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ケルンの奇蹟・『The Köln Concert』啓示、巫女、導き

 
TheKölnConcert800PX

 キース・ジャレットの究極至高のパフォーマンス、『The Köln Concert』から38年が経つ。1975年1月24日。吾輩は16歳で、世界や人間を憎みはじめていて、西ドイツ(当時)・ケルン市の中心に位置するオペラ・ハウスの最前列から7番目、舞台に向かってやや左寄りのカビ臭い席に座っていた。左隣りの席では吾輩が世界で一番憎んでいる男、生物学上の父親がチャーリー・パーカーのアドリブのように途切れることのない貧乏揺すりをしていた。
 ところどころ綻び、色あせた緞帳がかすかに揺れている。早い晩餐をすませた善男善女が三々五々集まってくる。徐々に緊張と興奮が増してくる。一瞬、場内がざわめき、そして静まり返る。その者は舞台の袖から姿を現すと、立ち止まることもなく軽く会釈したのみで、舞台中央、照明に照らされて神々しく輝くベーゼンドルファー・インペリアル 290に向かう。
 その者の名はキース・ジャレット。30歳。神の巫女の登場である。キース・ジャレットはゆっくりと両手を鍵盤の上に置き、眼をとじ、そして、彼の中に降りた「神の言葉」「導き」を音にした。全4パート、総演奏時間66分4秒の「伝説のインプロヴィゼーション」の始まりであった。これ以上、記すことはない。その余はすべて蛇足である。以下はその蛇足だ。

 キース・ジャレットの偉大さは「神の啓示」を受け、それを「音楽」という世界語によって表現できるところにこそある。キース・ジャレットが「神の啓示」を現実世界に音楽として表現するのを支えているのは古典音楽への深い理解とクラシック・ピアノのすぐれた技量だ。高度なクラッシック・ピアノの技術に支えられた運指、自在に織り交ぜられるカデンツァ、メロディを幾重にも折り重ねながら、かつて人類が耳にしたことのない領域へキース・ジャレットは軽々と駆けのぼり、聴く者を引き上げた。キース・ジャレットは『The Köln Concert』において、自己とピアノという「他者」を融合させることに成功したのだ。
『The Köln Concert』は希有の記録である。すでにして、『The Köln Concert』は伝説、神話のひとつになっているが、100年後、200年後、そして、1000年後にはさらに高い評価が与えられるようになるだろう。もちろん、まだ世界があり、人間がいればの話だが。

 人類が「録音」という音声記録のテクノロジーを手に入れてから、たかだか130年ほどしか経っていない。それまで音楽は「楽譜」によってしか記録することができなかった。J.S. バッハもモーツァルトもベートーベンもパガニーニもリストもチャイコフスキーも演奏者としてとてつもない技量を有していたことは容易に想像できるが、惜しむらくはわれわれが彼らの奏でた音楽を実際には聴けないということである。「音源」がないからだ。
 われわれは幸福だ。キース・ジャレットの『The Köln Concert』、「ケルンの奇蹟」をいつでも好きなときに好きな場所で聴くことができる時代に生まれたのだから。
『The Köln Concert』を大脳辺縁系と魂に刻みつけたあとは、『Sun Bear Concert』を聴けばよろしい。大脳辺縁系と魂が静かに昂揚し、深化し、進化するはずだ。沈黙の響きとともに。ケルンの水の芳香とともに。





 私は芸術を信奉しない。私は芸術家ではない。私は音楽家ではない。私は人生を信じない。
 私は自分がなにごとかを創造できる人間だと思っていない。しかし、創造の道は目指している。その意味で、私は創造の神を信ずる。『The Köln Concert』における私の演奏は、「私」という媒体を通じて創造の神から届けられたものであると考えている。なしうるかぎり、俗塵俗物の介入を防ぎ、純粋性を保った。こうした作業(創造ではなく、「作業」である)をした私はなんと呼ばれるベきであろうか。創造の神が私をどのように呼んでくださるのかを私は知らない。知ることは永遠にできないだろう。
K.J.

(背景音楽:Keith Jarrett『The Köln Concert』『Sun Bear Concert』)




     
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