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『4分33秒』の厄介ごと

 
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 冬ごとに指先が凍りつき、ぽろりととれてしまう女の子はなぜグレン・グールドとヨー・ヨーマを聴きつづけるのか?

「木枯らしが吹きはじめて本格的な冬がやってくると、わたしの指先は凍りついてしまうの。毎年のことよ。そして、その冬一番の寒さを記録した朝、わたしの指先はぽろりととれてしまうのよ。痛くも痒くもないけど不便は不便ね。春になればまた新しい指先が生えてくるから、冬のあいだ、ちょっとがまんすればいい。だから、あなたに同情なんかこれっぽっちもしてほしくない」

 女の子は少し眉をしかめてから、熟練の外科医が手術を手がけたようにきれいな「指先のない指」を広げてみせた。私は指先のない彼女の手をみても、これっぽっちも同情などしなかった。指先がないくらいのことは、いまどきセブン-イレブンでだって手に入る。だが、もちろん、私はそれを彼女には言わなかった。厄介ごとに巻き込まれるのはもうこりごりだったのだ。ジョン・ケージの『4分33秒』のような厄介ごとには。もう、さんざん厄介ごとやもめごとに巻き込まれてきたんだ。これからはただ静かに生きることができればいい。

「でもね、とれた朝、しばらくはだいじょうぶなんだけど、夜になるとしくしく痛みだすの。だから、わたしはヨー・ヨーマとグレン・グールドを聴きつづけているのよ。わかった?」
「うん。すごくよくわかったよ」

 私は少しもわかっていなかったが、わかったふりをした。そうしないと、彼女はすごく怒るのだ。初対面のときから変わらない。なにしろ、彼女の第一声は「あなた、わたしが誰だか、本当にわかってるの?」で、私が「わかりません」と答えると、「あなたって最低なひとね!」と吐き捨てて、くるりと向きをかえ、早足で歩きはじめたのだ。なんとか彼女に追いつき、なだめるまでに、私は正確に17人のひととぶつかり、そのたびにあやまりつづけた。休日の原宿ラフォーレ前で会う約束をしたことを私は心の底から後悔した。いや、そもそも、私は彼女と会うべきではなかったのだ。頭の真ん中が痺れていくのを感じたとき、彼女のとげとげしい声がした。

「なにがわかったの? 言ってごらんなさいよ」
「きみは冬がくるたびに指先がとれちゃって、それはその冬一番の寒い朝で、痛みは初めのうちはなくて、夜になると痛くなって、痛みをやわらげるためにヨー・ヨーマとグレン・グールドを聴きつづけている。そうだよね?」
「なにが、そうだよね、よ。じゃ、わたしはグレン・グールドのどの演奏を聴いているか、言ってみてよ。ヨー・ヨーマもよ」

 もちろん、私はわからなかった。グレン・グールドがポジションにやたらうるさくて、演奏のとき、椅子に虎の皮を一枚敷いたというエピソードは知っているが、それは彼女に教えてもらったのだ。

「いいこと? これだけはおぼえておいて。わたしはあなたの不誠実なところが大きらいなのよ。それと、ヨー・ヨーマはJ.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲』で、グールドは1955年の『ゴルトベルク変奏曲』よ、わたしが聴きつづけるのは。わかった?」

 ヨー・ヨーマの弾くのがハイドンのチェロ協奏曲だろうと、グレン・グールドの弾くのが1981年の『ゴルトベルク変奏曲』だろうと、私はもうどうでもよくなっていた。それらはすべて彼女の事情であり、問題にすぎない。第一、不誠実だとなじられたうえに、大きらいだとまで言われて、これ以上いっしょにいる理由なんかなにひとつないじゃないか。そう思ったが、主導権は完全に彼女が握っていて、異議申し立てをすることはできなかった。

「うん。わかったけど、ぼくときみは30分くらい前にはじめて会ったばかりなんだよ。30分でぼくが不誠実な人間だなんてよくわかったね」
「やっぱり、あなたはなにもわかっていないわね。指先がなくなるとなくなった部分に見えないアンテナが出るのよ。それでいろんなことがわかっちゃうの。わかった?」

 冬ごとに指先が凍りついてぽろりととれてしまい、グレン・グールドとヨー・ヨーマを聴きつづける女の子はそう言ってから正確に4分33秒間舌打ちをした。ひどく長い4分33秒間だった。私は彼女が舌打ちをしている4分33秒間、その場から1秒でも早く逃げだしたいと思いながら逃げだせなかった。彼女が私の腕を強い力でつかんでいたからだ。指先がないにもかかわらず、彼女のつかむ力は驚くほど強くて容赦がなかった。彼女の4分33秒間におよぶ舌打ちが終わるとやっと世界と原宿の街に深い沈黙のようなざわめきが戻った。

「どうなの? わかったの?」

 私は答えるかわりに、手首から先のない自分の両腕をしげしげと眺めたが、アンテナはもちろん、Gショックさえなかった。そのかわり、2006年の冬にシンドラー社製エレベーターのドアに巻き込まれてちぎれた両手が宙空をゆっくり滑空していく光景がありありと浮かんだ。もう、厄介ごとに巻き込まれるのはたくさんだ。




     
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