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MEMORIES OF YOU #1

 
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 夏の思い出
 あまりにも寒いのでずっと夏にまつわることを考えている。夏のにおい、夏の色、夏の音、夏の風景、そして、夏の思い出。
『夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)はすごく好きな歌だ。メロディも歌詞もすこぶるよい。夏の盛りがやってきて入道雲がわき上がった空を見ると『夏の思い出』を口ずさんでいる。
 こどもの頃、夏は苦手だった。夏の暑さがだめなのだ。いまでは信じられないことだが吾輩はどちらかと言えば腺病質のこどもで、同級生が夏の訪れを心待ちにしてはしゃいでいるのを横目で見ながらだれにも気づかれないように溜息ばかりついていた。夏休みが来てもちっともうれしくなかった。エアコンなどまだ普及していない時代。窓を開け放し、扇風機をつけっぱなしにして部屋にこもり、本を読んだり考えごとをしているうちにいくつもの夏が過ぎていった。
 そんな吾輩がひと夏の冒険旅行に出たことがある。小学校5年の夏休みのことだ。吾輩はその当時、あるよんどころのない事情で母親から離れ、一時的に生物学上の父親のもとで暮らしていた。生物学上の父親はそのころ羽振りがよく、元麻布の有栖川公園の近くに豪邸をかまえ、「闘う家長」として彼の両親、彼の妻の両親、兄弟姉妹、そして子供たちとともに暮らしていた。居心地は最悪のはずだったが彼らは吾輩を大歓迎し、愛でた。それでも、子供心にも自分が場ちがいなところに転がりこんでいることはわかっていた。吾輩は極力彼らと顔を合わせぬために食事や入浴のとき以外は「図書室」のある地下に逃げこんでいた。「図書室」は内側から鍵がかけられるようになっていたので好都合だった。そしてなにより、蔵書の質と量がすごかった。学校や町の図書館の本はあらかた読んでいたので新しい本に飢えていた。そんな中で小田実の『何でも見てやろう』をみつけ、夢中で読んだ。『何でも見てやろう』を読み進みながら一刻も早く旅に出なければならないと吾輩は思うようになっていた。
 吾輩が「冒険旅行」を宣言したとき、生物学上の父親とその家族どものほとんどは猛反対したが、いつも吾輩をからかってばかりいた腹ちがいの兄公だけが味方についてくれた。その当時、腹ちがいの兄公は東大の仏文科の学生で、東大全共闘の一員としてきな臭い日々を送っていたように記憶する。顔は青ざめ、頬はこけ、眼だけがぎらついていた。長めの前髪がいつも顔にかかっていた。おおかた、『異邦人』のムルソーだか『罪と罰』のラスコリニコフだかを気取っていたのでもあろうが、男っぷりはそこそこのもので、家に連れてくるガールフレンドは美人ばかりだった。そんな兄公は吾輩の冒険旅行をめぐる「家族会議」のあいだ中、吾輩のすぐ横にいてずっと吾輩の背中に手を置き、さすってくれた。そして、「負けるな」「やっつけてやれ」と小声で吾輩を励ました。
 やると決めた以上、だれが反対しようが決行するという吾輩の気質はこの頃にはすでにでき上がっていて、綿密な旅程表と装備品リストと「旅の目的」をもとに吾輩が反論するともはや異を唱えられる者はいなかった。大のおとなどもを説き伏せたときのうれしさ。そして、兄公の満足げな表情はいまも忘れることができない。出発の朝、兄公は吾輩の手にそっと数枚の1万円札を握らせた。「がんばれ」とひと言だけ言って。

