずっと、世界はスロモーション映像のように緩慢に動いて見えていた。人間も。太陽も月も。天体の運行も。雲の流れも。時のうつろいも。いまもだ。吾輩にとってはなにもかもがウスノロだ。遅い。「だらだらトロトロしてんじゃねえ!」と苛立っている。この感覚を理解できるのは死んだアイルトン・セナくらいのものだろうな。常人の1秒は吾輩にとっては100秒に感じる。
 世界がウスノロなことに苛立つのはとても疲れる。だから、吾輩は「意識」を失いたかった。ひたすら眠りたかった。しかし、眠りは訪れない。そうなると、「意識」を失うために吾輩ができることは酒かドラッグだった。しかし、酒を浴びるほど飲んでも、ドーズしても、吾輩の意識は冴え冴えとしていた。
「死」も意識を失うための選択肢のひとつだった。なぜ選択しなかったんだろうな。わからん。


 承前 ガジン 2013-05-05 23:13
 ニナガワは、天使であるその妻ミレイをアダチに提供する。ソシアリズムという名の、歓待の掟である。そして、アダチに彼の女であるアスカを差出すように要求する。決して、強要的にではなく。すべてはニナガワの計算である。彼は、アダチを追い詰め、自らを殺害させるように仕向ける。だが、アダチはニナガワを殺害したことを錯乱の中で忘却し、白神山地の山中でミル・プラトーを経験した後、精神病院に収容される。そして、パソコンという嘆きの壁にひたすら物語を書き続ける。物語はインテリジェント・モンスターを蘇生させる。仮面の狂女=ミレイの導きで、夜の動物園でアダチはニナガワと再会する。ニナガワはアダチの真の欲望を知っている。彼は一発の銃弾でアダチに死をプレゼントする。ポジとネガがメビウス状につながる。そして、いたち野郎はエクソダスを果たす。彼は、世界という物語を語りだすだろう。
 だいたい、そんな感じ。1990年代の物語、さ。


 インターネットという名の「嘆きの壁」 自由放埒軒 2013-05-05 23:24
 吾輩にとってインターネットは「嘆きの壁」でもある。ただし、吾輩は嘆きを怒りで外装して壁に「言葉」を記す。いや、記すのではない。叩きつける。吾輩にとって「嘆きの壁」はサンドバッグだ。何発でも何万発でも何百万発でもパンチを叩き込む。都合のいいことに、インターネットという「嘆きの壁」はタフだ。24時間365日、休みなくスパーリング・パートナーを努めてくれる。壊れない。音をあげない。泣かない。「まいった」を言わない。
 吾輩は強いものが好きだ。壊れないもの。音をあげないもの。泣かないもの。「まいった」を言わないもの。吾輩にとってインターネットはうってつけのサンドバッグ、スパーリング・パートナーだ。


 これもまた嘆きの壁か ガジン 2013-05-05 23:38
 率直な感想を言えば、あんたは変わっていない。しかし、同時に、大きく変わったと思う。
 そうか、今でも世界はスローモーションなのか。たとえばそれこそ意識をなくすまで泥酔し、ギランバレーなどという厄介な病を抱え込んでしまっても、それでもなお酒を飲み続け、また、浅草のギャングたちをつぎつぎに屈服させていき、オレはその蕩尽っぷりにあきれ果て、ついにはついていけなくなったわけだが、あんたの抱えている不幸だけはわかっていたつもりだ。あんたと決別した後、オレは激しい自責の念に襲われた。あの後、あんたは一時的にブログを閉鎖し、行方不明になった。不遜を承知でいえば、オレはあんたを見捨ててしまったと思い、さまざまな妄想にかられだし、ついには自分があんたを自殺に追い込んだと思い込むまでになった。その手の妄想は案外、キツいものなので、オレは再びドラッグに逃げた。そんで、精神病院行という顛末さ。まあ、昔の話だが。その体験が、今書いている物語の基になっているわけだ。
 だが、オレはあんたの変化の部分に注目している。このブログで再会を果たして以降のやり取りの中で、オレははっきりとそれを感じ取っている。だから、物語を続けるべきかどうか迷っている、そういうこと。


