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師歌/釣り師のうた

 
AOGISUTURISHI00LARGE.jpg

 黒塗りのマイバッハが滑るようにやってきて停まった。ドアがあき、体格のいい男二人が機敏な動きで飛びだしてくる。鋭い視線を私のほうにちらとよこす。白刃の切っ先を突きつけられた気分だ。
 伝説の釣り師はゆっくりと車の中から出てきた。濃紺のペンシル・ストライプのダブル・ブレステッド・スーツ、濃紺のボルサリーノ、上等のワニ皮の靴はピカピカに磨き上げられている。知らない者がみれば、その筋の親分である。右眼のまぶたがぴくぴく震える。チックだ。脇の下からは冷たい汗が大量に噴き出す。胃が痛い。吐きたい。いや、もう死にたい。
 ついてこようとする男たちを手で制し、私のほうに近づいてくる。私の足元に視線をやり、いくぶんか落胆の表情を見せた。「しまった」と思った。やはり、よそ行きの靴を履いてこなければならなかったのだ。履いているのはドンキホーテで買ったヴェトナム製の安物の靴である。980円。ゴム底。やれやれだ。まだなにも始まっていないのにすでに大量得点をゆるしてしまった。
 伝説の釣り師は身なり、服装のセンス、言葉づかい、礼儀作法にことのほかうるさいと事前に知らされていた。ある有名雑誌のこましゃくれた編集者が「あのさあ」のひとことで伝説の釣り師を激怒させ(もっとも、それにはいろいろな「伏線」があったらしいが、ここではふれない)、袋だたきのすえに病院送りになったのは業界では有名な話である。
 今回のインタビューにあたってメンズプラザ・アオキでスーツを新調し、ネクタイは妻に選んでもらった。なれない美容室で髪を切ってこざっぱりとし、念入りにひげを剃り、前歯の虫歯を治療した。出がけに末娘がぐずり、それをなだめていてつい普段履きなれたぼろ靴に足を入れてしまったのだ。
 今日のインタビューは仕事というよりも、私の興味、趣味が優先していた。伝説の釣り師の著作や発言、実績、経歴から私はどうしても彼に会いたかった。会って話を聞き、私の話を聴いてもらいたかった。なにしろ、伝説の釣り師は私が釣りに興味を持ちはじめた小学生の頃から、すでに「伝説の釣り師」だったのだ。彼がモンゴル奥地の河で巨大なイトウを釣り上げ、満面の笑みを浮かべている写真はいまも仕事部屋の壁に額装して飾ってある。

KAIKOSENSEI09.jpg

「靴まではゼニがまわらなかったか?」
 待ち合わせのフレンチ・レストラン、ポルト・ドール前に姿を現したとたん、伝説の釣り師は言った。顔は赤銅色に灼け、声はひどく嗄れていた。スコットランド北部を流れる釣聖の川、ダブ川で夜通し釣り糸を垂れ、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』を枕にアフリカのサバンナで眠り、埠頭を渡る風に吹かれ、巨大なイトウを釣りあげるため、1年のあいだモンゴル奥地の清流の瀬に暮らし、釣りあげた巨大イトウを「神とともにあれ!」と叫んでリリースし、厳冬のカナダのユーコン川や秋風の渡良瀬川の川面を凝視し、真夏のアマゾン川でピラルクーと格闘し、極東の小島の磯で蟹とたわむれ、名著『Study To Be Quiet/おだやかなることを学べ』『ダブ川の夜/釣り師は誰も心に傷を持っている』『アメリカ北米大陸釣り紀行/釣って釣って釣り暮らそう』三部作を著し、世界中のありとあらゆる酒とシガリリョスと葉巻とパイプの煙りに親しんできた結果だろう。それを思うと私は胸がいっぱいになってしまった。こんなことではきょうはインタビューどころじゃないなとそのとき思った。このあと、私の予感はみごとに当たるが、そのときはわかるはずもない。
「いや、そうじゃない。気がまわらなかったんだ。おおかた、かみさんかガキにぐずられたんだろう。どうだ? 図星だろう?」
 図星だった。この人にはうそやごまかしやその場かぎりのとりつくろいは通用しない。私は心底おそろしくなってきた。
「運気の悪いマンションだな。サイスマサオもイモを引いちまったもんだ」
 伝説の釣り師は「三田マンション」の薄汚れたプレートに蹴りをいれてからそう言った。そして、うながされるまでもなく、真っ正面を見すえ、大股でレストランの入口に向かった。 
「あんたはいったいなにが釣りたいんだ?」
 案内されたテーブルの椅子に座るやいなやたたみかけるように伝説の釣り師は言った。強面の刑事の訊問より迫力があった。逃げ場はどこにもないなとそのとき私は腹をくくった。

