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黄金のカエル#1

 
EPITAF.jpg

 オイラは黄金のカエルだ。名前なんかねえ。あすの朝一番で旅に出る。北の沼を出るんだ。あてはねえが目的はある。ずっと昔にオイラの前から姿を消した一匹の緋鯉を探しにいくのさ。オイラがまだオタマジャクシに毛の生えたようなガキの頃によ。北の沼一番の不良でオイラの憧れだった鯉の兄ちゃんが、ある秋の夕暮れ、やけに遠い目をしてこう言ったんだ。「おい、坊や。漂うのはいいが、絶対に沈んだりなんかするんじゃねえぞ」ってな。もちろん、当時のオイラに鯉の兄ちゃんが言った言葉の本当の意味なんかわかるわけねえけども、オイラは「そうか。とにかく沈んじゃいけねえんだな。上のほうで漂ってりゃいいんだな」って、てめえ勝手に納得して、それ以来、ほかのやつらがぎゃーぎゃー沼の底のほうで騒いでいるときでも、オイラだけはあっぷあっぷしながら水面の辺りを漂っていた。そりゃ、みんなで固まってりゃ安全だし、楽しいだろうけどもよ、憧れの鯉の兄ちゃんの言いつけだ。守らなくちゃならない。おかげでずいぶんと危ない目にもあったぜ。カラスの馬鹿野郎には喰われそうになるし、大風がいきなり吹いてきてすっ飛ばされるし、おまけに 太陽はギラギラまぶしいしよ。年がら年中手足をバタつかせて浮かんでなけりゃいけねえんだから疲れるしな。それでもオイラは鯉の兄ちゃんの言いつけを守りとおしたんだ。単純といえば単純、はっきりいやあ大馬鹿野郎もいいとこだな、オイラはよ。まあたいがいのカエルは頭がいいとは言えないがな。てめえで言ってりゃあ世話もねえな。
 次の年の冬、鯉の兄ちゃんは沼から突然姿を消した。龍になったんだっていう奴もいれば、大鯰のうすら馬鹿に喰われちまったって奴もいれば、沼の果てにある大岩の裂け目に身をひそめているらしいって奴もいたが、本当のところは誰にもわからなかった。そのうち、誰も鯉の兄ちゃんのことは話さなくなり、のっぺりとした平穏な日々が続き、そして忘れた。でも、オイラだけは鯉の兄ちゃんを絶対に忘れなかった。一度だけ沼の果てのあたりを丸一日泳ぎまわってみたが鯉の兄ちゃんとは会えなかった。大岩のかげの淀みにはクヌギやらナラやらブナやらの落ち葉が頼りなげに揺れているだけだった。そんときはさすがのオイラもちょっと泣きそうになったな。鯉の兄ちゃんがいなくなってもオイラは言いつけをちゃんと守ったぜ。そして今日まで生きてきた。同じ日に生まれたほかのオタマジャクシのやつらは、どいつもこいつもくそ面白くもねえ緑色のカエルだが、オイラは黄金に輝くカエルになった。どういうわけでオイラだけが金ピカのカエルになっちまったのか原因はわからない。たぶん、年がら年中太陽にあたっていたからだろうぜ。目立つから危険も多いけどよ、いまさら他のやつらとおんなじくそ面白くもねえ緑色のカエルになんかなれやしねえし、なりたくもねえな。そりゃおっかなくてキンタマが縮みあがっちまうときだってある。だけど、この世界に決して揺らぐことのない自信を持ちつづけられるやつなんかいるのか? いるわけがねえよ。みんななにかに怯えてるんだからな。いつ喰われちまうか、いつ裏切られるか、いつ梯子をはずされるか、いつ傷つけられるか、いつ失っちまうか、いつ足元をすくわれるかってな。それが生きるってことだろうぜ。第一からして、オイラのような痩せガエルは、夏にゲコゲコ、冬にグーグーって相場が決まってるが、それだって絶対に生やさしくはねえんだぜ。夏の恋の季節には恋敵たちがあっちでもこっちでもゲコゲコグワッグワッの大合唱だ。調子っぱずれなのや、やたら美声なのや、カミナリでも落ちたのかってなくらいでっけえ声のやつらが、それこそ死にものぐるいで鳴きわめく。そういうライバルたちをかきわけかきわけ恋の相手を見つけなきゃならねえんだ。それでも相手がみつかりゃあラッキーもいいとこだな。たいていのやつは相手も見つからず、ひと夏中、やかましくもさびしく鳴きつづけるわけさ。わがことながら情けないかぎりだな。夏が終わり、秋が駆け足で通りすぎれば冬将軍様のおでましだ。冬眠に備えてしこたまエサの虫ども喰らうわけだが、十分にエサを食いだめできなくて眠っているあいだに餓死しちまうやつだっている。カサカサに干からびてよ。冬をやりすごし、狭っくるしい穴ボコから這い出したとき、仲の良かったやつが煎餅みたいな姿に変わり果てているのを目にすると、この世界には絶対に神さまも仏さまもいねえとつくづく思うよ。真っ暗な穴ボコの中でだんだんと死んでゆく自分を知って、そいつはどんなことを考えたんだろうな。やっと冬眠からさめりゃ、たちの悪いヘビの野郎どもが虎視眈々と狙ってやがるから、いくら春の光が気持ちいいからっておちおち日向ぼっこもできやしねえ。最近はエサの虫どももめっきり少なくなっちまったしな。いつだって飢え死に寸前だ。腹が減ってどうしようもねえからいつもゲコゲコ鳴いてんだよ。鳴きながら泣いているんだ。上等にいやあ、哭いて啼いて慟いてるってなもんだな。こんなふうにオイラたちカエルは一年一年をやっとの思いで生き抜くんだ。情けねえもいいとこの生きざまじゃねえか。でもな、こんなオイラのような者でさえ誰かがちゃんと見ていてくれるもんなんだ。不思議なもんだな。この広い世界にはスズメやらカエルやら虫けらやらが好きな変わったやつが少なくとも一人はいるもんなんだな。「痩せ蛙よ、負けるんじゃないぞ。いつも応援しているよ」ってな。「救い」だなんて大袈裟なことじゃねえけども、そんなことが生きる支えになるもんだな。 
 さて、旅の仕度は済んだ。覚悟もできた。明日は早起きしなけりゃならない。夜明け前には沼を出たい。今夜はマイルス・デイヴィスが『So What?』をミュートなしで吹きまくる夢でも見られたらいい。

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