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ゴンザレスの南、チチリアーノの西。マドレーヌと紅茶。あるいは「病としての過剰」もしくはハーブ・エリスの不思議な三角形


 
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 O.ヘンリーの書斎で(382) あらかじめ失われた庭を求めて
 オハイオ・ペニテンシャリーことウィリアム・シドニー・ポーターのこともイゴール・ゴンザレス・ガルディアーノのこともしばし忘れていただきたい。「ゴンザレスの失われたファリエロ・マージ」を探す旅に出発する前にすこしだけ自分のことを記す。
 私の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質はあることをするとあることを思い出す仕組みになっている。さらにあることを思い出すと別なあることを思い出す。それが次から次へととどまることを知らずにつづく。晩年の芥川龍之介を悩ませた「連関妄想」のたぐいでもあろうが、本人にとって事はそう簡単に片づけられない。実際、私はこの事態によってずいぶんと損な人生を生きてきたのだ。勉強も手につかない。セックスにも身が入らない。食事は味がしないか色々な味が混在して感じられてしまう。ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェヘラザード』第3楽章《若い王子と若い王女 Rimsky-Korsakov : Symphonic Suite - Scheherazade, Op. 35: III. Andantino quasi allegretto》で、ヴァイオリンがメロディックな主題部をゆったりと奏でたあと、スネア・ドラムのリズムに乗ってクラリネットが軽快な舞踊曲をモティーフにした若い王女のテーマを奏するところを聴いているときに西麻布ラ・ボエムの明太子パスタの味と匂いがしたり、KIHACHIの雲丹のパイ・ケースをシャブリを飲みながら食べていると荘園制度の発展と粘菌の増殖の歴史的必然に関する南方熊楠先生の論文と「班田収授法」の全条が次から次へと浮かんでくるといった具合だ。実に困ったものだ。実に困った人生であった。私の脳内で起こっている一連のことどもについてバカの壁の壁守でもある養老院孟司博士はこれを「マドレーヌ現象」と命名し、おおよそ次のように定義づけている。

 いわゆる「マドレーヌ現象」について
 発語または記述の際、ある「言語」「事態」「事象」「音声」「匂い」「味覚」「感触」等を契機端緒として、連関の有無を問わずに言語、発想が連続継起していく表現行動の一形態。その際、記述、発想、発語の飛躍、跳躍、跳梁は、当該現象が長引くのに比例してさらに跳躍量を増すことが認められる。大脳辺縁系の下部にわずかに認められる ”未知の組織 ”が他の組織を刺激し、言うところの ”マドレーヌ現象 ”を誘発させていると思料される。また、”マドレーヌ現象 ”時、2種類の独立した脳波を検知した。ひとつはレム睡眠時の波形を示し、いまひとつはあたかも”読書している”ときのような波形を示した。これらについてはさらなる観察、分析が必要である。誤解をおそれずに言うならば、当該”現象”はまぎれもない”病”である。”過剰”という名の病、”病としての過剰”である。

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 紅茶に浸したひとかけらのマドレーヌを口にした途端、遠い夏の日々が鮮やかによみがえってくる    マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は「記憶と時間が統合された世界」をほぼ完全なかたちで提示した。単に過去から未来へと連続する直線的な時間や計測できる物理的時間に対して円環的時間、さらには「成熟する時間」と言い、「現実は記憶の中に作られる」という解釈を示した。ダブリン市で起った1日の出来事を、「意識の流れ」に象徴される実験的な手法を用い、様々な文体で描いたジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』と並んで「20世紀のもっとも重要なテクスト」であるが、私に言わせればそんなことはKIHACHIの雲丹のパイ・ケースより数段ちっぽけなことである。KIHACHIの雲丹のパイ・ケースも相当にケツの穴の小さい大きさではあるが。
 遠い日、「病としての過剰」について小1時間にわたって考えたことがある。その思考の過程は思考実験とでも呼ぶにふさわしく、当時、即物的な俗物、無名の小僧っこにすぎなかった私にはけっこうしんどかった。答えはなかなか出なかった。考えあぐね、立ち止まり、気分転換、思考転換のつもりで因数分解の問題と戯れている最中、不意と「毒くらわば皿まで」という言葉が浮かんだ。霧はいっきに晴れた。そして、以後、「毒くらわば皿まで」は私の裏座右となった。10歳の秋のことである。
 私は過剰である。過剰な知識欲、過剰な権力欲、過剰な金銭欲、過剰な性欲、過剰な食欲、そして、過剰な破滅欲。さまざまの「過剰」がないまぜとなって私の「マドレーヌ現象」は生起している。もちろん、養老院猛司が指摘するように大脳生理学的な問題も影響してはいるだろう。しかし、「ある未知の組織」は私の意識が、あるいは私の命が持つ「業」が自ら選んで作りだしたというのが私の考えだ。