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 伝説の釣り師はバケツ一杯のムール貝にむしゃぶりつき、プィフィッセの84年をガブガブ音を立てながら飲みつづけた。
「釣りの極意? 消すことだ。自分も世界も宇宙もなにもかも消しちまう。そうすりゃ大物、大漁まちがいなしだ」と伝説の釣り師は言い、2本目のプィフィッセを注文した。ムール貝をバケツ2杯きれいに片づけ、84年のプィフィッセを3本飲みほしたところで、伝説の釣り師はムニュにはじめて目をとおした。そして、「おい、あんちゃん」とドスの利いた声でギャルソンを呼んだ。伝説の釣り師が言葉を発するたびに店の中に緊張が走った。私は半笑いを浮かべ、脇の下から嫌な汗をしとどかきつづけていた。
「ああ、もうどうなってもいい。はやくなにもかもが終わってほしい。1秒でもはやく妻と娘の待つ家に帰りたい。妻のやわらかくてあたたかいワギナの中に入りたい。そして、いつまでも眠りつづけたい」と心の中でつぶやいた。
「クー・ド・ブフ・プレゼ、牛のシッポをメインに、エイのアレももらうか。ワインは料理にあわせてくれ。ところで、あんちゃん。サイスは達者か?」
「シェフのサイスマサオでございますか?」
「ああ。ほかにいねえだろうが」
 ギャルソンが厨房にすっとんでゆき、直後に顔面をひきつらせた男がギャルソン以上のスピードですっとんできた。
「先生! 来ていただけるのであれば、御連絡をいたたただだだだ   
「うるせえな。あいかわらず、アゴがよくまわる野郎だ」
「も、もうしわけありましぇえんんん」
「まあ、あれだ。食いもんがうまいから、文句はねえよ」
「あ、あ、ありがとござましゅしゅしゅしゅぅ!」
「ベルナール・パコーから伝言だ」
「は、はいっ!」
「貸した170フランをはやく返せだとよ」
「あすにも! いえ、いまからインターネットで送金手続きいたしまっすすすす!」
「それから、サイスよお、うまいはうまいが勢いがねえんじゃねえのか? ん? どうなんだ?」
「す、す、す、すみましぇぇん!」
「あやまってすみゃよお、デコスケはいらねえよ。おまい、パリのランブロアジー時代、パコんとこで鍋ふってたときのほうが料理に凄みがあったぞ。小金残してふやけたか? あん? どなの? どうなのよ」
「すみません、しゅみません、しゅみましぇぇぇん!」
 サイスマサオ・シェフは何度も頭をさげ、「すみません」を14回連続で言いながら、あとずさりで厨房へ戻っていった。円ひろしの『夢想花』がちらっと頭をよぎり、吹き出しそうになったがぐっとがまんした。目の前の現実に引き戻されると心臓が痛い。しかし、夜はまだはじまったばかりだった。

