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ダニーボーイの夢/かなわぬ夢と知りながら

 

dannyboy00.jpg

 目下のところのもっとも甘くほろにがい夢は、アイルランドの鉛色の海を見下ろす断崖の際にひっそりと建つ小さな家で、わが人生の同行者である虹子と一番弟子のミニチュア・セントバーナードのポルコロッソに看取られながら、それまでの人生で聴いた最高の『ダニーボーイ』を聴きながらくたばることである。どうせくたばってから行きつく先は鬼か亡者か閻魔が待ちかまえているようなところであろうから、せめてくたばるときくらいは極楽天国をみたいということだ。
『ダニーボーイ』を初めて聴いたのはいつだったか、どこだったか。とんとおぼえていない。物心ついたときには口ずさんでいた。母親の腕の中で子守唄がわりに聴いたのか。それとも、ろくでなしの生物学上の父親が免罪符がわりに歌って聴かせたのであったか。あるいは小学校の音楽の時間に聴いたのか。いずれにしても、『ダニーボーイ』は、私の魂、心、性根、細胞のひとつひとつに染みついている歌であることにかわりはない。
 記憶にいまも残るのは、遠い日の夏、母親に連れられて出かけた丹沢で、山道を二人並んで歩きながらいっしょに『ダニーボーイ』を歌ったことだ。夏の盛りの陽は木々にさえぎられて涼しく、山百合の甘くせつない香りはつきることがなかった。夏の盛りの陽にさらされながらも涼しげだった緑。甘くせつない山百合の匂い。母親の細い背中とやわらかな手。そして、鈴の音のような声。あの遠い夏の日の『ダニーボーイ』は私の宝石のうちのひとつであり、忘れえぬ。母親がいまも生きて元気達者でいるならば、夏の盛りにおなじ山道を歩き、『ダニーボーイ』を一緒に歌ってみたいものだが、それももはやかなわぬ夢となった。生きつづけるということは夢のひとつひとつが確実に失われていくことでもある。
 いまのところの最高の『ダニーボーイ』は、アイルランド南部、ウォーターフォード州の小さな港町で聴いた。聖パトリック・デーのイベントのクライマックスに登場した市民合唱団による『ダニーボーイ』である。プロフェッショナルのコーラス・グループのような声量や安定感や劇的な構成はなにひとつないが、彼らの『ダニーボーイ』はとても心がこもっていた。彼らの全員が愛する者たちを思い浮かべながら歌っているのが手に取るようにわかった。いつしか、会場である市民ホール前の円形広場はひとつの塊となっていて、そこにいるすべての者が『ダニーボーイ』を歌っていた。私もその中の一人だった。ある者は人目も憚らずに涙を流し、ある者はからだを激しく震わせていた。嗚咽する者すらいた。私は彼らが日々の暮らし、家事、仕事、学業をこなし、時間を工面し、知恵をしぼって練習し、うまくいかず、落胆し、気を取りなおし、夜はふけてゆき、何度もおなじパートを練習しという姿が目に浮かび、胸打たれた。
 また、別の意味で感慨深かったのは、2002年のFIFAワールドカップの折り、赤坂9丁目、赤坂通りのどんつく、外苑東通り、六本木に抜ける坂道の途中でアイルランド・チームを応援するためにかの妖精の国からやってきた一団が緑づくめの衣装を身にまとい、『ダニーボーイ』を歌いつつ闊歩する光景に遭遇したときだ。ふだんはナショナリズムなどにはいっさい興味はないし、信用もしないが、そのときだけはちがった。夕闇迫る東京のど真ん中、雑踏で聴く妖精たちの『ダニーボーイ』はまた格別であった。時間がゆるせば、妖精たち全員を引き連れてアイリッシュ・パブに繰り出したいくらいの気分だった。そして、ギネスのスタウト・ポーターでしたたかに酔いしれ、妖精たちと夜ふけの東京で『ダニーボーイ』を歌えたなら、おそらくは極上の『ダニーボーイ』になったことだろう。だが、すべては縁のもので、私の無邪気馬鹿げた夢は夕暮れの東京の雑踏のただ中に儚くも消えた。縁とはそういったものでもある。
 
『ダニーボーイ』は出兵したわが子を想う母親の歌だ。

 おお ダニーボーイ バグパイプが呼んでいる
 谷から谷へ 山の斜面を転げ落ちるように夏が去り
 バラの花はみな枯れゆく
 おまえは行かねばならない わたしを残して

 おお ダニーボーイ もしもおまえが帰ったとき
 すべての花が枯れ落ち たとえわたしがすでに死んでいたとしても
 おまえはかならずわたしをみつけてくれる わたしが眠る場所を
 ひざまずき さよならの祈りを捧げてくれる
 わたしはきっと聴くだろう おまえのやさしい足音を
 わたしがみる夢はすべてあたたかくやさしいものになるだろう

 おまえが「愛している」と言ってくれるなら
 わたしは安らかに眠るだろう おまえがわたしの元に来てくれるその日まで


 哀惜の情とは、哀切とは、このようなことをいうのでもあろう。いつか来る別れ、やがて来る別れ、かならず来る別れを惜しみつつ、そして、「最高のダニーボーイ」に出会うことを願いつつ、残されたいくばくかの日々をせめて夢見心地に生きることとしよう。ダニーボーイの夢はきっと山百合の匂いがするはずだ。してほしい。





     
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