 パリの「初語」と世界の天井
 私の初語は「うるさい!」である。生後5ヶ月のことだ。母親を含め、周囲の者どもは私の初語の早さにたいそう驚いたようだ。異国の地で一人、シングル・マザーとして生き、日々の暮らしを立てていた母親の苛立ちが私の初語に現れたのだと思うが、それは無理からぬことである。いずれにしても、私と母親の環境がうるさかったことはまちがいない。母親によれば1歳の誕生日前から、私はただ座してひたすら喋りつづけたという。ただ座してひたすら喋りつづける乳児。ときに腕組みをし、ときに両手を頭の後ろで組み、ときに虚空を見上げながら。このときすでに私の「マドレーヌ現象」は始まっていたと言ってよい。話の内容はその日の天候、光の具合、誰と誰がやってきてあれこれについて話していた、誰それの顔はいい顔だが、誰それの顔は変、朝ご飯は色どりがよくない、一人のときが一番気持ちよく、たのしい。しかし、ずっと一人でありつづけることはできないといったようなことを途切れることなく喋りつづけ、ついには喋り疲れて大きな鼾をかいて眠りにつく。その様子が母親の当時の日記に克明精緻に記されている。母親は私の「マドレーヌ現象」をたいへんに心配し、パリ16区の市民病院をたびたび訪れ、相談した。もちろん、診断などできようはずはない。世界の天井と言えども、すべてを受け止められるわけではないのだ。そんなわけで、私はハーブ・エリスを聴くと不思議な三角形のことを思いだす。

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 ハーブ・エリスの不思議な三角形
 20歳の頃のことだ。その頃、図書館司書か書店の売り子の恋人がほしいと思っていた。幸運にも私のその夢は実現した。しかも同時に。これはたぶん、長年にわたって根気よく勤勉に『ギリシャ・ローマ神話』とプルタルコスの『英雄伝』を繰り返し読みつづけた御褒美だ。
 図書館司書あるいは書店の売り子を恋人に持つことのメリットは既刊新刊を問わずに読みたい本をほぼ完璧に手にすることができる点にある。実際、世紀の奇書といわれるサルバトーレ・ルカーニアの『マフィオーソ祈祷書』さえ読むことができた。16世紀末、イタリア・シシリー島の羊飼いによって書かれた『マフィオーソ祈祷書』の最後にはこう記されていた。

 音もなく降りしきる春の雨に濡れながら、私は静かに筆を置く。もう二度と筆をとることはない。もうどこにも行かなくていい。ずっとこのまま、ここにいるだけでいい。雨もいつかは上がるだろう。雨上がりの世界が春のやわらかな陽の光を浴びて息づき、匂い満ち、芽吹くといい。羊飼いはただひとり、世界の彼方の森へ向けて出発する。

 読みたい本を手にすることができるほかにも図書館司書と書店の売り子はおおいに私をたのしませくれた。休館日の図書館で催されている秘密の宴のことや本を万引きする人間の見分け方、あるいは深夜の図書館を跳梁跋扈するコトヨミとモノヨミらの怪物たちの話、書店の棚の上のほうに陳列されている本はそのほとんどがフェイクであること、さらには年に一度おこなわれる世界図書館司書シンポジウムのメイン・スポンサーがスタンダード石油とゼネラル・モーターズであることなど、おもわず身を乗り出さずにはいられない話を私は彼女たちからたくさん聴いた。
 図書館司書は有栖川公園の一角にある東京都立中央図書館、書店の売り子は六本木通りに面した青山ブックセンターでそれぞれ働いていた。図書館司書と書店の売り子はいずれも私より8歳年上で、二人は誕生日と苗字まで同じだった。図書館司書は田丸ミサト、書店の売り子が田丸チサト。そう、二人は双子の姉妹だったのだ。二人の田丸は麻丘めぐみに似た美人で、特にふくらはぎから足首にかけてのラインがとても魅力的だった。ミサトは右目の斜め下、チサトは左目の斜め下に小さなほくろがあった。
 私の部屋のベッドで初めて双子の姉妹のからだにふれたときのことはいまでもはっきりとおぼえている。双子はあらかじめそうすることが決められていたみたいに永遠に交わることのない2本の直線としてベッドに横たわっていた。私は双子のとても形のよい小さな乳房にそっとふれた。二人の乳房は氷のように冷たかった。乳房だけではなく、全身が凍りついているように思えた。
「きみたちは、なんというか氷の国の妖精みたいだ」
 双子の姉妹との奇妙で親密なメイク・ラヴのあとに私が言うと、ミサトとチサトはきれいな首筋を同時にそらせてとても気持ちよさそうに笑った。
「わたしたちが妖精ならあなたはさしずめ魔法使いね。あなたの指は最高の幸福と不幸をもたらしてくれたもの」とミサトが目を潤ませ、私の指先を見ながら言った。
「異議なし」とチサトがすかさず言った。「実際、あなたの指で生まれて初めてわたしたちは本物の絶頂を味わえたのよ。長い28年間だったわ。でも、やっと氷はとけた。問題は残りの1/3」