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「ちょいとつきあえよ」
「先生、もうなにも入りません」
「なに!」
「あ、いえ、だいじょぶです。じぇんじぇん、だいじょうぶです!」
 伝説の釣り師と私は雷門1丁目のさびれた通りを並んで歩いた。ポルト・ドールでさんざん飲み、喰ったにもかかわらず次の店に行こうというのだ。支払いはすべて伝説の釣り師がした。インタビューをしたこちらが支払いをするのが当然だが伝説の釣り師は決してゆるさなかった。
 護衛の男たちはつかず離れず、あたりに目を配りながら歩いている。ときどき、男たちのきびしい視線が私の背中に刺さった。痛い。「痛いんだよ、おまえら!」と叫びたかったが、もちろん、そんなことはできない。できる道理がない。私はじっと痛みに耐えた。「虹湖」と染めぬかれた浅葱色ののれんをくぐり、こじんまりとした料理屋に入った。板場では角刈りの若者が一心に包丁を動かしている。
「いらっしゃい!」
 奥から底抜けに明るい声がした。出てきたのは内蔵がよじれてしまうほどのものすごい和風美人である。正直に言うが酒を大量に飲んでいるにもかかわらず、私のペニスはそのとき激しく勃起した。それくらいの色気、艶のある女性だった。私はズボンのチャックをおろし、「こんばんは」とわがムスコで挨拶したかったが、もちろんそんなことはできない。できるはずがない。道理もない。私はじっとペニスがこすれる痛みに耐えた。
「イロの虹子だ」
 白木の一枚板のカウンターに座ると、伝説の釣り師は言った。「ボンクラへっぽこ物書きのニイザワだ。ニザンとでも呼べばいい。頭は悪いし、気はまわらないし、度胸もねえが気はそこそこよさそうだ」と伝説の釣り師は私を紹介してくれた。
 伝説の釣り師と私は冷やで羅生門を飲んだ。ここでも伝説の釣り師は豪快に食べ、ものすごい勢いで酒を飲んだ。しかし、ある変化があった。しゃべり口調がそれまでとはうってかわって物静かになったのである。物静かになったとはいえ、やはりドスが利いている。すごみがある。私はひたすら相づちを打ちつづけた。ときおり、「うばうば」とみょうちくりんな相づちを打ってしまい、そのたびに伝説の釣り師に睨みつけられた。
「いいか、若造。おれが釣り竿を垂れているのは目に見える海だの川だのじゃねえ。おれがまだ見ぬ大物を釣り上げるために釣り竿を垂らしているのは星の海のど真ん中だ。わかるか?」
「……」
「ばかやろう」
「すみません」

 冬の夜の闇のなかで月の光を受けてきらきらと輝く隅田川の川面を見つめ、伝説の釣り師ははかなく哀しげなうたを歌った。呪文とも聴こえた。よく聴きとれないうえに理解できない外国語だったが言葉の響きは私の中のある部分、だれにも、私自身でさえも触れることのできない部分に届いた。ふと涙がこぼれ出た。涙はつぎからつぎへとあふれてきた。もうとどめようがないほどに。
「先生、それは? 何語ですか?」と私はしゃくりあげながら言った。
「ポルトガルのファド。アマリア・ロドリゲスのうただ。泣ける。おまいもいっしょに泣け」
「はい」
 私は伝説の釣り師のうたにじっと耳をかたむけ、35年分の涙を思うぞんぶん流した。街の喧噪も首都高速道路を行き来する車の騒音も消えた。私の息づかいさえ消えた。静寂のただ中に私と伝説の釣り師はいる。聴こえるのは伝説の釣り師のうただけだ。静寂と夜の闇は渾然となり、雲ひとつない星空にむけて飛びたとうとしている。いや、私自身がうるわしい星座のまたたきのひとつでもあると思われた。月の光があやかに映りこむ隅田川は星の海へとかわり、聖なる水面に幾百万の魚たちの跳ねる姿がはっきりと見えた。

KAIKOSENSEI07LARGE.jpg

 参考
 私の五感の中にはファドがある 心には悲しみ
 私の中にはなくした夢がある 孤独の夜に
 私の中には詩がある 音がある
 精神のきらめきが むこうみずな愚かさが
 私の中には月夜がある 花咲く平原がある
 空が 海が それよりずっと大きな悩みがある

 アマリア・ロドリゲス(詩人。ファドの歌い手&使い手。故人)

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