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世紀末動物園の片隅で#1 「産卵。」

 
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 言葉は人類が発明した最古のサーカスである。 D.K.

 私は卵を産まなければならない。1日50個がノルマだ。私が卵を産まなければならなくなった事情については、様々な問題が複雑に絡まり合っている。意地悪な奴や一筋縄ではいかない奴や狡猾な奴や変な臭いのする奴やエゴ剥き出しの奴が私の前に次から次へと現われ、好き勝手になにごとかをやらかし、喚き、ときには殴り合い、いつの間にか去っていった。そして、気がつくと私は卵を産まなければならなくなっていた。呪いだ。宇宙を支配する巨大な意志の力が私に呪いをかけたのだ。宇宙を支配する巨大な意志の力はひとこと呟き、私の頬をそのつるりとした指先で撫でたのである。

 「産卵。」

 それが事の始まりだった。卵を産むことはそれほど嫌いではない。どちらかと言えば好きなほうだ。最初は少し痛くて自分の内側が無造作に引きずり出されるような感覚が嫌だったが、今ではその痛みや引きずり出される感覚にも馴れてしまった。私の産卵を不思議そうに眺めていた人々も現在はほとんど関心を示さない。信号が黄色から赤に変わるのを見るような眼でチラッと私の尻のあたりを見つめるだけだ。
 そのようなわけで、私は毎日毎日せっせと卵を産みつづけている。卵を産みつづけることでいったい何処にたどり着けるのかはわからない。卵を産みつづけ、あとはただ死ぬだけなのかもしれないし、やがて金色に輝く干し草の上で安らかな眠りにつけるかもしれない。約束の地に立つ私のまわりに柔らかな産毛をまとったヒヨコたちが軽やかな囀りを上げているというようなことがないともかぎらない。いずれにしても私は卵を産みつづけなければならない運命を生きている。その運命を恨むか引き受けるかはおそらく世界観の問題に属することだ。
 私の産んだ卵はだれにでも見えるというわけではない。ある種の人間には絶対に見ることができない。たとえば、狡い奴。狡い奴は私の卵を見ることができない。口の臭い奴もだ。虫歯の奴や歯をきちんと磨かない奴や内蔵の悪い奴は卵を見ることができないのだ。
 卵を産みはじめて3年になる。すでに5万個以上の卵を産んだ計算になる。すごい数だ。私に産み落とされた卵たちがその後どうなったのかについてはまったく不明である。産んで3時間も経たないうちに消えてなくなるからだ。卵たちのことを考えると少し哀しくなる。

 そして、その土曜日は突然やってきた。油断していたわけではない。宇宙を甘く見ていたわけでもない。なるようになるさなどとタカをくくっていたのでもない。卵だってちゃんと産みつづけていた。そりゃ、少しはオチャラケていたけどもね。でもほんとに少しだけだ。少しオチャラケている間に時間が捻くれたか、ひん曲がったか、臍で茶を沸かしたかしたのにちがいない。それでその土曜は突然やってきてしまったのだ。それを自分の責任としてとらえることが生きていく上で必要不可欠な態度だとしても、年がら年中そんな内省的な態度でいられるはずがない。この街では誰もが無防備に欲望を排泄しているからだ。その排泄物がいつなんどき私にふりかかってくるかわからない。だから、不用意に内省的な態度をとっていると手痛いしっぺ返しを喰うはめになるのだ。どこの誰とも知れないやつのいやな臭いのする排泄物を頭から浴びるなんて考えただけで吐きそうになる。
 問題はふたつだ。退屈な幸福を甘受するか刺激的な悲運を生きるか。難しい選択だがいつかはどちらかを選ばなければならない。そんなことを考えていると汗が一筋頬を伝った。
 もう10月だというのに蝉が鳴いていた。蝉は何年も土の中で眠って夏の一週間だけ鳴く。鳴くたびに蝉は死に近づく。鳴くことで死を呼び寄せているのではないかとも思える。アブラ蝉だろうとクマ蝉だろうと蜩だろうとそれは変わらない。当然のことながら「私」という1立法メートルばかりの水と油と蛋白質と精神で構成されたひとつの現象が蝉の孤独と死や世紀末、あるいは10月の最後の土曜日の動物園と没交渉に存在しているなどとはこれっぽっちも思っていなかった。それどころか、それらはみんなどこかで繋がっているとさえ私は思う。
 試みに蝉の孤独と10月の最後の土曜日の動物園を結びつけるために私は『精神現象学』の第二部第三章第一節三行目を思い浮かべ、心の中で20回繰り返し呟いた。すると、蝉の孤独と10月の最後の土曜日の動物園とはオリオン座のベテルギウスとリゲルみたいにすんなりと繋がった。そのあとも私は色々な事物や事象を繋ぎ合わせてみた。歯ブラシと東京電力の請求書、足踏みミシンとシャトー・マルゴーのラベル、グレン・グールドとコバルト・ブルーの河馬の置物、『アメリカの鱒釣り』と午後の最後の芝生   
 私を取り巻く事物たちを手当たり次第に繋ぎ合わせるのは頭の中心部が痺れるほどたのしい作業だった。マスターベーションを覚えた可哀想な猿が毛が抜け落ちるまでペニスをしごきつづけるみたいに私は事物を繋ぎ合わせ、繋ぎ合わせるための道具をあれこれと使った。100組くらいはやったように思う。
 そんなわけで、突然やってきた10月の最後の土曜日の傍らに寄り添うようにしてたたずんでいるアルマジロに気づいたのは10月の最後の土曜日が私の前にやってきてからずいぶん経ってからだった。
 私がアルマジロに気づくのとアルマジロが私に微笑みかけるのとはほとんど同時だった。私は少しうれしくなった。それで、私もアルマジロに微笑みかけた。私が微笑むとアルマジロはそのしっとりと濡れた灰色の甲羅をピカピカさせて小踊りした。アメリカ大陸の知られざる歴史をDNAに刻み込んだ者のみが踏むことのできる哀しいほどのステップだった。もちろん、誰にでもステップは踏める。問題はそのステップが最終的にどこへ向かっているかだ。私と10月の最後の土曜日はわれわれがどこへ向かえばいいか明瞭にわかっている。動物園だ。私と10月の最後の土曜日は10月の最初の土曜日の動物園に向かう運命を生きているからだ。たぶんアルマジロもそのことは理解していたと思う。
 われわれは目を見合わせ、明け方の青山通りを赤坂方面に歩き出した。そのようにして、私とアルマジロと10月の最後の土曜日は動物園に向かった。10月の最初の水曜日がすぐそこまで迫っていた。

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