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QUO VADIS? われわれはどこから来てどこへ行くのか?

 
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 名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ
 冷めやらぬたちの悪い微熱に困憊辟易しながらおそい午睡から醒めた。窓の外を見ればすでに黄昏どきを過ぎ、夜の帳が降りはじめている。そこここの街の灯りの瞬きが熱をもった目にはすこし眩しい。虹子はポルコロッソの毛繕いに夢中でこちらには無関心を決め込んでいる。冷水で顔を洗い、たばこを立てつづけに3本吸う。まずい。なにゆえにこれほどまずくてくさいものと訣別できないのであるか? たばこの先端の小さな熾を見ながらしばし考えてみる。考えながら煙りを吸い込み、吐き出す。答えは出ない。答えなど出なくてもいっこうにかまわない。なぜなら鼻から答えを求めていないからだ。答えを求めない者に解答は用意されないものと大方の相場は決まっている。
 手持ち無沙汰につけたインターネット・ラジオから聴こえてきたのは鮫島有美子が歌う『椰子の実』だった。豊かで透明感のあるソプラノが心地よく、しばしのあいだ微熱の不快を忘れた。それにしてもこの微熱のやつめが! もう1年以上もつづいている。いったいどこからきているんだ? まあ、いい。死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。そのことはすでにして十分すぎるほど学んできたじゃないか。いつくたばってもいいようにすべての段取りはつけてある。ぬかりはこれっぽっちもない。残るは当事者がボタンを押すか押さないかを決めるだけのようにしてある。話は簡単だ。よほどの臆病者か愚か者でないかぎり、失敗も敗北もない。それより、『椰子の実』だ。

  名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実ひとつ
  故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月
  旧の樹は生いや茂れる 枝はなほ影をやなせる
  我もまた渚を枕 孤身の浮寝の旅ぞ
  実をとりて胸にあつれば 新なり流離の憂
  海の日の沈むを見れば 激り落つ異郷の涙
  思いやる八重の汐々 いずれの日にか国に帰らむ


「文化」としての感受性
 なつかしい。琴線に触れる歌のひとつである。島崎藤村作詞、大中寅二作曲。歌が終わり、名残り惜しいので iTunes Store にアクセスして『椰子の実』を何曲か購入した。生憎、鮫島有美子のものはなかった。「椰子の実」「童謡」「唱歌」をキーワードにスマート・プレイリストを作り、リピート・プレイ設定。以後、繰り返し聴く。聴きながらふと思う。『椰子の実』を欧米人が聴いたとしてわたくしと同じ種類の感懐を持つだろうか? 持たないというのがわたくしの出した結論である。彼らは南方の地を資源の調達先、植民の地、リゾート地としてはとらえても、決してみずからの起源の地とは考えないから平然と踏みにじってきた。文化としての感受性の対立点はみずからがよって立つところ、「起源」にこそある。

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『椰子の実』をめぐる物語
『椰子の実』には誕生秘話とでもいうべきものがある。日本民俗学の泰斗柳田國男が若き日の夏、愛知県渥美半島伊良湖岬の恋路ヶ浜に漂着した椰子の実を拾うところからこの物語は始まる。このとき、柳田23歳。柳田は『海上の道』の中で次のように述べている。

 舟の出入りにはあまり使はれない四五町ほどの砂浜が東やゝ南に面して開けて居たが、そこには風のやゝ強かつた次の朝などに椰子の実の流れ寄つて居たのを三度まで見たことがある。一度は割れて真白な果肉の露はれ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えてまだ新らしい姿で斯んな浜辺まで渡つて来て居ることが私には大きな驚きであった。この話を東京に還つて来て島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。

 東京帰還後、柳田が友人である島崎藤村に椰子の実の話をすると、藤村は「君、その話を僕にくれたまえよ、誰にも言わずにくれたまえ」と柳田に頼みこむ。柳田自身の感想は『遊海島記』の中に「嵐の次の日に行きしに椰子の実一つ漂ひ寄りたり。打破りて見れば梢を離れて久しからざるにや、白く生々としたるに坐に南の島恋しくなりぬ」とある。柳田がここで言う「南の島」とは個別具体的な場所ではなく、「海の彼方の世界」という幻想を含むものだったろう。椰子の実を契機とした柳田の「南の島」、「海の彼方」への思いは『海南小記』を経て、64年後に『海上の道』として結実する。

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 QUO VADIS? われわれはどこから来てどこへ行くのか? 香り立つ航海日誌。
 柳田國男が生涯を通して追い求めたのは「日本人はどこから来てどこへ行くのか」ということにつきるが、その出発点は東海の小島の浜辺でみつけた椰子の実であった。名も知らぬ遥か遠き南の島から黒潮に乗って流れ着いた椰子の実とその香りに若き柳田國男はめくるめくような陶酔を感じ、さらには、日本人の原形を読み取ったことだろう。日本人の起源に思いをいたし、また、遥かなる海の彼方の世界に恋い焦がれもしたろう。ここにこそ柳田國男の天才がある。
 最晩年、柳田はこのときにえたインスピレーション、モチーフを『海上の道』として結実させる。64年の歳月を経て、柳田國男の感動はようやく実を結んだのだ。『海上の道』出版の翌年、若き日に見た幻、夢を後世に託すようにして柳田國男は世を去った。『海上の道』は柳田國男の遺言とも読める。伊良湖岬恋路ヶ浜に漂着した椰子の実は島崎藤村の『椰子の実』と柳田國男の『海上の道』というふたつの傑出した言霊へと開花した。われわれはこのふたつを羅針盤として、いつでも、どこへでも漕ぎだすことができる。書きつづる航海日誌からは芳醇馥郁たる香りが立ちのぼってやまないはずだ。
 まだおそくはない。まだまにあう。煌めく海へ、あふれる思いに胸を熱くする航海へ、星屑とのランデブーへ、うつろいゆく宇宙のかけらの旅へ向けて出航する時間はすぐそこに迫っている。

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