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二度と取りもどすことのできないいくつかのこと

 
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Shooted by Maki Saegusa

 2012年春。桜が散りはじめた日の昼下がりのことだった。ジョニー・ホッジス『Used To Be Duke』の6曲目、バラード・メドレーで『Autumn In New York』『Sweet Lorraine』につづいてインターバルなしで『Time On My Hands』が始まったときに電話が鳴った。
「ごめんなさい・・・。」
 電話口でなつかしい声がした。なつかしい声。裏切り、背いた者の声。いくつもの季節がすぎてゆくあいだ、ずっと聴きたかったけれども二度と聴きたくない声だった。
「本当にごめんなさい・・・。」
 彼女は繰り返した。
「とにかく、手をつないで光の中を歩こう。それがわれわれがまずすべきことだ」と私は言った。
「ゆるしてくれるの?」
「ちがう。そう言いたかったんだ。ずっと、それを言いたかったんだよ。だけど、もうおそい。もう、なにもかもが終わっちゃったんだ」
「あの夏も終わっちゃったの? あの灼けつくような夏の日のミント・ジュレップも?」
「あの夏も。それに、ミント・ジュレップはもう二度と飲まない」
「あの秋は? 二人ならんでずっと気持ちのいい風に吹かれた七里ガ浜駐車場のレフト・サイドは?」
「あの秋もだ。この先、決して風が透きとおることはない」
「冬は? オーヴァー・コートの中にすっぽりとくるんでくれたじゃない」
「あの冬の後半はすごく寒かったよ。あのときのオーヴァー・コートは売り飛ばしたし、春は桜の色さえわからなかった。」
「わたし、どうかしてたのよ。わかってよ」
「だれもがどうかしてる。でもね、きみの世界ではどうかわからないけど、僕の世界においては二度と取りもどすことのできないいくつかのことがあるんだ」
 私は最後にそう告げて、静かに電話を切った。春の光が息もつけぬほどに音を立てて降りそそいでいた。

Broken_Glass01_800PX.jpg

 その3日後、共通の知人を通じて彼女の死の知らせが届いたが、私の心はぴくりともしなかった。「原宿駅で最終の千代田線に飛び込んじゃったのよ」と知人は涙声で告げた。それでも私の心はなにひとつ動かなかった。彼女は死ぬことでなにごとかを取りもどせるとでも思ったのだろうか。わからない。わからないが、確かに言えるのは、世界には取りもどせないことのほかに、わからないこともあるということだ。私が彼女についてできるのは彼女を忘れないことくらいだが、いずれ跡形もなく忘れてしまうだろう。彼女の声も匂いも顔も名前も存在すらも。そのとき、彼女は本当の死を迎える。時の経過とともに、あらゆることどもは深い闇の奥に隠れていく。われわれにはそれを押しとどめることはできない。

USED_TO_BE_DUKE_800PX.jpg






     
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