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 吾輩の「冒険旅行」はひと夏をかけて北海道を一周するというものだった。フェリーで苫小牧に上陸し、あとはユース・ホステルを泊まり継ぐ。旅はもちろん面白かったし、たのしかった。多くの発見やたくさんの人々との出会いがあった。新冠のユース・ホステルでは仲良くなった高校生のグループやヘルパーのひとたちと競走馬の牧場までハイキングに行った。馬たちは茶目っ気たっぷりで、柵のそばまで行くと鼻息を猛烈に荒くしながら近寄ってきた。
 別れの夜、判官館の浜辺に出て焚火を囲んでいろんな話をし、歌をうたった。『今日の日はさようなら』をみんなで歌ったときには涙が止まらなかった。襟裳のユース・ホステルではオートバイで日本全国を旅している大学生と仲良くなった。オートバイの後部座席に乗せてもらい、次のユース・ホステルまで送ってもらった。あのときの大学生がいまもオートバイで日本中を駆け巡っていたらうれしい。
 土砂降りの雨の中でバスを待っているとき、長距離トラックが急停車し、「乗ってきな」と言ってリーゼントのあんちゃんがドアを開けた。吾輩は少し迷ったが、彼の顔色がすごくよかったので助手席に飛び乗った。吾輩が札幌で降りるまでカーステレオからはエルビス・プレスリーの曲がずっと流れていた。
 それらはなにがしかのかたちで、吾輩の現在の財産になっている。しかし、あの遠い日の夏のいちばんの思い出は、「論理」によっておとなたちを説き伏せたという経験だった。
 夏。それはまぎれもなく「経験」の季節だ。経験の数だけ、ひとはなにごとかを獲得し、同時に、同じ数だけなにごとかを喪失する。ひとはそれを成熟と呼ぶ。青い空、石楠花色の黄昏。はるか遠い夏の思い出である。

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 また別の夏の思い出/コルトレーン、痛みの場所、単独者、次なる聖者
 ジョン・コルトレーンを初めて聴いたのは横浜・野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」でだ。まだ名物店主の吉田衛さんがお元気だった頃である。「ちぐさ」へは腹ちがいの兄公に連れていかれた。夏の盛りだった。もしかしたら7月17日、ジョン・コルトレーンの命日だったかもしれない。コルトレーンは兄公のアイドルだった。
 夏の容赦ない陽射しの中を兄公の運転するぼろいホンダCBナナハンの後部シートにまたがり、必死で兄公の背中にしがみついていたことはいまでも鮮明に記憶している。第一京浜から国道16号線を経て、桜木町の駅前を右折し、野毛商店街の路地を入ると「ちぐさ」があった。店の左手奥の巨大なスピーカーが鎮座まします壁にかかっていた写真がとても印象に残っている。楽屋らしき一室で机の上に腰かけ、頬をぱんぱんにふくらませてトランペットを吹く日野皓正の横でうつむきかげんに眼を閉じ、聴き入っている吉田のオヤジさんをとらえたナイスなショットだ。

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 やけに深刻そうな面持ちの兄公がリクエストしたのがコルトレーンの『至上の愛』だった。「a love supreme, a love supreme, a love supreme・・・」と呪文のような呟きに続いて演奏がはじまった。途中、兄公が「痛えな」とぽつりと言った。あのときはどこが痛いんだろうと不思議だったが、いまなら兄公の痛みの場所くらいはわかるような気がする。痛みの理由まではわからないにしてもだ。
 家に帰ってから、兄公のコレクションの中からコルトレーンのLPレコードを引っぱり出し、片っ端から聴いた。『バラッド』『ブルー・トレイン』『ジャイアント・ステップス』『ソウル・トレーン』『アセンション1・2』『テナー・マドネス(ソニー・ロリンズとの共演盤)』『クレセント』『ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』『クル・セ・ママ』『マイ・フェイヴァリット・シングス』  
 あれはコルトレーンとともにはじまり、コルトレーンにハマり、コルトレーンとともに過ぎていった重苦しい夏だった。夏が終わる頃、兄公は忽然と吾輩の前から姿を消した。

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 コルトレーンとの出会いは、吾輩の生涯のアイドルとなるにちがいないマイルス・ディヴィスへの入り口となった。ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』が吾輩をこのうえもなく勇気づけ、かき立てるヴァイタル・シングになったのだって、実はコルトレーンという「道標」があったからこそだ。あるいは、アルバート・アイラーという「彷徨える魂」の咆吼に耳を傾けることができるようになったのも、それはやはりコルトレーンという「痛みの場所」があったればこそなのだ。
 コルトレーンはあるインタビューに答えて、「ジャズもヘチマもない。コードだろうとモードだろうとアヴァンギャルドだろうとフリーだろうと、あるのはいい音楽と悪い音楽だけである」と言い放った。コルトレーン自身はひとところに停滞することを嫌って、つねに変貌しつづけた表現者だ。彼の音楽はやがて「神との対話」という孤高のスタイルへと至る。能天気なアリスなんぞにたぶらかされなければ、あるいは早すぎる死なかりせば、やがてコルトレーンはエルビン・ジョーンズとのデュオへ、そして、ついにはソロへ、単独者へと表現のかたちを変えていったのではないかと思う。
 聖者死して45年    。聖なる骸を踏み越え、ジャズを、音楽を、音そのものを、そして時代を喰いやぶる次なる聖者はいつ出現するのか?

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