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メメント・モリ! 死を思え。「死」もまた「生」の一部なのだ。

 

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 懇意にしていただいているSさんの奥さまが亡くなった。三年におよぶ癌との闘いを経て。葬儀は玉川上水を見下ろすマンションの一室でひっそりと行われた。近しい人だけが集まり、亡くなった奥さまを偲んだ。それは葬儀というよりも「お別れ会」といったような慈しみにあふれた集まりだった。ひとかけらの宗教色もなく、透明感にみちていた。
 亡骸の枕元には奥さまが好きだったというかすみ草がひと抱え飾られ、タンノイのスピーカーからはボロディン・カルテット演奏の『アンダンテ・カンターヴィレ』とカラヤン指揮ベルリン・フィルのG. マーラ交響曲五番第四楽章『アダージェット』が小さな音量で繰り返し流れつづけた。かすみ草の白さがひどく目にしみた。
 最後の別れのときである。Sさんは奥さまに何度も何度も頬ずりし、顔を抱きかかえて言った。

ありがとうございました

 顔を上げたSさんは実に晴々とした表情をしていた。和やかと言ってもよい雰囲気が一変した。いっせいに嗚咽が漏れはじめたのだ。吾輩もこみあげるものがあったが我慢した。Sさんの奥さまへの「ありがとうございました」という言葉と晴れやかな表情の意味を知りたかったからだ。

 火葬場から帰ってからのことである。
「悲しくて悲しくて、心が散り散りになってしまうはずなのに、心の中はとても穏やかなんだ。思わず笑みがこみあげてきちゃうんだよ」
 Sさんはひと気のうせた居間にぽつんと座り、そう言った。奥さまの御遺影はかなしいくらいにやさしくやわらかな笑顔だった。涙がこみあげてくる。
 Sさんの奥さまは三度目の癌再発の宣告を受けてのち、病院での治療をいっさい受けなかった。「尊厳のある死」を迎えることをみずから選び取ったのだ。
 遠い日、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読んだときのことを思いだす。「尊厳死」とはなにか。「尊厳死」を安楽死をも含めた広義の意味にとることもできるし、法律の枠内でなされる医療行為のみが尊厳死であるということも可能だ。また、「尊厳死」は「Quality of Life をともなった死」でなければならないとも言われる。
 死を生と切り離して考えるのではなく、「生の延長線上にある出来事」として、そのプロセスも尊重するべきだというのだ。思えば、「死」の捉えかたは実にさまざまな変遷の道をたどってきた。
 フィリップ・アリエスは「死の歴史」を次のような5つのモデルであらわした。 

 1. 飼い馴らされた死 
 2. 自分自身の死 
 3. 遠くて近い死 
 4. 美化された死 
 5. 死のタブー化


 人々が死に慣れ親しむ場は少なくなり、医学的処置の対象としか見られなくなっていった過程をこのモデルはあらわしている。日常の「ありふれた出来事」にすぎなかった死は、いまやそれについて語ること、その準備教育をすることすらタブー視されている。「人は死に直面しても死を受容せず、それに逆らう義務がある」また、「まわりの人々は1秒でも長く生き続けさせるのが義務である」という了解ができあがっているかにみえる。
 吾輩はこれに強い異和を感じる。「尊厳死」とは死ぬまでの生を尊厳をもって生きたことの締めくくり、総仕上げであるべきだ。しかし、「死にかた」のみが尊厳をもっていればよいという考えはいまだ根強い。
 痛みをやわらげるための医療技術はめざましい進歩をとげ、末期患者の95パーセントは痛みから解放されたと言われる。しかし、その一方で、精神的苦痛を理由に安楽死を望む多くの末期患者たちがいる。
 エリザベス・キューブラー・ロスは「安楽死についてどう思うか」という問いに対して、「患者が安楽死を望むとしたら、それは周囲のケアが足りないからである」と答えた。(山崎章朗著『僕が医者としてできること』)

 われわれは一刻一秒、死に近づいている。いま、この瞬間にも否応なく「死ぬ瞬間」に向けてわれわれは突き進んでいる。生のありようはそれぞれにちがっても死は例外なく平等に訪れる。なんぴともこの事態から逃れることはできない。であればこそ、自分の死にざま、すなわち生きざまは自分で決めなければならないとも言える。「臨終」を生と切り離された「瞬間としての死」ではなく、「生の延長線上にある出来事」としてとらえなおす新しい「生の哲学」の誕生をまちたい。

「間近に迫った自分の死を知っていながら、それでもなお、彼女はおだやかに微笑んでいた。彼女から生きることの喜びの本質を学んだように思う」
 Sさんはそう言って、奥さまの収まった真っ白な陶磁器をそっと撫でた。

 メメント・モリ。死を思え。臨終はこの現在只今にあり。「死」はいま、この瞬間、ここに、ある。「死」もまた「生」の一部なのだ。




     
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