 なににしても「円環」は閉じられなければならない。 自由放埒軒 2013-05-05 23:57
 その「物語」はガジン自身の物語でもあるわけだから、吾輩がどのような変貌、変容、変節、変態をきたしたとしても、「ガジンの物語」として着地し、円環を閉じなければならない。円環を閉じられるのはこの世界に当事者であるガジンだけである。紡ぎ、書き継ぐうちにいかようにも「旅の姿」「様相」は変化していくだろう。それでいい。

 1990年代末以降、インターネットという名の「嘆きの壁」によって吾輩は深く大きな「切断」と再生を経験した。だが、いかなる変貌と変容、変態と変節をきたしていたとしても、そこにはなにかしらの連続性を見いだすことは可能だろう。『スカンク・ボブのエクソダス』を書くことは、その「連続性」の謎、変貌、変容、変態、変節の意味を読み解く作業だと思えばいい。醜い幼虫から頑なさなぎを経て美しい成蝶へと成長する過程、メタモルフォーゼは永遠に一級の物語だ。『ギルガメッシュ神話』も『オデュッセイア』も『ヤマトタケル』も『アーサー王伝説』も、すべて「変貌と変容と変態と変節の物語」であるとも言いうる。「変わること」「動きつづけること」のない物語などにはひとかけらの価値もない。吾輩にできることについての協力は惜しまない。
 ただし、吾輩をグリップしようと思うなら、まず自分自身をグリップすることから始めるべきだろう。精緻明瞭明晰な自己認識のない者が吾輩をグリップしようとしても吾輩に食い殺されるだけだ。それは互いの不幸である。それと、ぽつぽつと誤字があるぜ。いかんいかん。誤字脱字、「てにをは」の用法の誤り、文法上の誤謬は万死にあたいする。たとえ、数行のコメントであってもだ。140文字のTwitterでもおなじである。
 吾輩のテクストを読んでいて気づくと思うが、吾輩のテクストにはほとんど誤字脱字、句読点の打ちまちがい、打ちそびれ、てにをはを中心とする助詞の用法の誤り、文法的な誤謬がない。なぜか? 書きあげたのちに徹底的に完膚なきまでにコミットメントし、誤りを修正訂正しているからである。その「作業」のときに併せて夾雑物を削ぎ落とし、より美しく、より凄味が効いていて、より強く、より精緻かつ明晰な表現となるように改める。これを何度でも繰り返す。これら一連の「作業」は、テキスト・エディタ上では微妙なニュアンスがわからないのでブログにアップした段階で本格的に行う。ブログの第一稿より最新のもののほうがより完成度は高くなっている。その分、勢い、鮮度は落ちるがこれはいたしかたない。喪失と成熟は常に表裏一体のものである。
 徹底して「誤字脱字」「てにをはの誤り」「文法上の誤謬」を排除すること。「誤字脱字」「てにをはの誤り」「文法上の誤謬」は恥である。これを放置したままにする者は恥知らずであると看做していい。たいていの場合、恥知らずは「誤字脱字」「てにをはの誤り」「文法上の誤謬」を犯してもどこ吹く風といった風情でいやがる。不届き千万だ。「誤字脱字」「てにをはの誤り」「文法上の誤謬」を徹底的に排除する過程でテクスト、言語表現は研ぎ澄まされてくる。これは「反復継続」によってさらに精度と速度が上がる。徹底した校正、編集ののちに、テクストどもは吾輩の手を離れて虚空へと羽ばたいていく。


 要再考、だな ガジン 2013-05-06 00:19
 それだよ、それ。あんたに食い殺されるってやつ。
 前にも書いたけど、オレはあんたに勝てるなどと思ったことは一度もない。このブログでやり取りを再開してからも、オレはあんたのエネルギーに飲み込まれそうになっている。すでにして。
 それでは、また同じことになってしまう。オレが逃げるか、あんたがオレを捨てるか、さ。オレももう、50を超えた。また精神病院行なんてまっぴらごめんだ。オレにはオレの道がある。細くて頼りないこと、この上ないけど。
 たぶん、オレはまだ、自分をグリップしきれていない。しばし、考えなければならない。物語を続けるかどうかは、それからだな。
 まあ、あんたには勝って欲しいと思ってるよ。ネットに叩きこんだ言葉で、腐れた出版業界をKOして欲しい。あんたの高笑いが響く日を、期待して待っている。


