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星影のカステラ#1

 
Castella by Starlight01_800PX
 
 吾輩のような都会育ちの囚人にとって、完全と言えばあれほど完全な夜はなかった。

「4日後、レトロスペクティヴ・グレープフルーツ・ムーンがやってきますわよ」と文体エクササイズ中の家政婦のレーモン・クノー気取りの虹子が突然言った。虹子の巨大化した右耳からは『野獣のノクチュルヌ』が絶妙の音量で聴こえてくる。
「うん。いまから待ち遠しいね。思考と象徴の狭間望遠鏡の手入れをしとかないとな。ワイルド・サイドの調整レバの焼き加減がいまいちなんだ」とミュンヒハウゼン男爵気取りの吾輩は答えた。
「はぁ? あなた、鼻持ちですか? あたくしが言ってるのは奥村土牛のレバ塩焼きのことではなくってよ。カステラのことですわよ」
「はぁ? おまえ、前科持ちですか? レトロスペクティヴ・グレープフルーツ・ムーンなんてカスティーリャ、初耳だぞ」
「あら、あなた、お気取りさんですことね。カステラをカスティーリャだなんて。おほほほほほほ」
「それより、おまえさあ、なんで満月のレトロスペクティヴ・グレープフルーツ・ムーンがカスティーリャになっちゃうわけ?」
「あら、それは言ったもんマドレーヌ勝ちなのではないかしら?」

 そして、虹子はなんでもかんでもに「マドレーヌ」をつけはじめた。虹子が賞味期限の切れたコージーコーナーのマドレーヌを食べ、「マドレーヌ現象症候群」に蝕まれていることを知るのは次の満月の夜だった。ナースの茄子玉子杏子と婚外性交真っ盛りであるドクター野本の深夜の往診まであと2時間。

 吾輩と虹子はサン・ラザール駅にほど近いル・バタクラーンの「ティモテル・オペラ・マドレーヌ(Timhotel Opera Madeleine)」という安宿にひと冬をすごしたことがある。その冬は100年ぶりの大寒波がヨーロッパ全土を覆っていて、おまけに、これ見よがしに青い仮面をつけたルー・リード・ラヴィノビッツがオルタナティブ・ヒューミントなパンク・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド世界の王、アノニマス・レボリューションの先駆けたらんとして『魔法と喪失』にマカロン・パリジャンのレイヴン味を初回盤限定の特典付録がわりにつけて叩き売り、どさ回りに血道を上げている頃だった。
 大寒波とポンコツ・ミッテランの石部金吉ぶりの影響で、ヨーロッパ中が煉獄のような恍惚に彩られた「ルルの日々」に明け暮れていた。パリの街の裏びれた通りのあちこちで「足手まといの脚なしフットルース・ドレラ・レギンス」がジャンプ・ダンピング・クィック・ターンを随所に織り交ぜた「死の舞踏」を披露してAVEXのマツウラ・M・上大岡の脳みそくらい軽いプロレタリアートどもの財布からなけなしの小銭をまきあげるのを焼き栗売りと並び、新しいパリ名物としてひと山当てようと目論むフィガロが毎号特集を組んでは炎上マーケティングに精を出していた。まったく馬鹿げた日々があったものだ。子守唄がわりに『Metal Machine Music』を聴かされつづけた赤ん坊どもはいまや家鴨に毛の生えたようなニヒリストとして無限大の幻覚をみる日々を生きている。彼らをみれば「世界の終り」がやってくるのはまちがいないことがわかる。いや、もうすでに「世界の終り」の第一幕は終わり、第二幕が始まっている。救いはソニー・ロリンズ・ベイビー島の人々が青と黒のクセノフォンの巨人の夢を見つづけていることだ。伝説のハートの持ち主、サキソフォン・コロッサスの夢はまだ終わっていない。
 あれ? なぜ吾輩はこんな話をしているんだ? まさか! そのとおり、吾輩もマドレーヌ現象症候群に罹患していたのである。
 星影のカステラを吐くほど食べたい。3/4だけでもいい。若い勝利者の実家である「呪詛の家」特製の星影のカステラを。だが、ことはそう簡単ではないことを知るにはあと42デュラス・ラ・マンのマドレーヌを食べなければならなかった。日東の紙くさく嘘くさいティー・バッグではなく、自由が丘ルピシアの『DARJEELING GRAND CRU』でいれた2000トンの紅茶とともに。




     
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