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根岸線とジョニ黒と『善悪の彼岸』

   昔々、横浜で。根岸線。そう口に出すだけで甘酸っぱくなつかしい気分になる。桜木町止まりだった京浜東北線が磯子まで延長になったときは開通式典に物見遊山で出かけたものだ。まだ洟垂れ小僧の私には生まれてはじめての一大イベントだった。磯子の駅前が大きな舞台のように見えた。横浜市消防局の音楽隊が景気のいい音楽をジャカスカ鳴らしていた。色とりどりの風船が舞い踊っていた。どいつもこいつも幸せそうだった。宙を...

大田中/序 世界に遍在する田中

    【なりふりかまわず、田中はユビキタスる!】このごろ、「また田中か」と思うことばかりだ。田中にまつわる問題についてはいくつかの局面、フェーズとでもいうべきものがあって、「また田中か」のほかに、「また田中化か」「ついに本田中か」「とうとう本田中復活か」「分田中は本田中を超えるか?」「金田中と新喜楽が吉兆の凋落を尻目に大同団結へ!」「田中問題と日中問題は同根か?」「やっぱり山田の中の一本足の田中...

コアントローポリタンの女

    どこにも行きたくない者にとっては世界のどこであろうと地の果てだ。E-M-M電話の呼び出し音。世界の果てにあるヒッコリーの森の木樵小屋からだ。木樵の家族の笑い声。薪割りの音。小鳥たちのさえずり。顰めっ面をした騎兵隊長のナッツクラッカー大佐がクルミを割っている。ヒッコリーの老木が倒れる音もする。夢か? いや、すべてが夢というわけではない。電話は確かに鳴っている。神経を逆撫でする呼び出し音が少しずつ大...

ペーパーバック・トラベラー#3 ようこそ、渚ホテルへ

   1990年の夏の終り。134号線のロング・ドライブに疲れてうとうとしかけたとき、遠くでぱちんと音がした。進行方向左手に2階建ての白い洋館が現れた。渚ホテルだった。私はそうすることがあらかじめ決められていたように車を停めた。海に向いたテラス席に座り、よく冷えたビールをグラスに1杯飲み、軽めの食事をし、海を眺め、潮風の匂いをかぎ、陽の光のただ中にしばし身を置くだけのつもりだった。ビールを飲み、サーモンの...

愚将愚宰の安倍晋三と世界の果てのマエストーソな高校生

    世界にはたわ言をほざきまくる原発マネーと木っ端役人の操り糸で雁字搦めの安倍晋三のようなポンコツスカタンがいるかと思えば、地球の反対側ベネズエラの世界の果てのコンサート会場では名もなき若者たちが宝石のごとき無垢で極上の演奏を繰り広げていた。名もなき若者たち、マエストーソな高校生たちはベネズエラ・テレサ・カレーニョ青少年交響楽団員。元ストリート・ギャング、元麻薬の売人、元不良少年、元非行少年、...

ぼくの不思議なマーラくん#1

    ぼくの不思議なマーラくんがぼくの家にやってきたのはおおきな地震で世界が揺れて真っぷたつに裂け、おおきな真っ黒い重金属の塊りのような津波が街を根こそぎにし、プルトン城の3つの尖塔が大爆発して世界中にラジオの精液を撒き散らした翌朝だ。ぼくの不思議なマーラくんはぼくの部屋に入ってくるなり、「腹へった。なんか喰わせて。パンの耳でもロバの耳でもサムラゴーチの耳でも王様の耳でもいいからなんか喰わせて。...

アダージョ・ソステヌートの殺人者

    「人生はラフマニノフの1小節にも値しない」とクリスチャン・ジメルマンによく似た男は言った。男の口ぐせだった。男は名うての殺し屋だ。男は容赦なく殺す。とてもゆっくりと殺す。眉ひとつ動かさずに。人生はラフマニノフの1小節にも値しない。男の言うとおりだ。特にラフマニノフのピアノ・コンチェルト第2番 第2楽章の1小節には。当然、グスタフ・マーラーの交響曲第5番にも。チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』に...

もし観音力によって感音性難聴のサムラゴーチが小泉八雲の『KWAIDAN』で耳なし芳一を演じたら

    昔々、安芸の国に阿弥陀苦寺という古臭く嘘臭い寺がありました。その寺に河内守という欺罔傾城音曲師がおりました。河内守は幼い頃から心の耳が不自由だったためにクロサギの騙りを仕込まれて、若輩ながら、そのサギ芸は師匠の岡野屁転和尚、兄弟子の古賀絵図面師をしのぐほどでした。いつしか人々は河内守を欺罔傾城音曲師と呼ぶようになりました。阿弥陀苦寺の岡野屁転和尚は河内守のペテンの才能を見込んで寺に引き取っ...

Show-Do No Raku-Go/噺のほか#4 げんぱつ公社

    毎度、馬鹿馬鹿しい危険な話を一席。近頃は色々と物騒厄介なものがますます増えてまいりましたな。厄介なものの最たるものはカスミガセキシロアリでしょうな。このカスミガセキシロアリ、東京のど真ん中、霞が関が主な棲息場所でございます。カスミガセキシロアリというのは普段はお役人の真っ黒けっけの腹の中にいるそうですな。カスミガセキシロアリにも亜種が色々いまして、原子力寄生虫、ケイサンショー毒虫、コッコー...

「抱擁。」とつぶやいたあと、サモトラケのニケは屋根裏部屋の王の耳元で異界の刻の到来を告げる。

  シシリアーノ第3主題【ルチアーノとカンノーリの半音階的転調および大フーガ〈そして衣裾をたくし上げ、城壁のカテリーナ・スフォルツァは叫ぶ〉】をリパッティ風に奏でながらサモトラケのニケは「抱擁。」とつぶやいた。ふるえる翼。輝く眼差し。解法の微笑。そして、異界への誘い。異界の刻までいくばくもない。サモトラケのニケは告げる。「Festina Lente !」屋根裏部屋の王は[Marie Antoinette/BREGUET NO.160]の4番車を調...

調性音楽ぎらいの耳がきこえる聾桟敷の人々はたかっしーとともに天地神明に誓ってサムラゴチになります。

   近来まれに見る「謝罪ショー」だった。現代のベン・ジョムシーこと佐村河内守の仕草、話しっぷり、表情は「ロス疑惑」の三浦和義と驚くほどよく似ていた。「悲劇の主人公」を自らのモチーフとするところも。佐村河内守の話す内容になど鼻から微塵の興味もなかったが、一体いかなる話しっぷり、弁解、詭弁、言い逃れ、嘘っぱち、たわ言、妄言、きれいごとをほざき、並べたてるのかにはいささかの好奇があった。佐村河内守はあ...

すべては終わりぬ/スティーブン・フォスター(Hard Times Come Again No More/Stephen Foster)

   南北戦争の7年前。1854年、スティーブン・フォスター27歳の作。『すべては終わりぬ』は発表時から人気を集めた。南北戦争当時も「つらく厳しい時代よ、どうか一刻も早く終わってくれ」という願いを込めて愛唱された。南軍北軍双方の兵士たちの愛唱歌だった。ゲティスバーグの戦いの夜に両陣営から疲れ果てた兵士たちの歌う『すべては終わりぬ』が聴こえていたかもしれぬ。『すべては終わりぬ』は貧困と飢餓に喘ぐ市井の人々...

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自由放埒軒

Author:自由放埒軒
Festina Lente.
No Pain, No Gain.
Fluctuat nec Mergitur.
R U Still Down Gun 4?
玄妙の言葉求めて櫻花
薄紅匂う道をこそゆけ

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