「宇宙尻取り」をつづけるんだ、ガジン! 自由放埒軒 2013-05-06 03:27
スナフキン死亡 ⇒


寝起きだぜまったくもう ガジン 2013-05-06 10:22
うんこ状星雲渦巻く希望の国にエクソダスはなく起死回生の海星顧みて西部戦線異状なし⇒しりあがり寿が尻拭き忘れて異臭漂う異空間にきのこ頭の集うロックフェス⇒スポイルされたコーゾーの涙⇒ダミアン彷徨う六月の海に受胎された神の子を抱きかかえてああ苦しみのマリア様⇒マサチューセッツ工科大学で銃乱射事件勃発⇒妻夫木聡はいい奴だと聞くが爽やかすぎて気に入らねえ⇒え?私も笑うんですって?⇒テンダーロインステーキぱくつく野獣の背中から血煙上がり一億の窓は疾走する⇒ルー大柴の復活劇に涙した大鶴義理丹に「お風呂で抱いて」と言われたらとても嫌だ⇒


自由放埒軒 2013-05-06 10:32
⇒ 「だって埼玉だもん。抱けないよ」とダイダラボッチが言うのをダイナマイト片手に聞いていた大八車の團伊玖磨 ⇒ 「麻呂はまれびとなれども迷える羊」とマルシアが言うのを下で聞いていた大鶴義丹のZ日ぶりについて一家言持つマイルス帝が「それがどうした八百屋の五郎」とハイノートをヒットエンドラン ⇒ ランボルギーニの辣腕ぶりに舌を巻いたラスコーリニコフを尻目にラッツ&スターの鈴木が言うには「田代砲にはもうコリゴリだ。おれはゴリラなんかじゃない。一人もコリゴリラだ」とシャネルのを半笑いを浮かべて眺めていたココ・シャネル ⇒ 「ルー大柴さんが関東学院時代に当時中学生のセガさんにぶっちめられたのはココですか」と再び登場のココ・シャネルがハレクリシュナのオレンジ服をデザインしたのは晴れたパリの空の下のリュ・カンボン通りだが通りを挟んで向かいはオテル・ド・リッツの裏口 ⇒


ガジン 2013-05-06 11:19
千原ジュニアは大口開けて手を叩く以外に能がないと喝破したケンドー・コバヤシは芸無しの廉で障害者手帳を交付された⇒タイタン所属の若手芸人演じるオナニー・ショーを肴に夜ごと酒を飲む大田光代⇒ヨルダン川のほとりで曳光弾放たれ閃光映す川面に身を投げたのはサティではなくジュディ⇒胃潰瘍がかいいよう⇒生みの苦しみにのたうちまわる絲山秋子のブスな背中の人面瘡は福島瑞穂に瓜二つ⇒つりがね草匂う朝に目覚めた殺人者が路上に彷徨い出て歌うアリアに涙する神聖喜劇のブリキの兵隊⇒インディラ・ガンジーの手の中で扼殺された真夜中の子供たちは天へのきざはしを投げ捨て砂地に埋められた棺を探す⇒


自由放埒軒 2013-05-06 11:41
す ⇒ スースロフにイデオロギー・ラヴしたスンニ派のスンドゥブ導師は何を隠そうスマタ好き ⇒ 金魂巻のキモは煮ても焼いても茹でても蒸しても喰えぬ気持ちわるさ ⇒ サンディカリズムのさんざっぱらな惨状についてこれみよがしの作法で作文するサルトルのロンドンとパリに引き裂かれたサルマタ ⇒ ターメリックとウコンのちがいもわからないようなカレー市民の民度について癇癪玉を噛みながら可視光線に蟹股固めをかけるカール・ゴッチ ⇒ チュートリアルの徳井の得意技はチンチンカモカモであることを知るのは汁好きのチトー大統領 ⇒ 牛にひかれて善光寺参りするはずが閃光が痔に効くとヒサヤ大黒堂の第四十二代当主である久石譲に言いくるめられて大股開きの風を読む少女の本当の名はギンザナウ鹿 ⇒ 鹿がそっぽを向いているから無視することを「シカト」というらしいが本当は「渡嘉敷が死んでもみんな知らんぷり」の略 ⇒




     
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    [C93] しばらくレスできない

    あんたと再会し、テンションの高いやり取りをして、一気に具合が悪くなってしまった。
    言うつもりはなかったが、実はオレは今、精神障害1級の五体不満足者だ。
    しばらく安静にする。
    ここも見ないことにする。

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