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不条理ゆえに吾信ず#3「不条理なトライアングル」をめぐるいくつかの問題

 

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 不思議というよりも驚異驚愕驚嘆、驚くべきことが起こった。1970年11月25日の明け方に見た夢の映像と完全に一致する映像作品を発見したのだ。まずは下記を御覧いただきたい。

 不条理なトライアングル / アラカワ・ヒロシの重なる記憶

 忘れもしない。1970年11月25日。この日は三島由紀夫ほか楯の会の構成員が自衛隊市ヶ谷駐屯地で「東京事変」を起こした日だ。三島の「三」。三角。トライアングル。東京事変勃発の直前、靖国神社の拝殿へとつづく石畳ですれちがった三島由紀夫から噴き出していた青白い炎の「青」    。この事態、事象を「偶然の一致」で片づけてよいのか? そこにはなにかしらの「意志のちから」が働いているのではないのか?

 1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室。三島由紀夫(平岡公威)、森田必勝ほか「楯の会」構成員による「東京事変」勃発。テラスから「檄」を飛ばす三島由紀夫をだらけきった姿で見上げる自衛官。飛び交う怒号と下衆な野次。

 吾輩はこの日、一報を知るや、ランドセルを教室に放り投げ、市ヶ谷駅まで地下鉄を乗り継ぎ、そこから靖国通りをひた走りに走って市ヶ谷駐屯地前にたどり着いた。途中、赤信号を突破しようとした市ヶ谷本村町の交差点で都バスに轢かれそうになったがぎりぎりで回避し、「ばかやろう!」の定番捨て台詞をくれてやるというおまけつきである。もちろん、「現場」に立ち入ることはできず、外から「三島死ぬな、三島死ぬな」とつぶやきながら、現場の修羅を想像した。「三島死ぬな」と思いつつも、死ぬことはわかっていた。三島が『豊饒の海』を書きはじめた時点でそんなことはわかりきっていた。わからぬほうがおかしい。だが、どうしても、なんとしても、三島由紀夫には死んでほしくなかった。生きて、吾輩の思いを代弁するがごとき「物語」を書いてもらいたかった。

「東京事変」を遡ること1年半。1969年5月13日。文武両道軒・三島由紀夫は東京大学教養学部900番教室で東京大学全学共闘会議、いわゆる全共闘の若造青二才どもと対峙していた。五月祭の呼び物イヴェントに三島由紀夫がやってきたのだった。「近代ゴリラ」と記された三島由紀夫のパロディ立て看板を指差し、苦笑する三島。
 会場入口前の立て看板をみる三島由紀夫の顔には、その日の対論が戦いにはならないことへのあきらめの表情が浮かんでいる。「諸君がひと言、天皇と言ってくれたら、わたしはきみたちと共闘する」と三島由紀夫は誘い水をかけたが、東大全共闘のへっぽこボンクラどもはへらへらと半笑いを浮かべるのが精一杯だった。なかでもとりわけて不愉快なやつが、学生結婚し、子供がいることをひけらかすべく赤ん坊を抱いて参加し、無礼無作法にも「おれ、つまんねえから帰るわ」とほざき、途中で戦線離脱した「学生C」、つまりは現在、うさん臭く鼻持ちならないことこのうえもない前衛劇団を主催してふんぞり返っているゴミアクタマサヒコである。このたぐいの輩の遺伝子が現在の2ちゃんねるあたりに象徴される「下衆外道臆病姑息小児病」を生んだと断言しておく。
 東大全共闘の小僧っこ猿どもが近代ゴリラに必死で「楯突こう」とする姿は滑稽でさえあるが、勝負は近代ゴリラに軍配である。相手は醜の御楯として出立たんとする者だ。志なき小僧っこ猿どもの鈍ら刀など鼻から刃が立つはずもない。

 三島由紀夫 VS 東大全共闘
 エクリチュールの巨人 VS エゴイズムの群れ
 覚悟性 VS 逃走性乃至は放棄性
 近代ゴリラ VS 小猿集団
 憎悪する母性 VS キャラメル・ママ


 この討論をこのようにとらえ、さらに勝ち/負けという単純な二項対立図式で読み解くのも一興で、あきらかに「志」のちがいがディベートの中身に出ている。日本国語とも思えぬ未消化の言葉、「砂漠のような観念語」を吐き出す小僧っこ猿どもと、少なくとも「痛みとしての文化」を含めた、たおやめぶり/ますらおぶりの言葉の森を渉猟してきた者との戦いは戦闘がはじまる前から勝敗はわかりきっている。というよりも、そもそも小僧っこ猿どもは土俵にのぼることすらできていないのだ。たとえそれが「時代錯誤」「勘ちがい」「情死」と下衆外道どもに評されたとしても、三島由紀夫の「行動」はふやけた日本社会に衝撃を与えた。高橋和己をして、「しおからを覆して哭く」と言わしめた「市ヶ谷の自裁」は40年以上を経過したいまも、たとえ市ヶ谷駐屯地が現代建築の粋を凝らした防衛省に変貌を遂げたとしても、その衝撃の意味を失わないし、色あせない。そのことに気づかぬボンクラ、ヘッポコは深く反省せねばなるまい。(と、煽っておく。)

 三島由紀夫は四部作『豊饒の海』を書き終えてのち、楯の会会員とともに市ヶ谷に向かったわけだが、吾輩は直前に靖国神社に詣でる彼らと拝殿へとつづく石畳ですれちがっている。こども心にも圧倒的ななにごとかを嗅ぎとり、特に三島由紀夫本人から蒼白い炎のようなものがゆらゆらと噴き出していたのをおぼえている。そのことを同行の母親に言ってもまともに相手にはされなかった。あのとき、三島から噴き出ていた「蒼白い炎のようなもの」の意味をこそいつの日か解読したいものだ。
 ところで、夏の日盛りを浴びてしんとしていた「豊饒の庭」はいま、どのような時間、どのような記憶をたたえているのだろう。縁があれば飯沼勲君あたりに案内してもらいたいと思う。 

 飯沼勲よ。君はいま、どの滝で水垢離をしているのだ? 幽き群青の虚空に浮かぶ漆黒に彩られし不条理な三角形をみてでもいるのか?


 不条理ゆえに吾信ず。




     
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