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冬のはじまりに考える「世界が孕むある種のやさしさ」

 
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 不遇にある人々にその暖炉のぬくもりのひとかけらとそのあたたかい食事のひとすくいが届けばいい。
 冬のニューヨークは厳しい。ニューヨークにおでましの冬将軍様の傍若無人ぶりは凄まじいの一語につきる。秋のニューヨークは死ぬまでに一度は経験しておくべき素晴らしさにあふれているが、「最高のシーズン」も長くはつづかず、駆け足で冬がやってくる。そのニューヨークから心あたたまる話が舞いこんできた。ニューヨーク市警の若い警官が厳しい寒さに震えて街角にうずくまる年老いた裸足のホームレス男性にポケット・マネーで冬用のブーツと防寒ソックスをプレゼントしたというのだ。この場面を偶然通りかかった観光客がデジカメにおさめ、即座にFacebookとTwitterで発信した。警官とホームレス男性をめぐる「美談」はFacebookとTwitterを通じて瞬く間にネットワーク上に拡散し、多くの人々の共感と讃辞をえた。世界がいつもこのようなやさしさに満ちていればいいのだが。
 いまや善意と美談は悪事、醜聞同様、インターネットによって千里どころか万里を走る。地球の裏側までリアルタイムで一瞬にして届く。その分、底の浅い善意、薄っぺらな美談までもに尾鰭がついていつのまにやらまったく別の「お話」「うそ」に変わってしまうこともあるから注意が必要ではあるのだが。ただし、「拡散してください!!!」という無意味に「!」マークのついたスパム絶叫だけは御免蒙りたい。大きなお世話だ。「拡散してください連呼ちゃん」にかぎって翌週には涼しい顔で「オサレ・ランチさん」に大変身するものと相場は決まっている。ネットワーク、なかんずくインターネットは「個人の武器」、「自分のドス」としてならなにがしかの有意なことどもをもたらしはするが、「数の論理」「数に頼む」という姿勢はマルチ商法に血道をあげる愚劣卑劣な腐れ外道どもと同じ穴の狢になる危険を秘めていることの自覚はつねに持っているべきだろう。
 人の数や図体の大きさはそれほど重要ではない。なにをしてきたか、なにをしているかもどうでもいい。本当に重要なのはたった一人で炎の中心に立てるか否かということだ。まさにその一点こそがホンモノかただのカスかの分かれ目になる。過去の「栄光」やら「実績」やらにしがみつき、あるいはその上に寝穢く居座ってふんぞりかえっているようなボンクラヘッポコにできることなどたかが知れている。錆つき、煤け、カビが生えていることに当の御本人様はお気づきにはならないだろうが。そして、そのような御仁は例外なく「ライフ・スタイル自慢」と「お幸せな家族家庭自慢」というステレオタイプの御開陳に及ぶという次第だ。「じょうずに焼けたノアレザン」や「カワイイくてオサレな雑貨・小物」や「おいしくてヘルシーなオーガニック・ランチ」や「エシレのクロワッサン」で世界がよくなるなら神さまも苦労はしないのだがね。

 貧困、貧富の格差、ホームレス、ショッピングバッグ・レディ、無縁社会。それらの問題の背景、奥にあるもの、根っこ、根本問題を解決しないかぎり意味がないと訳知り顔で「正論」らしき御高説をふりかざす「進歩人」を自認する輩どもに言いたいのはただひとつ。「目の前にいる寒さと飢えに震える者に毛布一枚、スープ一杯差しださぬ輩がなにを言いやがる」と。そこで思い出されるのが『シンドラーのリスト』の中に出てくる言葉だ。

 一人を救える者が世界を救える。

 ひとがひとを救うなどとはおこがましいことこのうえもないが、少なくとも「無関心」を装わず、「見て見ぬふり」をしないくらいの仁義は世界に対してつねに切りつづけていたいと思う。さらに宮崎駿の『もののけ姫』の中でサンの君がアシタカに言う次の言葉。

 黙れ小僧! お前にあの娘の不幸が癒せるのか! 森を侵した人間が、わが牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。お前にサンを救えるか!

「オサレ」なおランチもお品のおよろしい「午後のお茶の会」も仲良しさんたちが雁首そろえてお出かけにあそばす「美味しいものまみれの温泉旅行」も引きつった笑いとぎこちないジョークと知性のかけらもないつまらぬギャグと脇の下からぬるい汗の出る合コンとやらも個人の自由ではあるし、天下太平楽ニッポンの極楽とんぼぶりが垣間見えてたいへんにけっこうなことではあるが、他者の困憊困難にまみえたときくらいは無関心を装わず、見て見ぬふりもせず、一瞬でもいい、立ち止まってなにごとかを考えても罰は当たるまい。立ち止まり、考えをめぐらしたからと言って、そのわずかのあいだに「オサレ」なおランチもお品のおよろしい「午後のお茶の会」もなくなりはしないのだから。「歳末助け合い」も救世軍の「社会鍋」もまったく信用してはいないが。3.11震災以後に声高にあちこちから聴こえていた「絆」やら「友愛」やらにも眉に唾をつけて見聞きしていたが。
 ところで、あれほどの「絆」と「友愛」の大合唱はいったいぜんたいどこにお隠れあそばしたのだ? ユーラシア・プレートの下にでももぐりこんだか? はっきり言ってしまうが、グロテスクな親和欲求にまみれた「絆」と「友愛」の大合唱よりも、真鍮とチタニウムの合金でできた数センチの「小さなコビトの大きな世界」に、あるいは、わずか65cm×50㎝の小さなコラージュという沈黙の一表現方法を通じ、個として3.11の事態を受け止め、向かい合い、記憶にとどめつづける者の中にこそ「本物」があるように思える。広報宣伝部仕切りの「100億円」の義援金、寄付もそれはそれでご立派なことではあるが。ちろちろと熾火の燃える暖炉を囲んであたたかなカフェ・オ・レを飲みながら食べる『エシレ』の無塩発酵バターを練り込んで焼いたクロワッサンはさぞやおいしかろうが。