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 私と双子の姉妹がいっしょに暮らすようになったのは出会ってから1週間後だ。ミサトとチサトは仕事を終えて帰ってくると毎日毎日8時間ぶっとおしで牛の精巣とマウスの卵巣のスケッチをした。腱鞘炎にでもなってしまうんじゃないかと心配だったが双子の姉妹は私が考えている以上にタフだった。
 ある秋の終わりの夕暮れ。私と双子の姉妹は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹の近くのレストランのテラス席で早めの夕食をとっていた。テラス席にはずっと不思議なにおいのする風が吹いていた。私が甘鯛の香草包み焼きを取り分けているときだ。
「あなたに秘密にしていたことがあるの」とミサトが言った。
「本当はわたしたち双子じゃないのよ」とチサトが言った。
「わたしたち三つ子なの」と二人が同時に言った。言ったと同時に三人目の麻丘めぐみ似の田丸が現れ、空いていた椅子にとても優雅にからだを滑りこませた。
「こんにちは。はじめまして。田丸コサトです。よろしく」
 田丸コサトは平凡社世界大百科事典の編集者だった。額の真中に小さなほくろがあった。私がほくろにみとれていると田丸コサトがうれしそうに言った。
「わたしたちのほくろを結ぶと正三角形になるのよ。おもしろいでしょう?」
「もちろんおもしろい。おもしろいし、すごく不思議でエロティックだ」
「この正三角形のほくろはなにかのしるしだというのがわたしたちの考え」
「なにかのしるし。なんのしるしなんだろうな」
「それをつきとめるのがあなたの役目じゃないの!」とミサトが憤慨したように言った。
「ぼくの役目。なにから手をつけたらいいかさっぱりわからないよ」
「とりあえず、4人でセックスすることから始めるのがいいと思う」とチサトが小さな声で言った。

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「レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』の最後のほうと『料理の三角形』の序文で言っていたとおりよ。わたしたち三つ子は人類全体の矛盾を孕みつつ、それでも存在しているの」とコサトが言った。コサトは全裸だった。カーテン越しに街をみるコサトの背中はおそらく1970年代末の東京においてもっとも美しく、もっとも孤独だったのではないかと思う。
「矛盾だらけだけど、ともあれ、わたしたちは存在する」
 コサトはそう言ったきりもう二度と口を開こうとはしなかった。たぶん、彼女は私をとても憎んでいたんだといまにして思う。コサトだけではない。チサトもミサトもだ。三つ子全員が激しく私を憎悪し、憤怒の炎を燃やしていたのだ。
 三つ子にはこの世界で起こるすべての物事についてサンシーブルとアンテリジーブルとの境目をなくし、その合間に新たな均衡を持ち込もうとする風変わりな癖があった。それは癖というよりも「世界」にしがみついているための防衛ラインとも思えた。三つ子はその防衛ラインをこれまでに生きてきたリアルな生活の断片のひとつひとつを懸命に繋ぎ合わせ、補修し、手入れしながら築きあげたのだ。
「感じることと知ること。わたしたちはそれ以外にはまったく興味がない」とミサトがつぶやいた。ミサトは車窓を流れ去る風景を追うような目で私をみつめた。
「わたしたちの28年間の人生はブリコラージュなの。オリジナルなんかなにひとつ残っていない。みんなバラバラに砕け散っちゃった。でもね、それをひとつひとつ根気よく拾い集めて口づけし、頬ずりし、修復し、埋葬してきたのよ。それがどれくらいつらく苦しいことかあなたにわかる?」
 チサトが言うと三人は同時に私の顔を覗き込んだ。不思議な正三角形が迫ってくる。それが三つ子の姉妹に関する最後の記憶だ。私はいまでもはかない残照を慈しむ気分で三つ子のことを思いだす。そして、三つ子がプレゼントしてくれたハーブ・エリスとオスカー・ピータソン・トリオのLPレコードを聴き、『アレクサンドリア図書館年代記』を読む。世界は人間なしに始まり、人間なしに終わるものなのだと自分自身に言い聞かせながら。

 Q.E.F. Quod Erat Faciendum. 後悔先に立たず。

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