 世界は「ユークリッド幾何学かつリーマン幾何学平面上にあるニュートン力学が支配する空間」にいくぶんかの混沌が織りこまれた「ユークリッド幾何学並びにリーマン幾何学またはニュートン力学によって大方の説明がつく非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」でできあがっているが、いつの日か、そう、きっといつの日か、「お住まいは?」と尋ねられて、「非ユークリッド幾何学かつ非リーマン幾何学平面上並びに非ニュートン宇宙」と大手を振って答えたいと思う冬のはじまりに、遠い日の冬の夜、「世界が孕むある種のやさしさ」についてある若者が話していたことを思いだす。
 銀座線の車内で外国人観光客と打ちとけたホームレスとおぼしき老人が、彼らとの記念撮影を求められたときに寂しそうな笑いを浮かべながら野球帽で顔を隠す場面に若者は遭遇する。若者は思う。「老人が顔を隠した事情についてその日出るはずだった月のように世界にやさしさが満ちていればいい」と。
 思い出し、なぜかはらはらと涙が出た。聴いていたキース・ジャレットの『My Wild Ilish Rose』のせいでもないし、回収できなかった「すっかり冷えきった爪先」のせいでもないし、「森のひと」と30年早く出会えていたらと考えていたからでもない。涙の理由らしい理由がみつからないので、今日のところは「世界の共同主観的存在構造」のせいであるということにしておこうと思う。

 そして、疲れた心に『ダニーボーイ』はやさしい。
 2002年、キース・ジャレット東京公演のラスト。遠い夏の日の丹沢で母親といっしょに歌った『ダニーボーイ』をのぞけば、わたくしにとってのいまのところの最高の『ダニーボーイ』である。1996年、コンサートの最中に激しい疲労感に襲われたキース・ジャレットは、音楽家としてのすべての活動を停止し、その後2年にわたって「慢性疲労症候群」という原因不明の病いとの壮絶な格闘の日々を送った。
 疲れ果てた男は帰ってきた。そして、一音一音を抱きしめるように、頬ずりするように、慈しむように奏でた。途中、2箇所でミス・タッチするが彼はこともなげにリカバーした。会場でこの瞬間を目撃したわたくしは背筋が凍りついた。キース・ジャレットが2年の「沈黙」のあいだに数えきれぬほど『ダニーボーイ』を演奏したにちがいないことが見てとれたからだ。そうでなければあのミスのリカバーはできるわけがない。『ダニーボーイ』を繰り返し繰り返し奏でることでキース・ジャレットは疲れ果てたみずからの魂を解放したのであることに思いいたったとき、わたくしは人目も憚らずに泣いていた。見れば、わたくしの周りのオーディエンスのだれもが泣いていた。2002年東京公演におけるキース・ジャレットの『ダニーボーイ』。これ以上の『ダニーボーイ』をわたくしは知らない。そして、世界はささやかではあってもなにかしらの「やさしさ」を孕んでいるということを知った。

 そして、ダニーボーイは帰還した。「失われた23年」を取りもどすために。
 わが人生の同行者である虹子は彼女の青春期の真っ只中にわたくしと出会い、以後、23年間、今日まで、放蕩放埓にかまけるわたくしを支え、かならず待っていて、かならず帰ってきて、見守りつづけてくれた。口数少なく、つねに控えめで、二歩も三歩もわたくしの後ろを歩き、わたくしを支えつづけた女。金輪際、うそをつかず、裏切ることはもちろん、なにひとつ隠し事をしなかった女。23年前の冬からはじまったジェットコースター・デイズをともに生きてきた戦友でもある女。虹子が人知れず流した涙と味わった孤独と困難と困憊と不安と悲しみと痛切と嘆きの総量をわたくしは知る由もない。知ろうとさえしない23年であった。虹子の損なわれ、傷つき、失われた23年   
 わたくしは帰ってきた。パット・メセニーの『Travels』とゴンチチの『いちばん大事なもの』とキース・ジャレットの『My Wild Irish Rose』と『ダニーボーイ』を繰り返し繰り返し聴いた。本当の旅はこれからだと思った。虹子の「失われた23年」を取りもどすための虹子との旅だ。
 旅の果て、旅の終わり。わたくしの死に際の枕元での『ダニーボーイ』は虹子にこそ歌ってほしい。その『ダニーボーイ』は生涯最高の『ダニーボーイ』となるにちがいない。

 火灯し頃。黙々と晩めしの支度をする虹子の細く薄い背中に声をかけた。
「おれがくたばるときは、枕元でずっと『ダニーボーイ』を歌いながら手を握りしめていてくれ」
 虹子は包丁を動かす手を止めてこちらを振り返り、満面の笑みを浮かべ、「はい。もちろんです」と言ってうなづいた。そのあと、声をあげてその場に泣き崩れた。わたくしの好物である大根と人参と油揚げの煮物のにおいが家中に漂いはじめた。
 
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